禁酒セラピー小説「下戸の超然」(『妻の超然』所収) 絲山秋子【著】

妻の超然

 20代後半、私は酒ばかり飲んで過ごしていた。
 毎日自宅で限界までひとりで晩酌をし、意識がうつろになった未明にようやく睡眠し、翌朝、やや酒の残ったまま仕事に出かけていた。
 現在は週に数日だけ嗜む程度に改善されたが、それは生活環境が変わったことと、絲山秋子の『下戸の超然』なる短編小説を読んでしまったことに起因するように思う。

 主人公は酒の飲めない男だ。生い立ちなどが語られた後、今田美咲という恋人ができるところから物語は本題に入る。
 交際当初は気持ちが盛り上がり、彼女から「結婚」という言葉が聞かれると少し疎ましくなり、という定石な展開だが、この短編にはそこに酒が絡んでくる。
 別に彼女はアルコール依存症なわけではない。ただ、彼といる時にお酒を飲んでふわふわと楽しそうにしているというだけである。ただ、お酒の飲めない彼にとっては、その彼女の気持ちがさっぱり理解できないのだった。

 主人公の男は、酒飲みの彼女を鋭く観察している。
 やや批判的な彼の心理描写を読む度、酒飲みの私の心は鋭くえぐられた。シラフの人から見れば、自分はこういうふうに見られていたのかと衝撃さえ受けた。
 幾つか引用してみよう。

 美咲が僕といるときだけ酒に依存しているように思った。飲み始めた美咲はユニークな彼女自身であることをやめ、曖昧になった細胞膜から酒を吸収し、同化し、酒に溶けてしまうかのようだった。
 彼女は寂しがり、甘えた。不安がった。しかし僕から見たそれは酔っ払い特有の非個性的な感情表現に過ぎなかった。

「帰るのが寂しいから飲むの」
 と彼女は言う。
「ずっと一緒にいたらきっとそんなに飲まないよ」
「そうかなあ?」
「ねえ」
「うん?」
「いつか一緒に住めるよね」
「一応考えてるよ」
「ちゃんと考えてよ」
「そうだね」
「頼りないなあ」
「僕は頼りないよ」

「なんか一人で飲むのも寂しいな」
 新しい氷をグラスに入れて、モルトの続きを飲みながら彼女は言った。その言葉は僕に向けられたものではなかった。彼女は僕の部屋で飲みながら、たった一人でいるような顔をしていた。
「無理に毎回、飲まなきゃいいだろ」
 僕はゲームを片付けながら言った。
「んー、でも飲んだ方がなんか、空気がまるくなるっていうか。自分も無理しないでいられるし」
「そう?」
「広生も飲める人だったら良かったのに」

 

 また別の日には美咲は飲んで饒舌になる。陽気だが神経質だ。

 

「だめだよ、今日は」
 僕のベッドは二人で眠るには狭い。翌日寝不足になってしまう。 
 何より僕はいつまでもだらだら飲む彼女を見ていられない。
「せっかくリラックスしているのに」
 いいや、それはだらしないと言うんだよ。

 言うまでもなく、『下戸の超然』は酒飲みや酔っぱらいを糾弾するための小説ではない。
 主人公の男は、殻に閉じこもりがちで自ら行動することは少ない。対する彼女は、ボランティア活動を積極的に行い、旅行にも行きたがる。相反する性格だ。
 その性格の齟齬を表すひとつの象徴として下戸と酒飲みという道具をメタファーとして用いたに違いない。

 彼女が飲むのに文句をつけたことは一度もない。飲んでかまわない。全然かまわない。
 ただ、僕に求めるな。僕にポジティブを、僕に不毛を求めないでくれ。

 
 私もそういう性格なのか、主人公の男には共感する部分が多くあった。
 それだからか、酒飲みに対する厳しい視線は増してグサリと心に刺さるものがあったのだった。

 つい一人で深酒をしてしまって困っているという人は、この短編によって心にグサリと何かが刺さって、目を覚ますことができるかもしれない。

 ちなみに、作者の絲山秋子さんはお酒が大好きだそうである。
 お酒が好きなのに、よくこんな物語を書けたなと感心してしまった。