飄々図書室

【書評・読書感想文】本にまつわるあれやこれや

【書評】『終わりの感覚』ジュリアン・バーンズ【著】

      2016/04/30

終わりの感覚 (新潮クレスト・ブックス)

 我々の最大の関心事は「時間」と「記憶」であると断言して差し支えないだろう。
 だからこそタイムマシンに憧れを抱くのだし、「記憶を消したい」だなんて思うのである。

 だけれど、タイムマシンなんてないし、記憶は消せない。
 それどころか、覚えていてしかるべきことを簡単に忘れてしまう。いとも簡単に。
 時間の経過によって、記憶は風化する。

 ここにも時間と記憶のミステリーに取り憑かれた男がひとり。
 『終わりの感覚』の語り手、トニーである。

 人は時間の中に生きる。時間によって拘束され、形成される。だが、私自身はその時間を理解できたと感じたためしがない。(略)秒針ほどあてになるものはないのに、一方で時間は伸び縮みする。ほんのちょっとした喜びや痛みがそれを教えてくれる。ある感情には時間の進行を速め、ほかは遅らせる。ときには時間が消失したかに思えることもあり、そして最後にはほんとうに消失して、もうもどらない。

 

あらすじ

 物語は二部構成となっている。
 前半はトニーの青春時代の回想であり、後半はトニーの老後である。

 トニーには、高校時代、エイドリアンという友人がいた。大変に頭がよく、常に論理的・合理的に行動する男だった。トニーはエイドリアンを一目置いていた。
 ふたりは別々の大学へ進学。頻繁に連絡を取り合うわけではなかったが、たまに会って遊んだり、手紙のやり取りをしたりする程度の付き合いが続いた。
 トニーには、大学でベロニカという恋人ができた。エイドリアンにも紹介したし、彼女の実家にも招かれた。短くない時間を共に過ごしたが、彼女の掴みどころのなさに辟易し、トニーは別れを切り出す。

 エイドリアンから手紙が届く。「ベロニカと交際することを許して欲しい」という内容のものだった。トニーには、嫉妬やら怒りやらのどうすることもできない感情が沸き起った。簡単に手紙を返信して、そのことはもう考えないようにした。
 エイドリアンとベロニカの交際は順調なようだった。しかし、エイドリアンは突然に自殺してしまうのだった――。

 トニーの老後へと時間は飛ぶ。
 エイドリアンは、死の直前、とても幸せそうにしていたと共通の友人が言っていた。果たして、そんな人間が自殺なんてするものだろうか。なぜ彼は死を選んだのか。
 加えて、ベロニカの母親は死に際して、500ポンド(数万円程度)と死の間際まで書かれていたエイドリアンの日記をトニーに遺した。なぜベロニカの母親がエイドリアンの日記を持っていたのか。
 後半部分では、二つの謎が解き明かされていく。

 

純文学畑の静謐なミステリー

 前半の回想では、語り手であるトニーの「…だったと記憶している」「…というようなことを書いた」という表現が散見される。つまり、トニーの完全なる主観での回想であるということだ。彼が覚えていることを書いている/語っているだけ。
 読者には物語のごく前半部分で、これは記憶と時間に関する物語であるということが明示されているので、「このトニーとかいうやつの記憶はあてにならないぞ」と半信半疑で読み進めることになる。なかなか緊張感がある。

 後半は、何も知らないトニーが真相を追い求めるため、読者もトニーに共感しつつ、自分勝手さにうんざりしつつ謎を追う。

「あなたはほんとにわかってない。昔もそうだったし、これからもきっとそう」

 前半で示唆された通り、トニーは重要なことをすっかり忘れている。馬鹿野郎。

 だけど、彼を責めることなんてできるだろうか。もうやってしまったことなのだし、彼の防衛本能によってそれは忘れ去られた。トニーは強い人間だ。
 それなのに、トニーよりも強いと思われていたエイドリアンは、あっさりと死を選んでしまった。
 トニーと友人たちは、エイドリアンは論理的・合理的考えた結論として死を選んだのだろうと当時は片付けた。真相はわからないが、あのエイドリアンのことだからそうに違いない。人生という名の舞台から潔く姿を消したのだ、勇敢な男だ、と。
 果たしてそんな人間が存在するだろうか。

 

老いの精緻な描写

 後半部、引退生活を送るトニーの思索が特に印象に残った。衝撃的な結末よりも、むしろ私はその精緻な文章に惹かれた。
 とはいえ、これを書いている私は現在30代であり、共感なんてする余地もないのだが。
 説教臭くない独白、決して暗くならない独り言、のようにただぶつぶつ言っているだけのところに好感が持てたのかもしれない。

 老いがどんな痛みや惨めさをもたらすものか、若いころはわかった気でいる。孤独、離別、死別――想像できる。子供たちが成長して去り、友人たちも次々に死んでいき、社会的な地位は下がり、欲望は減退し、欲望の対象からも外れていく――それも想像できる。もう少し先へ進んで、間近に迫る死を見つめる若者もいるかもしれない。残る仲間をいくら呼び集めようが、死には独りで立ち向かうしかない。そこまでは若くても想像できる。だが、結局、それは先を見ているに過ぎない。先を見て、その地点から過去を振り返ること――それが若者にはできない。

 これが、若さと老いの違いの一つかもしれない。若い時は自分の将来をさまざまに思い描く。年をとると、他人の過去をあれこれと書き替えてみる。

 私は――人生を注意深く生きてきた私は――人生について何を知っているだろう。人生を勝ち取りもせず、失いもせず、ただ起こるに任せてきた私は? 人並みの野心を持ちながら、その実現をあまりにもはやくあきらめ、それでよしとしてきた私は? 傷つくことを避け、それを生き残る本能と呼んだ私は? 勘定をきちんと払い、できるだけ誰とでも仲良くし、恍惚も絶望もかつて小説で読んだだけの言葉に過ぎなくした私は? 自己叱責が決してほんとうの痛みにならない私は……? 私は特別な悔恨に堪えながら、これらのことを考えつづけなければならない。これまで傷つくことの避け方を知っていると思ってきた男が、まさにその理由から、いまとうとう傷つこうとしている。

 

おわりに

 もしタイムマシンがあったら、トニーは過去へ戻っていることだろう。
 でも、そんなものはない。起きてしまったことは受け入れるしかない。

 時間は残酷だ。そして、記憶はその不確かさにおいて、もっと残酷で、横暴だ。

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