飄々図書室

【書評・読書感想文】本にまつわるあれやこれや

「気持ちが一番強い人が勝つ」は本当か。その因果関係と生存バイアスを探る

      2017/09/22

Photo by Maqix

 
 特にスポーツにおいてよく聞かれる「勝とうとする気持ちが一番強いチームが勝つ」とか「気持ちで負けないことが大切だ」などの言葉に違和感があった。重要なのは技術や戦略であり、気持ちなどという形のないものは勝敗に関係ないのではないかと思うのである。

 極論、プロチームと小学生チームが対戦した場合、どれだけ小学生チームに「勝ちたい気持ち」があったとしても力の差は歴然としているから、その「気持ち」とやらは勝敗には何の関係もないだろう。あるいは、プロ同士の戦いの場合、誰もが勝利を心から渇望しているのであって、「勝とうとする気持ちが一番強いチームが勝つ」という言葉は負けてしまったチームに対して失礼である。

 従って、「気持ち」なんてものは勝敗に介入されるべきものではない。と結論づけたいのだけれど、もう少し深く考えてみよう。

 

戦略家でさえ「気持ちが大事」と言っている事実

 私が「もしかしてその『気持ち』ってやつは蔑ろにできないのではないか」と思い始めたのは下記に挙げる2冊の本によるところが大きい。

遠藤保仁『自然体』小学館新書

 そこで重要になるのが「気持ち」だ。
 ワールドユースを経験した20歳前後の頃は、「気持ちなんて」と思っていた。テクニック重視で、「いかに動かないでラクしてサッカーできるか」としか考えていなかった。それが悪いのかと言えば、そうじゃないと思うけど、テクニックを駆使して個人でやるには限界があるし、独りよがりのプレーに走ってしまうとチームに迷惑をかけてしまう。
 「気持ち」の重要性に気づかせてくれたのが、オシムさん(イビチャ・オシム)だった。
 それは、俺のサッカー人生、最大の発見だった。

『自然体』(遠藤保仁、小学館新書、P171)

 サッカー元日本代表遠藤保仁選手である。情熱家というよりも知的な戦略家であり、熱くなっているところをあまり見たことがない印象を受ける。ところが、サッカーを続けるうちに「気持ち」が極めて重要であると気付いたというのである。

 

サンドウィッチマン『敗者復活』幻冬舎

 今のサンドウィッチマンがあるのは、「運命を動かす力があったから」とか「いい出会いをしたから」と言われることもある。
 確かにそうだろう。でも、運命も縁も、気持ちが強くなきゃ、引き寄せられない。自然の流れとか、偶然の積み重ねで成功した、と言う考え方に、僕は抵抗したい。
 気持ちのない奴に、人生は変えられないんだ。
 サンドウィッチマンがM-1で優勝できたのは、4239組の中で”気持ち”が最も強かったからじゃないか。(富澤たけし談)

『敗者復活』(サンドウィッチマン、幻冬舎、P273-274)

 2007年M-1グランプリにおいて、サンドウィッチマンという当時殆ど無名のコンビが劇的に優勝した。サンドウィッチマンのコントは計算尽くされていて、非の打ち所も微塵の隙もない。ネタを主に作っているのは寡黙な富澤さん(ボケの方)であるが、そんな富澤さんでさえ「M-1で優勝できたのは”気持ち”が最も強かったから」であると言っている。

 

「気持ちが一番強い人が勝つ」は因果関係か?

 ここで「気持ちが一番強い人が勝つ」を真面目に分析してみよう。つまり、「気持ち」と「勝つ」は因果関係なのかどうかを検証していく。

 2つのことがらのうち、片方が結果となって、もう一方が結果として生じた場合、この2つのあいだには「因果関係」があるという。一方、片方につられてもう片方も変化しているようにみえるものの、原因と結果の関係にない場合は「相関関係」があるという。

『「原因と結果」の経済学』(中室牧子・津川友介、ダイヤモンド社、P26)

