飄々図書室

【書評・読書感想文】本にまつわるあれやこれや

ただ者ではない現代っ子の脱力エッセイ『時をかけるゆとり』朝井リョウ【著】

      2016/04/30

時をかけるゆとり (文春文庫)

 朝井リョウの代表作である『桐島、部活やめるってよ』を読んだ時、これは何かの冗談なのではないかと思った。読者を笑わそうとしているのかもしれないとさえ感じた。
 群像劇であるこの物語において、まずタイトルだけを見れば主人公であるだろうと推測される桐島が、物語内では実際には殆ど出てこないという仕組みからして、ちょっとふざけている。実験的であり、冒険であり、遊びである。

 評論家たちは、例えば、サミュエル・ベケットの偉大なる戯曲『ゴドーを待ちながら』と並べて論じていたり、「桐島=キリスト」であり神の不在を訴える小説であるなどと述べていたりしたが、それらの意見に説得力を感じることができるものの、私はどうも完全に同意できなかった。
 「桐島が出てこないという小説の構造がおもしろそうだから書いた」ただそれだけの事に私には思えるのだ。物語のクライマックスで執拗に繰り返される、意味があるのかないのかわからないような一文も、ふざけてやっているのかと本気で思い、笑ってしまった。
 もちろん、それは決してネガティブな意味ではないし、批判的なことでもない。『桐島、部活やめるってよ』は大変おもしろく読了された。
 同じく代表作の一つである『何者』でも、ツイッターのタイムラインらしきものを小説内に登場させるという、軽率かと思われるほど大胆な手法を用いてさえ、直木賞を受賞してしまった。

 朝井リョウは私にとって、ふざけているのか、真面目にやっているのか、どうも掴みどころのない作家だった。
 それがこの度、同作家のエッセイ集『時をかけるゆとり』(単行本『学生時代にやらなくてもいい20のこと』を文庫化にあたって改題)を読んで、はっきりとした。

 朝井リョウはふざけている。もちろんいい意味で。

 本屋で『学生時代にやらなくてもいい20のこと』を見かけ、ページをパラパラとめくってみたことはあった。『桐島』の人のエッセイだということはわかっていたが、それよりもそのタイトルに心を奪われた。こういったアンチ自己啓発的な書籍に、私はどうも弱い。
 逆に、真面目でいわゆる意識の高い書籍であれば、タイトルはこうなったはずだ。
 『大学時代に「しておくべき」20のこと』
 似たようなタイトルのものが、書店のビジネス書コーナーあたりに並べられているのを一度は見たことがあるだろう。
 そんなものはクソくらえだ。
 「大学時代にしておくべきこと」や「30代までにしなければならないこと」なんて、何一つないと私は考える。そんなものに縛られなければならないほど人生は長くないのだ。

 話が逸れた。
 当時、その素晴らしいタイトルの朝井リョウのエッセイは買わなかったものの、今回の文庫化に際し、手に入れたのだった。

 直木賞をいただき、痔になった。
 すごくシンプルな文章である。これと似た形式の文章として「太陽が東から昇り、西へ沈んだ」がある。つまり、パソコンの前で鎮座し続けている作家が痔になるのは自然の摂理に則っているということだ。さきほどのエッセイではクソほどカッコつけていたが、あのあとそれこそクソもできないほど尻がめちゃくちゃになったのである。神様はいる。

 直木賞などというやんごとなき賞を受けたというのに、何を言い出したんだこの人は。ふざけているとしか思えないではないか。
 上の引用文には、朝井リョウのエッセイのエッセンスが詰め込まれていると私は思う。
 知的でありながらシンプルでわかりやすい文、笑わそうとしているとしか思えない発想の展開、そして自虐。
 自虐とは言っても、「自虐ネタ」へと堕落しないギリギリのラインをすり抜けてくる。それは、自虐とはいえ文章から上品さや知性が窺い知れるからだろう。自虐自体がおもしろいのではなく、その自虐を表現する文章がおもしろいのである。

 『時をかけるゆとり』の大部分は著者の大学時代に執筆されたものであり、大学生活の描写が殆どである。文章を読む限りごくごく普通に仲間とわいわい大学生活を楽しんでいる普通の大学生だ。作家だからといって、根暗で理屈っぽい文学青年っぽさは微塵も感じない。
 エッセイなので主観で書かれるわけだが、決して楽しかった自慢やつらかった愚痴に傾倒することなく、ひとつのエピソードがひとつの物語のように書かれている。
 小説でもそうだが、朝井リョウの眼差しは常に人物に向けられている。人物を描くことに関する客観性に極めて長けた作家だ。そのため彼の物語のどんな登場人物も、読みすすめるにつれ読者の隣人や友人のように感じられてくるはずだ。
 従って、私は本書を読んだがゆえに、朝井リョウが友人であるかのように勝手に感じている。

 「寝不足で逆に元気」という最も腹の立つ定説を布教していた馬糞のような学生であったため、「そうですねえ〜コンタクトつけたままっていう日もけっこうあったりしますねえ〜」と頭をかきながら答えた。
 眼科医は甘い声で言った。
「君は愚かだね」
 これが、私と眼科医の関係を決定づける、記念すべき一言であった。

 私は絶句していた。人生で初めての完全なる絶句だった。せっかくならもっと劇的な場面で初絶句をしてみたかったものだが、いかんせん「期末試験の内容がわからなすぎて絶句」であるためなんとも情けない。
 そして衝撃的なことに、友人は涙を流していた。わからなすぎて、である。誠に残念な姿である。私はなんだか面白くなってきてしまい、「ふへへ」等と力無く笑っていると、また前の席の人から「うるさいですよ」と注意をされた。心はズタズタである。

 私はお腹が弱い。
 文字にするとなんとも情けない一行目だが、この事実は私を語る上で大変重要な項目だ。最重要といっていい。本のカバーについている著者略歴に書き加えるべきだと思う。私の正確な略歴は、「平成生まれ」や、デビュー作(単行本)のそれに加えられている謎の文言「大学ではダンスサークルに所属している」等ではなく、「岐阜県出身、5月生まれ、2009年に『桐島、部活やめるってよ』でデビュー。お腹が弱い」である。そうするべきである。

 直木賞作家の著作だからといって、肩に力を入れる必要は全くない。むしろ、著者のほうが脱力している。
 息抜きに何も考えずに本を読みたいという人におすすめである。ただ、電車の中で読むには少々危険かもしれない。

 圧倒的に無益な読書体験がこの先両手を広げて待っていると思っていただいてよかろう。



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