『ガヴリールドロップアウト』の面白さをどうやって伝えれば良いのか問題
アニメ『ガヴリールドロップアウト』を私は大変に面白く観た。だけど、問題となっているのはこの面白さをどのようにして伝えればいいのかということである。
あらすじを伝えるという方法
例えば、夏目漱石『坊っちゃん』のあらすじを人に伝えるなら「無鉄砲な新任教師が赴任した学校でドタバタするコメディみたいな話だよー」となるはずである。すると、聞かされた方は「夏目漱石ってお堅い人なのかと思っていたけど、『坊っちゃん』はドタバタコメディなのか、面白そうだな」となるのである。
では『ガヴリールドロップアウト』のあらすじを人に教える場合はどうなるか。恐らく下記のようになる。
「天使学校を首席で卒業したガヴリールっていう天使が人間界にやってくるんだけど、ネトゲにハマってドタバタするコメディみたいな話だよー」
人はこれを面白いと思うだろうか。私はきっと思わない。なんだこいつ、と思うだろう。だいたい天使って何だね。「あ、そうなんだ…」と返答して二度と彼には近づかない。
ジャンルを伝えるという方法
『ガヴリールドロップアウト』はジャンルで言えば「日常系」と言われるアニメである。『教養としての10年代アニメ』(町口哲生・著、ポプラ新書)では日常系は下記のように定義されている。
空気系(日常系)は日常生活を延々と描いた作品のことで、〇二年にアニメ化された『あずまんが大王』が源流である。こちらは構造的に以下の特徴がある。
1. 四コマ漫画原作が多い。この原作は「萌え四コマ」と呼称。
2. 物語性の排除。短いエピソードを連続して描く。
3. 本格的な恋愛の排除、葛藤の不在、複数の美少女キャラの配置など。美少女には性の匂いを消したキャラが多く、百合(フェム=女役の女性)的といえどもピュア。
4. 部活ものが多い。
余談だが、私はこの日常系なるジャンルの物語を好ましく思っている節がある。例えば、NHK「ニッポンアニメ100」(2017年5月2日放送)で16位にランクインしていた『ご注文はうさぎですか?』は私も傑作だと思うし、2016年〜2017年に一期、二期が制作された『この素晴らしき世界に祝福を!』も面白く観た。全く期待せずに観た『恋愛ラボ』も良かった。過剰に緊張したり先読みしたりドキドキしたりする必要がなく、安心してあまり頭を使わずに観られるところが良い。
従って、きっとアニメに興味のある人に伝えるなら「『ガヴリールドロップアウト』は日常系の中でもかなり面白かったよー」と伝えればいいのだろうけれど、日常系がわからない人には伝えようがない。
私がアニメを見始めたのはAmazonプライムビデオが随分とアニメに力を入れていると気付いたつい半年くらい前からなのであり、それ以前は全く興味がないどころかあまり好きではなく「アニメを見ると頭痛がするし、アニメ声を聞くと気分が悪くなる」と豪語していたのであって、例えばその頃の私が誰かに「『ガヴリールドロップアウト』は日常系の中でもかなり面白かったよー」と聞かされたとしてもただの頭痛しか引き起こさなかったと思うのである。
面白さを伝えるという方法
『ガヴリールドロップアウト』は笑えるという意味でも面白い。「何も考えないで笑える」と人気を博した上述の『この素晴らしき世界に祝福を!』よりも私は好きである。『このすば!』はやや下品だった嫌いがある。
だけど周知の通り、面白さを伝えることほど野暮なことはない。
「布団が吹っ飛んだ!」
「え?」
「だから、布団が…。おもしろくない?」
「どこが?」
「や、だから、布団がさ、吹っ飛んだわけ。布団がだよ」
「はあ」
「ほら、ふとんがね、ふっとんだの。よく聞いて。ふとん、が、ふっとん、だ」
「あー、なるほど。ふとん、と、ふっとんだ、の語呂が似てるってわけね。あはは、おもしろーい」
面白さを説明するということは上記のような恐るべき不安定さと圧倒的破壊力を孕んでいる。私にはそのような危険を冒してまでその面白さを人に説明しようとは思わない。
まとめ
というわけで、その秀逸なアニメは未だにその秀逸さを喧伝されるべき術を持っていない。悲しいことであるが、少なくとも私だけは『ガヴリールドロップアウト』は面白いことを知っていると自己満足する他ないのだった。
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