飄々図書室

【書評・読書感想文】本にまつわるあれやこれや

【書評】断捨離とは単なる衝動である『もたない男』中崎タツヤ著

      2017/06/25

もたない男 (新潮文庫)

 合理性を志向する私が断捨離・ミニマリズムに一時であれ共感したのは、そこに自分の目指すものの片鱗を見た気がしたからであった。

 断捨離・ミニマリズムとは本当に必要なものだけを手元に残し、人生において本質的に必要のないものは努めて処分しましょう、というモットーのことである。もちろん「本当に必要なもの」「本質的に必要のないもの」は各人の価値観に委ねられる。

 私はその思想の中に「無駄の排除」という名の合理性を感じた。敢えてどうでもいいものは処分して選択肢を狭めることによって一つのことに集中することができる、つまり「時間の無駄」を排除することができる。維持費のかかるものを処分・解約することによって「お金の無駄」を排除することができる。モノへの執着から解き放たれることによって「心の無駄」を排除することができる。

 

だけど、断捨離は単なる衝動だった

 しかし、断捨離実行者が時に強烈に理不尽で不合理な行動を起こすのも事実である。

 
1. 処分することによって逆に時間とコストがかかる羽目になっていること
 例えば洗濯機を処分した結果、「コインランドリーにわざわざ洗濯物を持っていき、それを回収する時間と手間」が無駄になり、洗濯のためのランニングコストも増す。

 
2. 同じものを買い直すこと
 衝動的に買って、すぐに衝動的に処分して、やっぱり欲しいから再び同じものを書い直すというのは不合理の極みである(市場に無駄なお金を落とすという意味では経済活動としては優秀である)。

 
3. 捨てるものをわざわざ探してまで処分すること
 断捨離が手段ではなく目的になっている。正反対の例を持ち出せば、買い物自体が手段ではなく目的になっているのと本質的には同じである。それを人は「無駄遣い」という。であれば前者は「無駄断捨離」とでも呼ぶべきものである。

 
 そういった行為を見聞きするにつけ、私は断捨離・ミニマリズムは「合理性」とは全く関係のないものなのではないかと思うようになってきた。むしろ、合理性とは真逆の要素である「衝動」に起因するものなのではないか。「今、捨てたいから捨てた。ああ、スッキリした」ただそれだけのこと。

 そう、そしてその「衝動としての断捨離」の極北がここに紹介する『もたない男』(中崎タツヤ著、新潮文庫)である。手元にある文庫本の帯には「世界一笑える断捨離」と書いてある。

 

『もたない男』で紹介される強烈なエピソード群

1. 飽きてすぐ捨てる

 iPod shuffleが発売されたときも、すぐに飛びついたんです。
 ほぼ同じ頃、携帯電話でもライターくらいの大きさのNTTドコモの「premini」という世界最小iモード端末が発売されたんですが、それもすぐに買ってしまいました。
 私は生理的に、小さくて高性能なものが大好きなんですが、どちらともすぐに飽きてしまって、一年経たないうちに捨ててしまいました。

 漫画家である中崎タツヤ氏の仕事部屋には殆ど何もなくて、皆に驚かれるそうである。だけど、曰く「物欲は人一倍強い」のだそうである。つまりは、とにかくものをたくさん買うけれど同じスピードで捨てている。すぐに飽きるか不要だと思ってしまうようだ。

 

2. 揃わないCD

 CDを買い始めると、好みはめちゃくちゃなりに、ジャンルごとに揃えていこうと思ったりもします。
 しかし、ときどき並んだCDをみながら、無駄なものはないかと血眼になるくらいの勢いでチェックしていって、捨てるものをみつけてしまうからたくさん揃わないんです。無駄なCDを間引いていって、少しずつ厳選され、最後には一枚もなくなってしまいます。これまで最高でも一五枚くらいしか揃いませんでした。
 同じCDがほしくなって、また買ってしまうこともあるんですから無駄です。無駄が嫌いなせいで、無駄をしているのだからどうしようもありません。

 衝動によって買い、衝動によって捨て、再び衝動によって同じものを買い直すという全く合理性のない行動が無駄であることは自覚しているようである。

 

3. 純正のものも捨てる

 かみさんと二人暮らしで、後部席は荷物を置くくらいなので後部席のヘッドレストもとっくに捨てました。
 クルマを買って、すぐに捨ててしまったんですけど、これは問題でした。
 新車三年目の車検の時に、業者さんに「このままでは通りませんよ」と言われてしまったんです。

