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奔放で緻密な語り口『予告された殺人の記録』ガルシア・マルケス【著】

      2016/11/20

予告された殺人の記録 (新潮文庫)

 これはミステリー小説ではない。

 自分が殺される日、サンティアゴ・ナサールは、司教が船で着くのを待つために、朝、五時半に起きた。

 読者は書き出しの一行目で、この物語ではサンティアゴ・ナサールなる人物が殺されることを知らされる。あまりにも唐突である。
 読み進めればすぐの20ページ目で、その犯人がビカリオ兄弟であることも書いてある。ただ、動機はまだこの時点では書かれていない。

 その店に、サンティアゴ・ナサールを殺そうと待ち構える二人の男がいたのである。(略)彼らは、パブロ・ビカリオとペドロ・ビカリオという、双子の兄弟だった。

 惨殺されることになるサンティアゴ・ナサールが、人の恨みを買うようなことは何もしていないこともわかってくる。彼は、町を上げての婚礼の騒ぎの翌日、ビカリオ兄弟に公衆の面前で殺害される。
 サンティアゴ・ナサールに生命の危機が訪れつつあることは、町の殆ど全ての人が知っていた。なぜなら、ビカリオ兄弟がナイフを片手に「あいつを殺してやるんだ」と会う人の全てに吹聴していたからである。ある人は「そんなことできるわけないよ」とすぐに忘れ、ある人は「酔っぱらいのたわごとだよ」と相手にしなかった。
 それでもまたある人は「彼らは本気だ」と危険を察知し、あらゆる手を尽くしてナサールを救おうとするが、結局のところ、サンティアゴ・ナサールは果たして殺されてしまうのだった。

 小さな村で起こった実話を元にした小説である。
 冒頭にも書いた通りミステリーではないし、厳密にはノンフィクションでもない。
 やたらと登場人物が出てくるが、群像劇でもない。登場人物たちの殆どは、事件の輪郭を明らかにするためだけに登場するのであり、彼らについて深く掘り下げられることはないからである。主人公のいない小説だ。

 ガルシア・マルケスは小説家であるが、小説家というよりも「語り手」と表現されるのをよく見かける。
 本作で私もわかった。
 小説というよりは、そこにあるのは「物語」、もっと言えば「語り」である。

 

読了できるだろうか不安に思ったのも束の間

 『予告された殺人の記録』は、150ページほどの中編である。全体は標題のない5つのセクションにわけられている。

 第1セクション。読み始め、何が何だかわからない。
 マリア・アレハンドリーナ・セルバンテス、プラシダ・リネロ、ビクトリア・グスマン、ディビナ・フロール――、聞き慣れないいちいち長い名前の人物が唐突に次々に登場し、サンティアゴ・ナサールが殺害される日の有様が多面的に報告されていくのだが、読者にはこれから起こる事件の概要をまだ知らされていないので、いきなり迷宮に迷い込んだような気持ちになる。目印も標識もない樹海の中をあてもなく歩かされているような。ナサールが殺されるというゴールが見えているのが唯一の救い。
 しかも過去・未来・現在の話が縦横無尽に、且つ流れるように語られるのには驚きながらも面食らってしまった。
 こんなに短い小説なのに先が思いやられるぞ。大丈夫か、俺。

 実は私、ガルシア・マルケスの代表作『百年の孤独』を半分くらいで挫折してしまった苦い経験があるのだった。とにかくわけがわからなかったという記憶しかないのである。
 それでも読みたいガルシア・マルケス。
 『予告された殺人の記録』なら、短いし、簡単に読了できるだろうと打算していたのだが、二の舞いか…

 

奔放で緻密な語り

 なんて思いながらも読み進めて行くと、第2セクションのあたりから急におもしろくなってきたのだった。

 第1セクションで細切れで語られていた事象が、次第にストーリーとして輪郭が把握できるようになってきたため、そして、作者ガルシア・マルケスが何をしようとしているのかがわかってきたのだ。

 作者は、小説内での語り手である「わたし」にこの物語を語らせようとしているだけ、ただそれだけに過ぎないのではないかと思い始めたのである。

 第1セクションでは、いきなり何の紹介もなくわけのわからない人物たちが次々に登場してきて面食らったが、それは語り手がそう語りたかっただけなのだ。
 話の脱線のように思える過去・未来をごちゃ混ぜにした語り方もそう。そのように読者に話したかったのだ。

 もちろん、ガルシア・マルケスは本作を自身の最高傑作とみなしており、その所以は、この複雑な物話を150ページという短さにまとめたことからもわかる通り、極限まで肉をそぎ落としつつも、思い通りに書き上げることができたという点にあるのであろう。全てが計算されていて、緻密に描き上げられたということだ。
 従って、語り手である「わたし」は、決して適当・自由奔放・荒唐無稽・出鱈目に物語を語っているのではない。

 自由奔放に語っていると見せかけて、実は巧みに計算され尽くしている。

 

その語り口

 これは単なる「語り」なのだ、と気づいてからはどんどんおもしろくなっていった。
 本から物語が話しかけてくるのである。
 読者はただ静かに耳を傾ける。

 小さな町でなぜサンティアゴ・ナサールは実際に殺されてしまったのか。
 事件に遭遇した「わたし」が綿密な調査のもとで解き明かした人間模様と偶然の重なり、主要な登場人物たちの後日談を、数十年後に本書で語ったという設定である。

 レポートを聞かされているようでもありながら、人間模様は活き活きとしている。
 実話を元にしているというリアリズムでありながら、どこかファンタジックな趣きも感じられる。

 中でも印象的なのは、婚姻して幸せになるはずだったバヤルド・サン・ロマンとアンヘラ・ビカリオの後日談である。
 彼らの婚礼の翌日、ひとつの悲劇の後にナサールは殺害された。同時に、彼らの結婚も破談になった。

 引き裂かれたふたりのその17年後。
 ナサールの事件報告書のような冷徹な語りを維持しつつも、幻想のように美しいシーンが待っている。
 嘘か本当かなんてどうでもいい。ただただ美しく、感動した。
 これも愛というやつの一つの形なんだな。

 彼は着替えの詰まった旅行カバンのほかに、もうひとつ同じものをもってきていた。それには彼女が彼に書き送った、二千通余りの手紙が詰まっていた。手紙は日付の順に束ねられ、色つきのリボンで縛ってあったが、すべて封は切られていなかった。

 

ガルシア・マルケス入門書として

 『予告された殺人の記録』は、ノーベル賞作家にして、20世紀最高の語り手とも評されるガルシア・マルケスの入門書として最適である。
 150ページという読みやすい長さ、文庫本であること、非常にわかりやすい物語であること。

 ともあれ、私は憧れのガルシア・マルケスを一冊読んだ。しかも、おもしろく読めた。
 この自信を胸に、次は『百年の孤独』に再び手を伸ばそうかと思っている。少なくとも死ぬまでには、その物語に圧倒されたい。

 
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