どこにも居場所がない男はどこへ行く『不愉快な本の続編』絲山秋子【著】

不愉快な本の続編

 絲山秋子氏は、最も好きな作家のうちのひとりである。心のどこかがぶっ壊れてしまっている人物を書かせたら、この人の右に出る者はいない。そんな人物たちの触れ合いの微妙な距離感が、なんかいい。
 不器用というのとは違う、必然的な距離がそこにはあり、例えば、『海の仙人』という小説ではそれが埋まらないままに構築されて平行線を辿り、代表作の一つである『ばかもの』ではぼろぼろになった人同士が過ぎた時間を埋め合う。

 本作は、例の東北地方の震災の後に発表され、出版されたものだが、この揺るがなさは何だろうか。
 あの川上弘美氏でさえ例の原発事故を受けて、かなり直接的な表現が過多な童話みたいなものを執筆したというのに、この著者は、変態的な性癖を持った嘘つき男がヨソ者として各地を転々とするという嘘みたいな物語を書き上げた。
 全く優しい物語ではないどころか、かなりトゲトゲしくて、どんよりとした物語である。
 一人称のモノローグで平易に書かれており、定評のある文体のリズムのためか、非常に読みやすい。

 随分昔の話だけど、闇夜に木の枯れ枝を這っていた芋虫がポトリと、古井戸の格好をしたこの世に落ちた。それがボクの誕生だった。生まれ落ちたこの世は、闇夜の井戸の底よりも絶望的に暗かった。
 (略)
 こうしてボクは出発した。一年間都内の予備校の寮に入って浪人して、大学に合格したらあとは調子にのってやりたい放題かと思われたが、どこかでボクはボクの妄想を追い越してしまったらしい。
 ほんとはどういう人間なのかと聞かれたら、不愉快な本の続編みたいなもんでしたってはぐらかすかもしれないね。それでも、芋虫の割にはがんばったんじゃないの。

 導入部分である。
 タイトルの『不愉快な本の続編』はこの部分からきている。主人公である乾という男は、同作家の過去の短編「愛なんかいらねー」(『ニート』収録)にも登場するが、『不愉快な本の続編』は独立した一つの物語として書かれている。

 なぜボクが出て行くかって、そりゃボクが生まれながらのヨソ者だからだよ。いつか、そんなこと言わなかったっけ。

 主人公である乾は、もちろん人間である。
 だた、「芋虫」だとか「不愉快な本の続編」だとか「ヨソ者」だとか表現される物語を読んでいくに従って、彼が人間なのかどうかわからなくなっていく。人間にしては、感情面における致命的な欠落が多すぎるのである。

 借金取りとしてそーゆーことはよくやるんだ。むやみにしらばっくれる奴とかもいるじゃない、そしたら早朝に出かけて行って金属バットでボンネットからなにからボコボコにしたり、ね。ケーサツなんか呼ばれないさ。次もあるって思わせておけば、根性ない奴らは怯えていうこと聞くようになるよ。

 ボクの結婚に関するたった一つのこだわりは、ウェディングドレス、というよりその素材に好き放題触れることができるってことだった。

 ボクは軽く張り倒されたような気分になって、でもそいつがどうにも快かった。まだ自分に人間らしい心が残ってることがね。

 極めつけは次の独白である。

 呉に行ったって、実家はもうないんだよ。だってボクが燃やしちゃったんだもん。
 意味なんかねー、無意味。
 別に親にも弟にも恨みなんかねーし。喧嘩して縁切ったとかそーゆーんでもないんだ。
 (略)
 やっちまったと思った。こうなったらもう、もとには戻せない。手当たり次第化繊の夏掛けとか嫁のワンピースとか引っ張って来て、火つけたんだ。
 よく燃えたよ。
 めらめら燃えた。なんであんな簡単に燃えたかね。
 ドキドキしたよ。
 怖かったけど、嬉しくもあった。
 そのうち煙くなってヤバいと思ったし、いつまでそこにいるわけにもいかなかったから、勝手口から外に出た。

 東京において居候していた女性の家から失踪するところから物語は始まる。新潟に辿り着いて結婚するが、程なく妻の元から出ていってしまう。富山に流れ着き親友の女性と再会するものの、やはり彼女からも離れていく。

 金なんてもうどーでもよかった。
 つくづくなにもかもやんなった。
 もう、ここがあの世であろうとどの世であろうといいくらい、本当にやんなった。

 秘密を共有したら次は共犯かよ。ボクはもうウンザリだ。

 

 そのようにして海の見える街を転々とするものの、どれもこれも行き当たりばったりで支離滅裂だ。前進するためではなく、生きるためでもなく、何かから、ともすれば自分から逃げるようにして彼は放浪する。
 心の底から誰とも分かり合えないまま(或いは、分かり合えないと一方的に決めつけたまま)、分かり合えないと判断するやいなや、「行かなくちゃいけなかった」「行くしかない」「逃げなきゃいけない」と、自分の中の何かに追われるように彼は姿を消す。

 これまでの絲山作品の主題がそうであったように、本作も「人と人との距離・関係」が描かれているのだと思う。
 この主題の炙り出し方は『ばかもの』での描かれ方に似ている。極端な状況における究極の関係性だ。
 『ばかもの』ではぼろぼろになった二人が最後にはわかり合ってハッピーエンディングを迎えるが、本作『不愉快な本の続編』ではそうはいかない。究極に異端な性質を持つ乾は、結局、誰とも心を通わすことができずにひとりでさまよう。

 これほど感想を一言で表せない物語も珍しい。共感から嫌悪感まで、様々なことが読後に頭を駆け巡る。
 その上、締めくくりの言葉、

 だけど言葉を失ったボクに対して「誰がモデルなのかしら」と言うのだけはやめてくれ。じゃあ、あんたのモデルは一体誰なんだ?

 というのは、何かのメッセージなのだろうか。急に「あんた」と呼びかけられるので、とても驚いたのだった。
 この部分を含むラストシーンを読み返しては、しばらく茫然としてしまった。深い余韻がいつまでも頭のなかを響いた。