 そもそも備品として備え付けてある純正ものも迷いなく捨ててしまうようである。売却する時の買取価格に影響するかもしれないとか考えないのだろうか。捨てなくても邪魔にならないところに取っておけばいいのに。

 

4. 読んだそばからページを破っていく

 本を買っても読んだら捨てます。
 というか、読むそばから読み終わったページを破って捨ててしまうこともありました。

 その発想はなかった。神経質すぎ。

 

5. 本の高さを揃える

 私が本書を読んで、最も意味不明だと思った行為が下記である。

 いまは本を少ししかもっていませんが、本棚をもっている頃もありました。
 その頃はまだ、読み返す可能性がある本、自分に役に立つと思える本は捨てる気になれず手もとに置いておきたかったんです。
 しかし、本を並べると問題があります。
 本は判型によって背の高さが違います。
 本棚に並べるとばらばらになってしまって、すごく気持ちが悪いんです。それで、カッターで本の上と下を切って、背丈を揃えていったことがあります。(略)新書や文庫なら新書の本文が入っていない上と下を切っていけば、背丈を揃えることができるんです。表紙もタイトルが切れないようにうまくカットしていきます。
 最初、どうしても切り口が斜めになってしまい、気分が悪かったんですが、ホームセンターで小さな万力と金尺を買ってきて、まな板の上に固定してカットしていったら、すごくうまくいくようになりました。
 本棚に整然と並んだ判型の違う本をみたときには、本当に気持ちが良かった。
 苦労して大きさを揃えた本もいまは処分してしまいました。

 この発想もなかった。しかもわざわざ万力と金尺を買ってきて、お金と時間と労力をかけてまで本の高さを揃えることに情熱を注ぐことができるのはこの著者だけに違いない。しかも「いまはもう処分してしまいました」とさらりと言ってのける。この本、「いまはもう処分してしまいました」や「結局は捨ててしまいました」という言葉が頻出して苦笑いできると共に呆気にとられる。

 

オチとしての「もったいない運動」への共感

 さらに、本書『もたない男』における最大の驚愕にしてどんでん返しとも言うべき要素は、最後のページにさりげなく置かれた次の箇所である。

 2004年にノーベル平和賞を受賞した環境保護活動家ワンガリ・マータイさんの「MOTTAINAI運動」に私は共感しているんです。
 ものに依存したくはありませんが、ものを大切にしたい気持ちはあります。

 これにはひっくり返りそうになった。笑止千万。「欲しいから衝動的に買ったけれどすぐに飽きて無慈悲に捨てる」を際限なく繰り返している著者が「もったいない運動」に共感していて「ものを大切にしたい気持ちはある」と言う。

 狙ったものかどうかわからないが、このオチは本当に笑わせる。あまりの身勝手さに怒りさえこみ上げてくる。このことから、ものを捨てるという行為は合理性や計画性に基づくものというよりは、単なる衝動であり「捨てたいから何も考えずに捨てた」程度のものであることの証左であるように思う。もちろんその前の段階として「欲しいから何も考えずに買った」というのがある。ここで言う「ものを大切にしたい気持ち」というのも要するに単なる衝動の一つと考えるべきである。

 

まとめ:断捨離とは一貫性のない不合理な衝動である

 本稿の結論は「断捨離はただの衝動である」ということである。しかも一貫性がなく、往々にして不合理な。その衝動は人生におけるソフトウェアというよりもハードウェアの側面が大きいように思える。つまりは根本的な生き方の問題であり、理性ではなく本能に偏った場所にあるものであるように思う。

 それは例えば、捨てるものを選ぶ基準を「ときめく」かどうかで決めるという全く論理的でないやり方が共感を得て大いに流行ったことからもよくわかる(『人生がときめく片づけの魔法』近藤麻理恵)。捨てることは感情に近いところに位置するものであり、計画性・理性・合理性とは相反するものなのだった。

 もちろんやり方は人それぞれ。それらについて私は理解に苦しむものの、非難しようとする気持ちは全くない。

 計画性・理性・合理性を志向する我々がすべきことはたった一つ。断捨離という衝動に飲み込まれることなく、客観的に断捨離・ミニマリズムという考え方を見据えた上で、学ぶべき部分だけを自分のライフスタイル取り入れることである。

 - エッセイ