飄々図書室

【書評・読書感想文】本にまつわるあれやこれや

スマホのせいで学力低下した? 相関関係と因果関係は全然違うぞ

      2016/11/29

【画像】スマホのせいで学力低下した? 相関関係と因果関係は全然違うぞ

 頭ではわかっているんだけど、つい誤りがちなことの一つに「相関関係と因果関係」がある。
 相関関係があるからといって、それは必ずしも因果関係ではないよ、ということである。

 以下、大変わかり易く説明されている書籍『運は数学にまかせなさい』(ジェフリー・S・ローゼンタール著)から引用しつつ説明していこう。
 それを元に「スマホと学業成績の関係は因果関係ではないのではないか」という個人的見解を説明していこうと思う。

 

相関関係と因果関係は違う

 喫煙についてあまり詳しく知らない研究者がいたとしよう。それでも彼女は、肺癌の原因を突き止めたいと思っていた。肺癌の患者には指に黄色い染みができている人が多いことに、彼女は気づくかもしれない。もちろん、ほんとうは、肺癌も黄色い染みも喫煙が原因だけれど、それをしらなければ、勘違いして、指の黄色い染みが肺癌を引き起こすと結論する可能性がある。
 こうした誤った結論からは、あれこれと面倒なことが起きかねない。親は子供に黄色いクレヨンを使わせようとしないだろう。指に黄色い染みができて、癌にでもなったらたいへんだ。喫煙者は、安全にタバコを吸うためにゴム手袋をするようになるかもしれない。

 上記引用は極端な例だが、極端だからこそその危険さが浮き彫りになる。

 タバコを吸うのが習慣になっている人には、タバコを挟む人差し指と中指に黄色い染みができる。
 それと同時に、タバコを吸う人は肺癌の発症率が高い。

 黄色い染みと肺癌は紛れもない相関関係である。
 つまりは、指に黄色い染みがある人は肺癌の発症率も高い。これは事実。
 上記の研究者はそこに着目して「そうか、黄色が肺癌の原因だ。黄色は危険だ」と誤って結論付けつつあったのだった。

 もちろん、肺癌の原因は黄色ではないことを我々は知っている。
 肺癌の原因は有害なタバコの煙を肺に吸い込むことである。
 それこそが因果関係なのだ。

 何をわかりきったことを、と思うかもしれない。
 そんなこと間違えるわけないじゃないか、と思うだろう。

 だけど、それはタバコが有害なものだとわかっているという前提があるからこそ判断できるである。

 

テレビと犯罪率は因果関係? 相関関係?

 本書『運は数学にまかせなさい』では、もうひとつ非常にわかりやすい例が挙げられている。

 現在では、テレビを見る時間が長い人ほど、平均して、暴力犯罪を起こす可能性が高いことを示す調査がいくつもある。

 これが問題提起である。
 テレビを見る時間が長い人ほど暴力犯罪を起こす可能性が高い、という事実がある。

 これは因果関係だろうか? 相関関係だろうか?
 考えてみて欲しい。

 そうか、とあなたは思うかもしれない。これでわかった、悪いのはテレビだ。テレビで暴力シーンを見て感覚が麻痺した人が凶暴になるのだ、と。

 以下、答え合わせ。

 でも、そうだろうか? 一般的に言って凶暴になりがちなのは、たぶん不幸な生い立ちだったり問題のある家庭で育ったりした人たちだ(大きな絶望感を抱いているうえに、親の監視も行き届かないことが原因だろう)。そして、彼らは長時間テレビを見る傾向もある。ほかの気晴らしをするお金がないから、あるいは、もっと有意義な趣味があることをほとんど知らないからだ。調査からは、暴力とテレビとの相関関係が疑問の余地のないほどはっきりと浮かび上がるけれど、暴力の根本的な原因は明らかにならない。やはり、相関関係があっても、因果関係があるとは限らないのだ。

 ここでは暴力とテレビについては相関関係はあれど、はっきりとした因果関係は認められないということを言っている。
 引用文中で「大きな絶望感を抱いている」とか「もっと有意義な趣味があることをほとんど知らない」とか書いてあるが、それも推測に過ぎない。

 ここで示されることは、暴力の根本的な原因は明らかにならないけれど、少なくとも「テレビが原因である」とみなすにはあまりにも頼りないということである。
 確かに相関関係はあるけれど、それがイコール因果関係であると結論付けることは必ずしもできないのだ。

 

スマホと学力低下は因果関係ではない(と私は思う)

