飄々図書室

【書評・読書感想文】本にまつわるあれやこれや

恋の悩みはこの男に聞け『恋愛指南』オウィディウス【著】

      2016/04/30

恋愛指南―アルス・アマトリア (岩波文庫)

 紀元前のローマ時代に生きた色男にして恋愛マスターを自称する詩人オウィディウスによる恋愛指南書である。彼の経験豊富さに裏打ちされた恋の技術が遺憾なく記されてある。

誰にもせよ、この民のうちで愛する技術を知らぬものあらば、これを読むがよい。(略)技術によって帆と櫂をあやつってこそ、船は海面をすみやかに渡るのであり、技術によって戦車も軽やかに走るのである。技術によって愛もまた支配されねばならない。

 冒頭の一文からいきなりアクセル全開だ。ものすごい自信と上から目線。
 日本語訳が秀逸なことに助けられて、とてもおもしろくて読みやすいし、オウィディウスの自信家っぷりがキャラクターをしてしっかりと位置づけられている。オウィディウス様に恋愛なるものをご教授頂いていることをはっきりと自覚しながら読み進めることができる。
 船と戦車と恋愛を並列に配置し、全て技術が要請されるのだと乱雑に言い切ってしまうところも痛快だ。「なるほど」と思わざるを得ない。詩人としての知性とメタファーを駆使して、彼は本書をものにしたのである。

 その恋愛のテクニックとやらを気まぐれに引用してみよう。

よくあることだが、お目当ての女性の膝に塵が落ちかかるようなことがあったら、指で払い取ってやらねばならぬ。たとえもし塵など全然落ちかかってこなくとも、やはりありもせぬ塵を払い取ってやりたまえ。なんでもいいから、君が彼女に尽くしてやるのに都合のいい口実を探すのだ。

涙もまた役に立つ。涙でならば、鉄石心をも動かすことができよう。(略)涙が浮かんでこなかったら――涙というものは都合のいいときにいつでも浮かんでくるわけではないから――ぬらした手で眼をこすっていたまえ。

だが体調を崩して床に臥し、気候の悪さが体に障って病がちであったとしよう。そんなときこそ、意中の女性に対する君の愛と誠実さとを存分に見せつけるのだ。そんなときこそ、後に大鎌をふるって刈り取るほどの種をまいておくことだ。

 こうして見てみると今も昔も恋のテクニックというものは大して変わりがないことがよくわかる。我々は何千年もの間、同じことを繰り返して一喜一憂しているに過ぎないのだった。
 そう考えれば、冒頭の「技術によって愛もまた支配されねばならない」という一文が俄然説得力を増して迫ってくる。むしろ、船も戦車も現代においては当時と比べ物にならないほど技術が進歩してしまったが、こと恋愛に関してその技術は当時で殆ど完成されてしまったと言っても言い過ぎではないかもしれない。

 恋愛において最も厄介で狂おしい事象は恋敵の存在だが、オウィディウス自身、「正直に言ってしまうが、この技術においては、私にしても完璧は期しがたい。(略)私の目の前で誰かが私の愛する女に合図を送ったりしたら、それに耐えられようか」と述べている通り、彼自身でさえ、嫉妬においてはなかなか自分を制御し難いものがあるようである。
 その反動からか、恋敵に対する筆は剣のように鋭いものがある。

恋敵の存在は、辛抱強く我慢することだ。勝利は君の手に帰するであろう。

これこれの食べ物はいけないと言ったり、苦い煎薬の入った盃を飲ませようとしてはならない。そんな盃は君の恋敵にでも調合させておくことだ。

「奥様がおすこやかであられますように」「奥様とお休みになられる方もおすこやかに」などと言うがいい。だが口には出さぬ心のうちでは、「この旦那めはくたばるがいい」と祈ったらよかろう。

 
 また、恋愛マスターたるオウィディウスにも若かりし頃はあったようで、彼自身の過ちについて書かれている次の一文には人間味があって私はなかなか好きである。

私はかつて逆上して、愛する女の髪をぐしゃぐしゃにしてやったことを覚えているが、そんなふうに腹を立てたばかりに、なんと多くの日を無駄に潰してしまったことか。(略)されば君たちは、ものをわきまえているならば、師匠たる私の過ちを避けたまえ。

 本書を読んで驚くのは、古代ローマ時代、恋愛はかなり自由なものであったということである。のちに宗教によって世界が支配されるようになるにつれ、恋は不自由でストイックなものへと変貌していくようである。
 本書『恋愛指南』は、必ずしも男性向けの恋愛テクニック集になっているわけではない。三部構成になっており、第三部は女性向けに書かれている。少し引用してみよう。

化粧品の入った箱を机の上に出しっぱなしにしているところを、愛する男に見つからぬようにすることだ。それとわからぬようにしてこそ、化粧の術も顔を美しく見せるのだ。

伊達男ぶりと美貌に得々としている男や、髪をきちんとなでつけているような男は避けることだ。こういう男がそなたに向かっていうことばは、もう千人にも言ったことばで、その愛ときたら移り気で、ひとつところにとどまることはないのだ。

女たちよ、優美な、だが普通一般に使われることばを書くことだ。ごく普通の話しことばが歓迎されるものなのだ。

 本書『恋愛指南』を世に問うた後、ローマ文学の不朽の名作『変身物語』によって名声の絶頂期にあったオウィディウスは、突然、皇帝アウグストゥスにより島流しの刑にされ、そこで孤独死した。『恋愛指南』によってローマに風紀紊乱をもたらしたことが一因であったとされる。

恋愛は戦いの場である。もたもたしている奴らは退却しろ。


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