私が思う若くあるための2つの秘訣『オッサンになる人、ならない人』富増章成【著】

オッサンになる人、ならない人 (PHP新書)

 「オッサンにだけはなりたくない」と思い始めたのはいつからだろうか。
 恐らく20代前半、社会人とやらになってしまって、大人に触れる機会が増えてからのことと思われるが、もしかしたら、それ以前からオッサンなるものに対しては禁忌の念を敏感に抱いていたのかもしれない。

 そして、30代前半の今、私は「オッサンになってしまうかもしれない」との危機感を抱いている。
 ただ単に「30」という避けられぬ数字の積み重なりを見てそう思うのかもしれない。
 「30代になったらだいぶ変わるよ」と周りの大人たちがしみじみと語りかけるせいかもしれない。
 あるいは、私自身の変化、具体的には「ひとつのことに熱中できなくなった」「時間が足りない気がする」「甘いもの、味の濃いものが食べられなくなった」などのせいかもしれない。

 いずれにしても、私は「オッサンにだけはなりたくない」という情熱はいまだに胸に秘めながらも、ふと頭をよぎる「オッサンになってしまうかもしれない」「もうオッサンなのかもしれない」に怯えて暮らしているのだった。

 とはいえ、オッサンとは何か。その捉え方は千差万別だ。
 「つまらないギャグを周辺一帯に撒き散らすのがオッサン」だと思う人もいれば、「趣味をなくして休日は家でゴロゴロしているだけなのがオッサン」と定義する人もいるかもしれない。「ハゲは皆オッサン」という過激な向きもあるだろう。

 今、不安に耐え切れずにAmazonで衝動的に買ってしまった『オッサンになる人、ならない人』という書籍が手元にある。
 「こういう言動をするとオッサンだよ」という事象が膨大に挙げられていて、無駄に危機感を煽ってくる代物である。
 オッサンへの変貌に怯えてばかりいても仕方ないので、本書に挙げられている事象から、

 ・私が考えるオッサンとはこういうものだ
 ・これをしたからといってオッサンとは言えまい

 と思うものたちをピックアップし、私見を綴っていこう。

 

■私が考えるオッサンとは

1. 「最近の歌はわからんなぁ」と言う
 よくある例である。
 「昔の歌のほうが良かった」「昔のゲームのほうがおもしろくて良かった」「パソコンやインターネットなんてない時代のほうが良かった」とかいった言葉が放たれているのをよく聞く。
 ここで問題なのは、「良かった」と決めつけている点であると思う。
 例えば、「最近の歌は電子音とかがごちゃごちゃしてるから、昔のシンプルな歌のほうが「好き」」と言うのならわかる。嗜好の問題だからだ。
 昔だろうと今だろうと、リスナーに支持された曲がヒットするのに変わりはないから、昔のほうが「良い」わけなどないのだ。むしろ今のほうが音楽は多様化しているから、自分の好みの歌を探し出すチャンスなどいくらでもある。
 ゲームにしたって、昔よりもグラフィックの向上、ユーザビリティの改善、ロード時間の短縮がなされているはずなので、課金の導入やゲームソフト本数の減少などのネガティブな要素はあるものの、昔のほうが「良かった」などとステレオタイプに言えるわけはないのである。「良かった」というのは、その人にたくさんの時間があって熱中できたという個人的な記憶を頼りしているに過ぎない。
 歳を取ると、人は自分がかつて輝いていた頃の経験が無条件に増して輝いているように思い返されて、それを「良い」「正しい」と決め付けがちな傾向にあるようだ。
 これを私は「ノスタルジーへの盲目な崇拝」と名付けて、一切を弾劾することにしている。
 「パソコンやインターネットなんてない時代のほうが良かった」なんて言語道断。そんなわけない。ただ単に使いこなせないために、その恩恵に与っていないだけなのだ。

 
2. 政治・経済などに興味が向かい、自分が見えなくなる
 オッサンになると自分の内面への興味を失い、外側へと興味が向かう傾向にあるらしい。
 つまり、自分の髪型や服装、言動などよりも、政治や芸能ニュース、プロ野球などが生活の中心に据えられるようになってくるのだそうだ。
 これもよくわかる。
 私は殊更ファッションなどには殆ど興味がなく、服なんて一年に一度も買わないことさえある。しかしながら、政治はまだしも、芸能ニュースやプロ野球の話ばかりしている大人が至極つまらないとかねがね思っていた。
 個人的に遭遇したことはないのだが、「巨人が負けた次の日には機嫌が悪い」という俄には信じがたい人さえ存在したそうである。
 「夫婦喧嘩をしたから機嫌が悪い」ではない。「巨人が負けたから」だ。巨人とお前になんの関係があるのだね。
 オッサンの末期的症状であると私は考える。

