飄々図書室

【書評・読書感想文】本にまつわるあれやこれや

ラノベは悪じゃない!とにかく字を読むことが大切だという話

      2017/08/11

 私が社会人になって最初に驚いたことは、字を読まない大人があまりにも多いことであった。本を読まない、ということではない。配布されたA4用紙1枚さえ億劫がって読もうとしない。

 仮に目を通したとしてもそれは「読む」という行為とは程遠いものであり、内容を全く理解していない事態が散見された。ひどい例だと、「○○は今年から廃止にする」という通達を全く読まず(あるいは、さっと目を通しただけで内容を理解せず)に、「あー、どうせ○○を今年もやるってことでしょ。去年も来たから読む必要ないよ」と、全く逆の文意として解釈してしまう。どうなっているのだ。

 
 「最近の若い世代はライトノベルばかり読んでいて駄目だ、憂慮すべき事態だ」という見解をよく耳にする。だけど私はラノベばかり読んでいることを悪いことだとは思わないし、どんどん読めばいいとさえ考えている。ラノベでも何でもいいからそれと向き合うことによって「文字を読む」訓練となり、あらゆるものを読むためのハードルが下がると思うからである。

 少なくとも「A4の紙一枚さえ読むのが面倒くさい」という劣悪な事象は少なくなるのではないか。

 

「ラノベは悪」「ラノベの弊害」対する私の反論

 恐らく全ての小説・物語が非難の対象になっているわけではあるまい。「ラノベではなくビジネス書を読め」という意見を私は聞いたことがない。

 であれば、「ラノベが駄目」と言う人は「純文学なら良い」ということを言っているのだと思う。だけどその基準が私にはよくわからない。『ソードアート・オンライン』『涼宮ハルヒの憂鬱』『やはり俺の青春ラブコメはまちがっている。』を読むことと『こころ』『雪国』『カラマーゾフの兄弟』を読むことの間に優劣はないのではないか。何か明確な指標でもあるのだろうか。

 

ラノベは古典じゃないから駄目?

 「古典か、古典じゃないか」という違いだろうか。

 おそらく「ラノベは駄目だ」という人は『時をかける少女』を読むことは許容するだろう。だけど『時をかける少女』について、作者の筒井康隆は「ライトノベルを最初に書いたのはおれだよ、『時をかける少女』。40年前だよ」と発言していることからもわかるように、「古典か古典じゃないか」は全く問題にならない。

 セルバンテス『ドン・キホーテ』は古典中の古典の傑作として名高いが、読んでみればあんなにふざけた低俗な物語はない(いい意味で)。マルキ・ド・サド『ソドム百二十日』は紛れもなく古典だが、そんなものを読んでいたら職員室に呼び出され得るのであり、だったらラノベを読んでいたほうが良い。

 

ラノベは科学的じゃないから駄目?

 ジュール・ヴェルヌの『海底二万里』『十五少年漂流記』などの冒険小説なら良いのだろうか。きっとラノベ嫌いの向きにも容認されるだろう。だけどヴェルヌは文学においてSFというジャンルを開拓した人物である。最近ラノベ界隈で流行りの異世界転生とSFの間にどれほどの違いがあると言うのだろうか。

 「科学的か、科学的じゃないか」の違いとも言えるかもしれないけれど、ヴェルヌの読者は科学の勉強のために読んでいたわけではあるまい。「科学的」という論拠があるのであれば、『ソードアート・オンライン』は驚くべき最新の科学技術を採り入れてストーリーの骨子が作られているのであり、『ソードアート・オンライン』を読むことも手を叩いて容認されるべきであろう。

 

ラノベは国語の勉強にならないから駄目?

 「ラノベは極めて平易な言葉でわかりやすく書かれているから国語の勉強にならない」という意見もあるかもしれないが、私の知る限り、全くそんなことはない。仮にそうだとしても、東野圭吾のミステリーだって平易な言葉で書かれている。東野圭吾は非難されるどころか「本を読むと眠くなるけれど東野圭吾の作品だけは夢中で読める」という評価も散見されるわけで、であればラノベだって非難される所以はない。

 平易な言葉という意味では、極端な例で言えば黒田夏子『abさんご』はどうだ。殆ど平仮名で書かれた短い物語だけど、きっと教室でこの芥川賞受賞作を読んでいたら先生に褒められるに違いない。少なくとも「ラノベなんて読むのはやめなさい」のように「『abさんご』なんて読むのはやめなさい」とは言われないだろう。

 

ラノベは想像力を喚起しないから駄目?

 「ラノベは高校生などの身近な人物が主人公であることが多いから想像力を喚起しない」という意見もあるかもしれない。だけど、青春文学の古典・山田詠美『ぼくは勉強ができない』を読んでいて非難されることはない。

 また、ラノベの最大の特徴として挿絵があるという点がある。表紙や文中に登場人物がきちんとした画で描かれるので、読み手の想像力の欠如を促すということである。笑止千万。たった数枚の挿絵だけで想像力が欠損されるわけないのである。本を全く読まない大人よりはずっといい。

 

ラノベは倫理観を損なうから駄目?

 「ラノベは戦ったり人が容易く死んだりするから倫理観が損なわれる」という意見もあるだろう。だけど人がどんどん時に残虐な手段によって殺されるミステリー小説が非難されることは決してないどころか、エロ・グロ・ナンセンスを極めた江戸川乱歩の作品なんて日本文学の古典として崇められている。江戸川乱歩を読んでいても恐らく怒られない。

 

ラノベはテンプレ展開だから駄目?