 「因果関係」の誤謬についてわかりやすい例を上の本から挙げてみよう。

「体力を付ければ学力が上がる」は因果関係か

 「体力のある子どもは学力が高い傾向にある」ということが統計的に確認されている。嘘のような話だが本当だ。子どもの体力テストの点数が高い都道府県では学力テストの正解率も高いというれっきとした事実がある。

 さて、これは因果関係だろうか。

 「体力」と「学力」が因果関係にあるということは「体力が高いから学力が高い」ということである。つまり極論「体力をつけさえすれば(全く勉強しなくても)学力を上げることができる」ということである。もちろんそんなわけはないので、「体力」と「学力」は単なる相関関係であるとみなすことができる。

 ではなぜ「体力のある子どもは学力が高い傾向にある」という事実が生まれるのか。それは例えば、親の教育熱心さの影響が挙げられる。熱心な親は子どもにスポーツを習わせると共に勉強もきちんとさせるだろうから、体力が高くなり同時に学力も上がる。つまり、学力に影響を与えていたのは体力ではなく、「親の教育熱心さ」という第3の要因が学力にも体力にも影響を与えていた可能性が考えられるということである。(前掲書P2-3)

 

「気持ちが強ければ優勝できる」は因果関係か

 本題である。「気持ちが強ければ優勝できる」ことは因果関係だろうか。

 結論から言えば、どう考えても因果関係ではない。なぜなら、サッカーもM-1グランプリも「気持ちの強さ」が数値化されて勝敗が決まるものではないからである。サッカーは多く得点を上げたほうが勝つのであり、M-1グランプリは一番面白かった(と審査員に採点された)コンビが優勝するからである。

 M-1グランプリの審査員が気持ちの強いコンビに高得点を付けているという話は聞いたことがないし、そのような事実もなさそうである。第一、気持ちの強さは数値化し比較できるものではない。従って、気持ちの強弱は勝敗には全く関係ない。

 ではなぜ「気持ちが一番強い人が勝つ」という迷信みたいなものがまことしやかに語られてしまうのだろうか。

 

生存バイアスによる誤謬

 「生存バイアス(生存者バイアス)」とは、生き残った者を基準として評価してしまうためにもたらされる誤りのことである。バイアスとは「偏り」のこと。

 物事を公平に見極めるためには全員の意見を平等に取り入れて精査するべきである。だけど、世間では勝者の言葉だけが大々的に流布し、メディアに取り上げられ、本として出版されることで圧倒的に私たちの目に付きやすい状況にある。で、私たちはそれに触れて「なるほど」と感動したり感化されたりする。逆に、敗者や脱落者の意見には誰も関心を持たないから、目につくような状況にない。

 

体罰を美化する生存バイアス

 よく取り上げられる生存バイアスの例に「体罰」がある。

 成功者がインタビューなどで「今の自分があるのは学生時代の厳しい教育のおかげ。今の教育はぬるすぎる。体罰は必要だ」と発言するのをよく耳にする。確かにその人にとっては体罰が人生にポジティブな影響を与えたのだろう。個人の感想としてはそうなのかもしれない。

 だけどそれを一般化できるかと言えば疑問が残る。なぜなら、体罰を受けてトラウマになった人や体罰が嫌な思い出として残り続けている人のことが考慮されていないからである。勝者の意見だけが大きくなってしまい誤った結論を導きかねない典型である。

 

長時間労働を美化する生存バイアス

 他にも、「俺の若い時には1週間寝ないで仕事をするなんて当たり前だった。その頑張りのおかげで今の出世した自分がある。だからお前もそういう気持ちで頑張れ」なんて若手社員に説教をかます上司もいるかもしれない。「なるほど」と納得してしまうのは尚早である。

 これには「1週間寝ないで頑張ったこと」と「出世した」ことが本当に関係があるのかが不明であるという重大な問題がある。毎日定時で帰って健全な環境で仕事をしていたらもっと出世していたかもしれないではないか。あるいは、その成功者の陰で1週間寝ないで仕事をした結果、体調を崩して退職に追い込まれた人も多くいたかもしれない。1週間寝ないで仕事を頑張ったけれど出世できなかった人もいたかもしれない。

