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【書評】何者にもなれなかった平凡な僕たちのための物語『ここは退屈迎えに来て』山内マリコ【著】

      2016/11/21

ここは退屈迎えに来て (幻冬舎文庫)

 実を言うと私はこの短編小説集『ここは退屈迎えに来て』を正常に評価できないでいる。
 それは1983年生まれ、2016年現在33歳である私にとって二つの意味でストレートに突き刺さる物語群だからである。私情を抜きにしては読めない。

 

世代がストレートに突き刺さる

 話は逸れるが、村上春樹の作品で冒頭にいきなりヤナーチェクのシンフォニエッタが出てくる小説があった。
 ヤナーチェク(1854-1928)とはチェコ出身のクラシック作曲家であり、「シンフォニエッタ」は彼の代表作である。

 クラシック愛好家でなければヤナーチェクだなんて人物は聞いたこともないだろうし、ましてその「シンフォニエッタ」もテレビなどのメディアでガンガンかけられる楽曲でもない。大部分の人にとっては聴いたことのない曲だ。
 その小説『1Q84』が発売された当初、その影響でヤナーチェク「シンフォニエッタ」の収録されたCDが飛ぶように売れたらしいけれど、一体どれだけの人が「シンフォニエッタ」に、あるいは『1Q84』に心を動かされたかは不明だ。
 少なくとも私にとっては何の感興ももたらさないことであった。

  *

 そもそも私は小説内にあからさまな固有名詞を登場させることがあまり好きでない。文学作品は普遍性をもって書かれるべきであるという思いが根底にあるようなのだ。
 従って「ガスト」ではなく「ファミリーレストラン」、「iPhone」ではなく「携帯電話」、「シンフォニエッタ」ではなく「音楽」と書かれるのが好ましいという個人的な嗜好がある。

 しかしながら、『ここは退屈迎えに来て』である。
 やられた。

 携帯よりポケベル、ネットより雑誌という、いまから思えば素朴な時代。私とサツキちゃんは、イケてるわけでもなったくイケてないわけでもない、中途半端な女子高生だった。毎日のようにプリクラで散財、ZipperとCUTiEを立ち読みし、HEY!HEY!HEY!は超おもしろくて、いまの嵐のポジションにはKinKi Kidsがいた。

 そうそう、そうですそうです。そんな時代があった。青春真っ只中だった。
 HEY!HEY!HEY!は超おもしろかった、毎週見てた。
 ネットなんてなかった。ケータイサイトとやらがかろうじてあったくらいである。

 私のために書かれているのかというくらいに懐かしワードがどんどん出てくるのだった。
 そう、懐かしすぎて小説の良し悪しが正常に判断できないのです。

 ちなみに本書『ここは退屈迎えに来て』は2012年に単行本として発売されているので、こういった懐かしワードは完全に狙って書かれている。
 つまり私は、あるいは私の世代は狙われたというわけである。

 

 合格発表の掲示板を見てすぐ、公衆電話からまなみ先生のPHS(ピッチ)に報告を入れた。

 PHS! ピッチ!
 そんなのあったな。私が最初に持った携帯電話もPHSだった。高校の時だ。

 

 東京から地元に戻ってもう十年近い須賀さんは、刻々と廃れゆく街の景色に絶望しきっている。彼は青山ギャラリーで仲間とグループ展をやったり、友だちとインディーズでCDを出した、古き良き九〇年代をしみじみと語る。そして私に、地方都市に戻って来た文化系くずれの肩身の狭さを切々と訴えた。
「俺がこの数年でどんだけEXILEのバラードをカラオケで聴かされたか、お前わかるか?」

 この部分、『ここは退屈迎えに来て』のテーマと言っても差し支えない。

 舞台は地方都市。ヒーローでもヒロインでもない登場人物。サブカル崩れで、どこか冷めている感じ。世間に馴染めない感じ。

 少なくとも私にとってはヤナーチェクの「シンフォニエッタ」なんかより、「俺がこの数年でどんだけEXILEのバラードをカラオケで聴かされたか、お前わかるか?」というフレーズのほうがグッとくるのだった。
 「EXILEのバラード」という言葉でこんなにも哀愁を感じさせることができるなんて。

 

境遇がストレートに突き刺さる

 だって田舎町を抜け出したものの私は、何者にもなれず幸せも見つけられないまま、また元の田舎町に戻って、とうとう三十歳になってしまったんだから。

 この部分に共感できるなら『ここは退屈迎えに来て』は買いである。読んで損はない。

 私事になるが、大学を卒業して新卒で就職したものの二年半で挫折。再就職するが再び挫折。ニートみたいなものを経てなんとか今に至る。
 つまり、本文になぞらえて言えば「何者にもなれずに幸せも見つけられないまま、学生時代に住んでいたことのある地方都市に引っ越して、とうとう三十歳を超えてしまった」のである。
 人生に対してあまり振り返らない性格であるものの、時々「一体こんなところで何をやってるんだろうか」とふと思うことがある。
 後悔ではない。なんとなくである。

 もしかしたら誰もがそういった思いを抱えているのかもしれないけれど、この短編小説集の舞台である衰退しつつある地方都市というのが登場人物の、そして読者たる我々の心情を具現化したようで誠に絶妙である。

 東京が舞台ではいけなかった。地方都市でなければならなかったのである。
 これは「かつては賑わっていたけれど、今はすっかり寂れてしまった地方都市」における、「かつての青春時代は輝いていてそれなりに楽しかったけれど、今ではヒーローにもヒロインにも何者にもなれずに漠然と日々を悶々と過ごす我々」の物語だからである。

 

マイルドヤンキーにさえなれなかった僕たちの物語

 道の両サイドにはライトアップされたチェーン店の、巨大看板が延々と連なる。ブックオフ、ハードオフ、モードオフ、TSUTAYAとワンセットになった書店、東京靴流通センター、洋服の青山、紳士服はるやま、ユニクロ、しまむら、西松屋、スタジオアリス、ゲオ、ダイソー、ニトリ、コメリ、コジマ、ココス、ガスト、ビッグボーイ、ドン・キホーテ、マクドナルド、スターバックス、マックスバリュ、パチンコ屋、スーパー銭湯、アピタ、そしてイオン。

 2014年、マイルドヤンキーという言葉が誕生して、あちこちでよく聞かれたのを覚えている。
 マイルドヤンキーとは「地元志向が強く、同じ仲間で同じような場所に集まってわいわいと昔話などを繰り返すことを好む(ことに疑問を抱かない)若者」というような定義である。

 生まれた街から出ずに、ずっとその狭い場所に収まりながら、いつも同じ友だちと同じような下ネタでゲラゲラ笑いあっている人たち、と言うとイメージできるだろうか。

 『ここは退屈迎えに来て』の登場人物たちは自分が生まれた地方都市の中で、マイルドヤンキーにさえなれなかった者たちである。
 あるいは「マイルドヤンキーになどなるまい」と必死にあがいている人物たちである。

 そう、何者にもなれなかったけれど、たしかにここに生きている僕たちの物語がここにあるのだ。

 
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▲「ハスビーン=かつては何者かだった奴」という意味。こちらも何者にもなれなかった人のための物語だ。

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