 「ラノベのストーリー展開はほぼテンプレ通りだから、ラノベを読む人はラノベ展開の物語しか読めなくなる」という意見もあった。でもこれは一般的な小説にも当てはまるのではないだろうか。

 どのストーリーにもある程度の定石があって、そこから逸脱すると読者は不安になって離れてしまう。もちろん、その逸脱を筆力によって読ませるのが作家の力量の見せ所なのだけれど、全ての本は売れるために出版されるわけだから、ある程度の似たようなテンプレ展開になることは必定である。

 それにラノベ読者だって作者だって編集者だって怠惰ではないのだから、似たような作品ばかりで似たような話が続けば「あーこんな話は前にも読んだ」と辟易してしまうだろう。

 また、私は「とにかく文字を読む習慣をつけることが重要である」と考えているので、ラノベ読者がラノベ以外の文字を読まなくなるとは思っていない。

 

そもそも文学は崇高なものか

 「ラノベ批判」の真意は「ラノベは低俗、それ以外の文学は崇高」という観念によるところが大きいように思う。

 だけどみんな大好きドストエフスキーだってそもそもは新聞・雑誌連載の大衆小説家であるし、ジュール・ヴェルヌにも「子供向けで低俗」との非難があった。夏目漱石『坊っちゃん』は破天荒な教師が新任先の学校でドタバタする学園コメディであると見ることもできよう。

 「小説」なるものは歴史上においてずっと賞賛され続けてきたものではない。今でこそ「読書は素晴らしくて、マンガやゲームは駄目なもの。ラノベも駄目」という風潮があるけれど、かつては小説も悪とみなされていた時代があった。

■小説を書く者、劇詩を作るものは公衆に毒を盛る者なり。(1666年)

 ―ピエール・ニコル

 
■女性の健康を害するすべての原因のうちで最も大きいのは、ここ百年で小説が無限に増えたことである。(1840年)

 ―ルイ・ヴイヨ

 
■小説の読者の大半は軽薄な婦人である。(1884年)

 ―ギュスターヴ・クローダン

 
■書物が街だけでなく田舎にまで行き渡ったことで、荒野で羊番をする少女でさえ、頭巾の中に悪い小説を隠すようになった。(1922年)

 ―フェルナン・ローデ

『珍説愚説辞典』(J・C・カリエール & G・べシュテル編、高遠弘美・訳)より

 上記引用文注における「小説」には、現在古典として崇められる作品も含まれるに違いない。

 現在私たちが有難がって崇拝する「古典文学」と呼ばれるものは、かつては「低俗」「悪」「害」と非難の対象としての側面があったということを示している。当たり前の話だが、古典は昔から崇められた古典ではなかったのである。であれば、今ここまで支持されているラノベについても未来の古典になりうるとは思えないだろうか。

 大人気ライトノベル『やはり俺の青春ラブコメはまちがっている。』は、文芸評論家・近畿大学非常勤講師である町口哲生氏によって「J・D・サリンジャーの『ライ麦畑でつかまえて』の主人公、ホールデン・コールフィールドが高校に留まっていたらこういう展開になったかもというほどの作品で、何年後かには青春小説の古典となりえるだろう」と評されている(『教養としての10年代アニメ』ポプラ新書、P96)。

 今たまたま古典・正統と呼ばれているものを崇拝して推奨し、未来に古典・正統となる可能性のあるものを排斥するというのは偏った考え方のように思えるのである。

 

まとめ:ラノベだって構わない、文字を読むのは素晴らしいこと

 別に私は古典と呼ばれるものを弾劾したいわけではないし、文学の正統を破壊したいわけではない。ライトノベルを賞賛したいわけでもない。ちなみに私はラノベの熱心な読者ではない。

 私はただ、ライトノベルだって立派な読書であると言うことを声を大にして言いたい。それは前述の通り、文字を読むという行為の訓練になると思うからである。将来、何か興味のあるものができた際に、本を読んで知識を取り入れるためのハードルが下がると思うからである。

 
 また、文字を読む習慣がないと生きていく上で損をすることが多いように思う。例えば、現在、スマホ料金を安く済ますための決定的な方法は大手キャリアから格安SIMに乗り換えることだけれど、殆どの人がスマホ料金を節約したいと思っているにも関わらず「やり方がわからないから」という理由で高い基本料に甘んじている。

 「やり方がわからない」に対する唯一の解決法は「自分で調べて、説明を読む」ことである。手元のスマートフォンで調べて、そこにある文字を読むだけ。全然難しいことではない。それなのに「やり方がわからない」と言いつつ「携帯料金が高い」と文句を言っている姿には閉口する。文字を読む習慣があればこんなことにはなっていないはずである。

 
 子供の頃、親に「勉強しろ」とは言われなかったが「本を読め」とは良く言われ、本棚には買い与えられた本が何冊かあった。だけど私はそんなものは一行も読まずにテレビゲームに熱中していた。たまたま大人になって読書をするようになったけれど、世の中には本はおろかたった数行の文字にさえ目を通さない大人もいる。

 それに比べれば、現在のラノベ読者は遥かに立派であると思うのである。

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