仙台市教育委員会と東北大学による「学習意欲の科学的研究に関するプロジェクト」は19日、“平日にLINE等の無料通信アプリを使用すると、睡眠時間や家庭学習時間には関係なく、使用時間に応じて学力が低下する”とする調査結果を発表した。
 (略)
「平日に30分未満しか勉強しない」生徒の場合、通信アプリを使わない(スマホや携帯を持っていない)生徒の数学の平均点は約61点だが、3時間以上使う生徒の数学の平均点は50点以下に急激に低下していた。そのため、勉強時間にかかわらず、「通信アプリの使用時間が長くなるほど生徒たちのなかから、学校で習得した学習内容が消えてなくなった」と考察。「分析を行った研究チームとしても、非常に衝撃的な結果」だとしている。

 RBBTODAY 2015年3月20日

 スマートフォンと学力低下についての要旨は下記に集約される。

 
・スマホを使用する時間が長い児童・生徒ほど学力は低い

・家で勉強をするけれどスマホを使用する時間も長い生徒は、家で勉強をしていないけれどスマホもあまり使用しない生徒よりも学力が低い

 
 なかなか衝撃的な調査報告である。
 特に勉強しているにも関わらずスマホを長時間使用すると学力が低いという結果については保護者に「スマホって恐い」と思わせるに充分であろう。

 私は統計学者ではないし脳科学者でもないので、スマホと学力低下にどんな関係があるのか/関係がないのかについてはわからない。
 ただ、それを因果関係だと言い切ってしまうのは結論を急ぎ過ぎではないかと思うのだった。

 

学習意欲の低さが原因では?

 私が思うのは、それは本当にスマホが原因なのかということである。
 学力の低い子どもからスマホを取り上げたら、その児童・生徒の学力は向上するだろうか。

 私にはそうは思えない。

 スマホの代替品なんてたくさんある。
 マンガやテレビゲーム、テレビ、読書、パソコンによるネット閲覧だってできる。何もしないでボーッとしていることだってできる。

 つまりは「スマホの使用時間が長ければ長いほど学力が低下する」根本原因は、「スマホの使用時間が長い子どもはそもそも学習意欲が低い」ためであるから「スマホを取り上げたとしても学力が向上するとは限らない」と思うのである。

 従って、悪いのはスマホではない。そもそもの学習意欲の低さが原因である。
 そうは考えられないだろうか。

 

勉強時間と学力はそもそも関係ないのでは?

 勉強とは、取り組んだ時間の問題ではなくて集中力の問題であると私は考えている。
 一日30分をしっかり集中して勉強するのと、一日2時間をながら作業をしつつだらだら勉強するのとでは効果に雲泥の差がある。当然ながら、前者のほうに軍配が上がる。

 同じく授業を受けていても成績の良い者とそうでない者とに分かれるし、塾に通っている人の成績が必ずしも良いとは限らない。
 繰り返すが、勉強は取り組んだ時間の問題ではない。
 集中力を維持しながらコツを掴んで効率的にこなすことこそ効果的な勉強法である。

 従って、上記調査における「勉強時間」による児童・生徒のカテゴライズは説得力に欠けると私には感じられる。

 家庭での学習時間が30分未満である生徒は、学校で充分な知識の習得ができていたから家で勉強する必要がなかったのではないだろうか。

 家庭で勉強はするけれどスマホも長時間操作している生徒は、学校でもスマホを操作しながら授業を受けているから学習内容が頭に入っていないのではないか。

 だとすれば、そもそもスマホに夢中で授業を聞いていないのだから「通信アプリの使用時間が長くなるほど生徒たちのなかから、学校で習得した学習内容が消えてなくなった」というのは間違いである。
 消えてなくなったのではなく、そもそも授業に集中していないために頭に入っていないのだ。
 授業中に爆睡している生徒の成績が低い傾向にあるのと同じである。

 そうは考えられないだろうか。

 

スマホと言えど、ためになることだってできる

 上記の引用では「LINE等の無料通信アプリ」を使用すると学力が低下すると書いてあるからいいようなものの、世間一般では「スマホ=悪」というような風潮がある。
 つまり、スマホ自体が悪の原因になっていると短絡的にヒステリックに考える人が少なくないと実感している。

 単なる娯楽で無意味と思われているスマホと言えど、青空文庫で著作権切れの本を読むことだってできる。
 非常に頭を使う論理ゲームを無料でダウンロードしてプレイすることだってできる。
 わからないことや疑問に思ったことは検索ですぐに調べることができる。
 テレビや新聞では知ることのできないニュースを知ることができる。
 思い付いたアイデアをすぐにメモすることができる。

 そう考えると「スマホ=遊び=悪」とみなすのはあまりにもステレオタイプで暴力的な考え方ではないかと思うのだ。

  *

 もちろん、これらは私の考えの一つに過ぎない。
 もしかしたら、マンガでもテレビでもテレビゲームでも娯楽小説でもなく、まさにスマホが脳に悪影響を与えていると科学的に実証される日が来るかもしれない。

 だけど、少なくとも私には今のところ「スマホ=悪」という因果関係はちょっと受け入れがたいと思うのだった。

 