 「出世した」という成功者の意見を鵜呑みにしてしまうと誤った結論に至りかねないのである。

 

「気持ちが一番強い人が勝つ」における生存バイアス

 そう考えると、「気持ちが一番強い人が勝つ」というのは個人の感想としては間違いではないものの、一般化できるかと言えば疑問符の付くものであると考えることもできる。

 その陰には誰よりも強い気持ちを持ちながらも敗れていった人たちもいただろう。脱落者が何を言っても聞き入れてもらえないが、勝者や実績のある人が「大事なのは気持ちだ」と言えば「なるほど」と思える。ただそれだけのことに過ぎないのではないか。

 但し、私は本稿において「気持ち」を持つことを否定するものではないし、前述の遠藤保仁選手とサンドウィッチマンの言葉を全否定するつもりは全くない。むしろ私はファンである。彼らは本当に「気持ちが大事」であると思っていて、そのために勝者になることができたのだろう。

 では、「気持ちが一番強い人が勝つ」の真意とは何なのだろうか。

 

「気持ちが一番強い人が勝つ」が意味するものとは?

仮説1. 第3の要因が存在する説

 「気持ちが一番強い人が勝つ」というのは因果関係ではないと先に結論付けたが、同じく前述の「体力のある子どもは学力が高い傾向にある」を因果関係として捉えてしまう誤謬は、第3の要因(専門用語で「第3の変数」「交絡因子(こうらくいんし)」)を見過ごしていたことによるものであるとした。

 「気持ちが一番強い人が勝つ」にも第3の変数が存在し、それが「勝つ」ことに影響を与えているのではないだろうか。

 
 例えば、「自信」。自信があることによって勝利が射程範囲内にあるようなマインドになる。それが「気持ち」に結びつき、自信があれば前だけを見て修練することができるから結果的に技術が高まり「勝つ」ことができる。

 あるいは「才能」。才能があればある程度は努力をしなくても選抜されるから、そのステップアップ自体が「気持ち」を増幅させ、「勝利」を呼び込む。

 「努力」というのもあるかもしれない。努力の過程が、こんなに努力しているのだから絶対に勝つという「気持ち」に昇華し、努力によって技術は着実に向上するから「勝利」を手にすることができる。

 

仮説2. 「気持ち」自体が第3の変数である説

 あるいは「気持ち」自体が第3の変数であると考えることもできる。勝者とは、既に勝った実績のある者のことである。つまりは、勝者であること自体が技術や実績があることの証左である。

 従って、「勝つためには技術が重要だ」なんて言うのは誰の目にもわかりきったことであり、敢えて発言するに相応しくないし、発言する価値もそんなにない。従って、何か他のこと(第3の変数)に転嫁しようとして「気持ちが大事」と言及するのではないか。

 

仮説3. 全部まとめて「気持ち」と言っている説

 勝利を呼び込むには多様な要素が絡み合う。勝因は一つに限定できるものではないのである。従って「技術」「努力」「信念」「運」など、そういうものを総括して一言で「気持ち」とまとめあげているという考え方もできる。

 

まとめ:気持ちだけで勝つことはできないが、勝つためには気持ちは疎かにできない

 いずれにしても、気持ちだけで勝つことはできない。だけど、真剣勝負であれば気持ちがなければ勝つことはできないのだろう。つまり「気持ちが一番強い人が勝つ」においては、「気持ち」は「勝つ」ための必要条件であって、十分条件ではないと言える。

 気持ちは確かに大事だけれど、それだけが勝つために必要なことではない。だけど逆に言えば、気持ちだけで勝つことはできないものの、勝つためには気持ちは疎かにできないということである。「絶対に勝つという気持ち」が決して無駄なものではないということだ。

 
 「気持ちが一番強い人が勝つ」というのは一種の詭弁であり一般化できるものではないけれど、成功者による感想としては一理あるものであり、「勝つという気持ち」が無意味なものであるとは言えない、というのが本稿における結論である。

 - コラム