 
3. いつも自分の立ち位置が正しいと思っている
 歳を取ると、柔軟な思考ができなくなってくるらしい。
 であるにも関わらず、経験はあるのだというわけのわからない自信みたいなものは本人の力量を超えて膨張し続ける。
 そういったオッサン管理職のせいで、気概に溢れ機転の効く若手社員がどれほど理不尽な目にあっているだろうか。
 柔軟性を忘れてはならない、引くことも知らなければならないと自分に言い聞かせ続けようと私は思うのである。

 
4. 何かと歳のせいにして逃げる
 コンピューターが使えないおおよそのオッサンは、それを歳のせいにする。
 「俺は歳だから覚えられない。君は若いから覚えるのが早いだろ」
 違うのである。覚えようとしていないだけ、どうすれば覚えられるかを考えていないだけだ。
 脳は使い続けている限り劣化しない。
 つまり、「歳だから覚えられない」は、「私は普段から頭を使っていませんよ」と周囲に喧伝しているようなものだ。
 若い人だって覚えられない人はずっと覚えられないのだ。

 
5. 過去の栄光を語り始める
 以上見てきたように、オッサンは過去に生きている。まして、今現在と全く関係のない過去の栄光さえ、こちらが聞いていないのに喋ってくる。
 過去は常に楽しくて、良くて、輝いている。
 反対に、新しいものはわけがわからなくて、自分とは関係がないもの。

 なるほど、私が忌み嫌うオッサンにならないための秘訣が少し分かった気がする。
 「柔軟性」と「考え続けること」だ。
 他人が自分とは違う意見でも、まずは耳を傾けて理解しようとすること。
 全く新しいことでも、目を瞑らずに向き合ってみようとすること。
 既に知っている昨日よりも、まだ知らない明日を見つめること。

 とりあえずこれらを忘れなければ、最悪の事態は免れることができると思われる。

 

■これはオッサンではないと思う

1. 気づくと独り言をつぶやいている
 ここからは自己弁護に入るが、私は独り言が多い。
 以前、人と住んでいたことがあるが、何かとても窮屈だった。自分の時間がない、自分のしたいようにできないという要素を勘案しても、何だかすごく不自由でストレスな気がした。
 ふと、気づいた。独り言が言えないからだ。
 およそ独り言というのは何か薄気味悪いものと思われがちであるし、独り言なんて聞かされたら相手も迷惑だろうと考え、無意識のうちに自粛していたのだった。
 独り言を正当化するつもりはない。何か一人でぶつぶつ言っている奴がいたら、私だって薄気味悪く思うだろう。
 だが、それはオッサンとはあまり関係ないのではないかと思う。
 ただ、私は今、この原稿を近所のカフェで書いているのだが、隣に座ったオッサンが、腰掛ける際に「よっこいしょ」と空気に向かって放っていた。オッサンだなと思った。
 よくは覚えていないのが残念だが、私の腰掛ける際に私自身が「よっこいしょ」と口にしていなかったことを願うばかりだ。

 
2. テレビも見ないしマンガも読まない
 私がテレビもマンガも読まないことを弁解するつもりはない。
 ただ、これはむしろ逆ではないだろうかと思うのである。
 著者曰く、オッサンはテレビやマンガを悪徳だと教えられてきたから、それらを嫌うと言うのだが、そうだろうか。
 晩酌でもしながらテレビを漫然と眺めて眠る時間を迎えるほうがオッサンなのではないだろうか。
 中年にもなってマンガばかり読んでいる方がむしろオッサンだと思うのだが、どうだろうか。
 ちなみに私は、テレビが嫌いなわけではないし、マンガを否定しているわけでもない。
 テレビやマンガよりもインターネットのほうが楽しいからそうなってしまっただけであって、晩酌でもしながらYouTubeを漫然と眺める私も、もしかしたらオッサンなのかもしれないとふと思うことがある。

 
3. 下ネタやダジャレを連発する
 若い人だって下ネタを連発するし、ダジャレみたいなことも言っているに違いない。
 従って、「オッサンが下ネタやダジャレを連発する」のではなく、「オッサンが下ネタやダジャレを連発すると気持ち悪い」ということなのであろうと私は考える。
 若い人もオッサンも発言の内容には大して代わりあるまい。若い人の間でさえ至極くだらない下ネタは跋扈している。
 ただ、それを誰が言うかによって周囲の印象はだいぶ違うというだけのことだ。
 若い人が言えばおもしろい、オッサンが言えばつまらない。
 これに対する解決策はひとつしかない。オッサンはなるべく黙っていることだ。

 

まとめ

 本書『オッサンになる人、ならない人』は、オッサンであるかもしれない自分を客観視させてくれる書物である。
 哲学者の言葉などが引き合いに出されていることもあり、それなりに説得力を感じることができる。

 胸を張って「安心したまえ、本書を熟読すればオッサンになることはないぞ」と言いたいところなのだが、こういった本を読んでいる時点で既にオッサンなのではないかという指摘は免れない。
 オッサンにならないために本書を導入する際には、他の誰かに見られたら有事だ。
 内容を全て覚えたのちに危険物として速やかに処理するか、本棚の奥の奥のほうに押し込んで隠匿しておくことが要請される。

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