【余談】なぜ「スマホ=悪」と思えないか、2つの個人的な見解

かつての「ゲーム脳」と同じではないか

 私は小学校から高校くらいまで家ではずっとテレビゲームをしていた。家で勉強など1分たりともしなかった。
 スーパーファミコンに始まり、もちろんニンテンドー64やプレイステーションも買った。
 スーパーマリオ64に熱中し、ファイナルファンタジー7には衝撃を受けた。

 にも関わらず、自分で言うのもアレだけれど学業成績は優秀だった。
 塾にも通わず、受験勉強など全くしないでゲームばかりしていたというのに県内の進学校と呼ばれる高校に合格し、これまた受験勉強など殆どせずに県外の公立大学に現役合格した。

 当時からゲーム脳ということは喧々と言われていた。
 「ゲームをしているときには実は脳は殆ど使っていないから馬鹿になる」とか「ゲームのせいでバーチャルとリアルの区別がつかなくなる」とか。
 もちろん、当時もゲームと学力低下の関係についての調査結果は公表されていた。
 上記スマホの調査と同様にして「ゲームを長時間すると学力が低下する」と書かれていた。

 しかし、今になってはどうだろうか。
 ゲームが脳を活性化させ、特に認知症予防になるとする研究結果は山ほど出てきている。

 要するに、時を経て「ゲーム脳」は嘘だと暴かれたわけである。
 それを考えると、今回の「スマホ脳」とでも言うべき研究結果についても疑問の余地が残るというわけである。

 少なくとも「スマホ=悪」ではないのではないか。
 私が家で山ほどのテレビゲームをやりながらもそれなりの学業成績を収めていたことを論拠に話すけれど、ゲームやスマホが原因で学力が低下したのではなく、学習意欲や集中力の差によって学力に差が生じるのではないかと思うのである。

 私やその他の成績が良かった者は、たまたま勉強にそれなりの興味が持てたというだけのことである。

 

スマホは素晴らしいツールである

 かつて国内で最初に爆発的に認知されたスマホはiPhoneだった。3Gというやつだったと思う。
 社会人だった私はそれを電機店の店頭で見かけるや「自分が欲しかったのはこれだ!」と思い、すぐにそれまでのガラケーから乗り換えた。

  *

 私の父は、私の幼い頃に「わからないことは自分で調べなさい」と言って、私に国語辞典を買い与えた。
 私はこれを大層気に入って、分からない言葉があればすぐに調べて悦に浸ったものだった。
 今となっては本も少しは読むようになったけれど、子供の頃は本なんて全く読まなくて上述の通りゲームばっかりやっていたのだったが、国語辞典とその後に買ってもらった漢字辞典はよくページを捲っていたのを覚えている。
 「わからないことは自分で調べなさい」の教えの通り、読み方の見当もつかない漢字をどうにかして漢字辞典で探し当てることのできた時の快感は計り知れないものだった。

  *

 私の思うスマホの超絶に素晴らしい点の一つは「わからないことをすぐにその場で手軽に調べることができる」点であると思う。私もそこに魅力を感じて購入に踏み切った。
 最高の集合知であるインターネットに手元からたった数秒でアクセスして、疑問に思ったことをすぐに調べて、知識を広げることができる。
 好奇心を刺激することができる。素晴らしいことではないだろうか。

 もちろん「検索に頼りすぎると自分で考える力がなくなる」という批判もあるだろうけれど、私はそうは思わない。
 好奇心を満たすことができるということが、自分で考える力を身に付ける第一歩だと思うからである。

 様々に検索していると、中には検索で答えが出てこない事象も存在することがわかる。
 私は先日、とある珍しいとされる植物を買ってきたのだがその名称で検索をかけても詳しい育て方が全然ヒットしないのだった。

 こういう事態に遭遇すると、わくわくする。
 自分で考えて、色々試してやってやろうという気になるのである。

 あくまでも個人的な見解だけれど、私にはどうしても「スマホが悪い」とは思えないし、思いたくないのだった。

 

まとめ

 人は新しいものを恐れる。
 当然のことである。危機管理能力というやつだろうか。

 かつてのテレビゲームは新しく登場したものであり大人には理解できないものであったが故に、無条件に「ゲーム脳」などと言われて弾劾の対象になった。
 私にとって幸運だったのは、私の父もゲーム好きだったということだ。

 そして現在のスマホである。
 新しいものを恐れるあまりに直感で物事を判断してしまうと、相関関係と因果関係を読み誤ってしまう。間違った結論に達してしまう。
 新しいものが理解できないのはわかるけれど、それについて理解しようともしないで一方的にイメージだけで非難するのはどうかと思うし、そういう大人にはなりたくないなと思うのだった。

 
▼参考文献&文中引用

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