飄々図書室

【書評・読書感想文】本にまつわるあれやこれや

社会不適合者の軽妙な日々『そんな日の雨傘に』ヴィルヘルム・ゲナツィーノ【著】

      2016/11/19

そんな日の雨傘に (エクス・リブリス)

 駄目人間に強く惹かれるのだが、この小説の主人公もかなり駄目である。
 本作は2004年にドイツ最高の文学賞ビューヒナー賞を受賞のほか、数々の賞を獲得した作品である。

 毎日、何の役にも立たない空想をして過ごしている中年の男。靴の試し履きで小銭を稼いで暮らしており、あらゆる事物を観察しながら街をうろついている。まともな職に就くつもりはないらしい。
 物語はモノローグで語られ、偏屈な男の取り留めもない思考とつぶさな観察とで大半が占められる。

 掃除機をかける母の非在は死のごとし。母親は先端にブラシのついたノズルをしきりに車の下にさしこんでいて、子どもと顔を合わせるのを避けている。まちがいなく、この母は掃除機を愛しているのだ、なぜなら、掃除機は自分を近寄りがたくさせるのに多大な貢献をしているから。母は掃除機である、掃除機は母である。彼女は夫とも顔を合わせないが、ふたりが掃除機に変身していることには、夫のほうはとうに慣れっこになっている。やや! とんだ掃除機評論家になってしまった。

 

 男は、同棲していた女性に出ていかれたため、半ば絶望的な気分であり、増して、彼は自分で自分の〈存在許可〉を出した覚えがないのにこの世に生きさらばえてしまってしまっているという憂鬱な観念から逃れることができない。
 曰く、〈消えたい病〉らしい。
 この感情の吐露は本文中に繰り返し忘れない程度に出てくるので、本書のテーマのうちのひとつと言って差し支えないだろう。

 私みたいな人間は、古家みたいに消えてなくなるか、改築されよ、と告げられてしかるべきだという感じ。この感じは、しばしば陥るある気分と結びついている。つまり、自分は、自分の心の許可なくこの世にいる、という気分。正確に言うと、私はずっと、誰かが、きみはここにいたいかい、と訊いてくれるのを待ち続けている。もしも、たとえばきょうの午後、この許可を私が出せたらどんなにいいだろう。私が誰に出すのかはさっぱりわからないが、この場合それはどうでもいい。

 頭がくりひろげる埒もない考えから逃れるすべがないので、きょう二度目の外出をするのだ。だけど、いつもかも気を逸らした人生を送れるわけじゃないぞ、と小声でひとりつぶやく。〈消えたい病〉だけじゃなく、おまえはなにか別の情熱を持たなくちゃならんだろうが。といいつつ、自分への毒舌を聞いているのはなかなか心地がいい。

 今にも死んでしまいそうな思いを吐き出し続ける男だが、反面、その語り口は極めて軽妙である。収入が減り、生活がままならなくなりつつあるというのに、緊張感があまり伝わってこない。
 それどころか、頭の中はずいぶんと楽しそうなのだ。
 空想といっても、ドン・キホーテのような仰々しいものではなく、部屋に落ち葉が敷き詰められていく光景だとか、こんなことを言ってやったらあいつはどんな顔をするだろうかとか、本当にどうでもいいことを深く掘り下げて考えては、「何やってんだ俺は、もっとまともな金になるようなことでも考えたらどうなんだ」と自分に言い聞かせるのである。
 ずいぶん傲慢なくせに何やってんだこの人は、と笑ってしまった場面もあった。

 私は床に眼をやり、あっちこっちにたまっている綿ぼこりをじっと眺める。ほこりってのは、なんておかしなくらい知らないうちに増えるのだろう! ふいに、いまの自分の人生を形容するのに、〈綿ぼこり化〉という言葉がぴったりだと思い付く。まるっきり綿ぼこり的に、私もはんぶん透きとおっていて、芯がふにゃふにゃで、見た目従順で、度外れになつきやすく、おまけに口数が少ない。最近、ひとつまた思いついた。私を知る人ないし私が知る人全てに、〈沈黙時間表〉を送ろうかしらというもの。その表には、私がいつ喋りたいか、いつ喋りたくないかが、正確に書いてある。沈黙時間表を守らない者は、私とまったく喋ることができない。月曜と火曜は、終日〈連続的沈黙〉だ。水曜と木曜は、午前中のみ〈連続的沈黙〉、午後は〈ゆるやかな沈黙〉、これは短い会話や短い電話は許されるということ。金曜と土曜のみ、制約なしで会話する用意があるが、ただし十一時以降。日曜は〈まったき沈黙〉とする。本当のところ、沈黙時間表はあらかたできあがっていて、ほぼ送るばかりになっていた。すでに封筒にタイプで住所まで打ってあるのだ。

 このあいだ、そこの歯科助手がお日様並みの明るい声で、お宅様の新しい歯が来ました! と電話してきた。私はたちまち言葉を失った。歯科助手は繰り返した、お宅様の新しい歯が来ました! こんな文が私にむかって発せられようとは、夢にも思わなかった。(略)だが、私が実際に行くかどうかはきわめてあやしい。それよりも、歯科助手が私から沈黙時間表を送りつけられる可能性のほうがずっと高そうだ。

 かくのごとき空想のせいで、私はいまだに生活能力のある人間になれないのだ。嘆息。あまりにも自分がちっぽけな、ヘマな人間だから。これが飛び去った白昼夢の残した最後の教訓だ。おまえの脳味噌はなんだっていつもいつも、誰も乗ってこないつまんないことを考える? (略)こんな素っ頓狂なことで金が稼げるだなんて、いい大人がなんで思える? 高圧クリーナーの男と数枚の落ち葉から、なんでこんなトチ狂った方向に行く? いいかげん、他の人間をうなずかせるようなアイデアを思いついたらどうだ? それも人が金を出すアイデアを、大至急!

 男は人生の面妖さ(不思議さ)について思いを浸しながら、哲学的な思索を繰り広げたり、愛について語ったりしながら、街とベッドルームを行き来する。
 普段から取り留めもないことをひとりごちているにも関わらず、時々、ハッとさせられる一文に出会うこともある。

 物語は、幾人かの女性たちを交えながらゆるりと展開していく。劇的な展開はない。
 結末はこの手の純文学にありがちな曖昧なものだが、それでも希望はある。面妖な人生は続く。

 落ち葉は、いまからからに乾き、丸まったり、縮んだりして、印象的な形になった。この刹那、どうして自分が落ち葉の部屋を切々と求めたのかがはっきりわかる。この世にせめてひとつでいい、自分がおびえずにすむ空間が欲しかったのだ。なにものも私に近寄りすぎない、私に要求を出すことのできない空間が、せめてひとつ欲しかった。落ち葉のあいだを歩き回っていれば、何かをきちんとしなければならないという感情すら消えていく。落ち葉の部屋は、私のけっこうずる賢いかもしれない魂の発明品に相違ない。

 僕の不在感が去っていくんだ、きみもそう思わない? 自分の人生を傍観しているようなことは、もうしたくないよ。外の世界が僕の中のテクストに合うのを待っているのはもうやめだ! 自分の人生を盲目のまま通り過ぎていくのはやめるんだよ!

 手許に置いておいて、落ち込んだ時にでもページを捲れば、何やってんだこの人は、と少し元気が出るかも知れない。
 少なくとも私は、何やってんだこの人は、と思うことができたのだった。

 
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 - 小説, 駄目男への讃美