飄々図書室

【書評・読書感想文】本にまつわるあれやこれや

自分の頭で考えるって何?知識の一歩先を目指すための2冊の参考書より

      2017/01/20

自分のアタマで考えよう
知的複眼思考法 誰でも持っている創造力のスイッチ (講談社+α文庫)

 確か高校生の時に受けさせられた何かのテストの結果、私は思考力が0点だった。

 たまたま運が悪かっただけかもしれないが、思い当たる節はあった。中学生になったあたりから急に自我が芽生えたのか、引っ込み思案に輪がかかってしまい、殆ど自分の意見を主張しないようになってしまった。別に悪いことだとは思わないし、コンプレックスでもない。

 ただ、当該テストの「思考力ゼロ」結果にはやや衝撃を受けた。『ゼロ秒思考』ではない。「思考力ゼロ」である。

 短所を克服するよりも長所を伸ばしたほうが合理的だと思った。
 私は記憶力が人よりも少し長けていたことを知っていたので、思考よりも知識を習得を目指した。頭の中にたくさんの知識があれば、問題に直面した時にいずれかの引き出しを開けるだけで解決に導くことができると思ったのである。考える必要は最低限で済む。

 そうして社会人になったある時、自分が何も考えていないことに気づいたのだった。
 既知の知識をひけらかすだけで、そこに思考の痕跡はなかった。思考ではなく、思考のパターンに当てはめているだけだった。ただ単に引き出しを開け閉めしているだけだった。

 

自分の頭で考えるって何?

 ここに2冊の本がある。『自分のアタマで考えよう』(ちきりん著)と『知的複眼思考法』(苅谷剛彦著)である。最近私がたまたま手に取ったものであり、いずれも「自分の頭で考える」ことをテーマに書かれている。

 「自分の頭で考えろ」とはよく言われることだろう。「君は何も考えていない」「もっとちゃんと考えろ」なんて。
 では、そもそも「自分の頭で考える」とは何を指しているのだろうか。

 

「自分の頭で考える」定義

 上記2冊の本では「自分の頭で考える」ことを殆ど同じように定義している。

 知識とは「過去の事実の積み重ね」であり、思考とは、「未来に通用する論理の到達点」です。ちきりんは知識の重要性を否定しているわけではありません。
 (略)
 自分の頭で考えること、それは「知識と思考をはっきりと区別する」ことからはじまります。「自分で考えなさい!」と言われたら、頭の中から知識を取り出してくるのではなく、むしろ知識をいったん「思考の舞台の外」に分離することが重要なのです。

 『自分のアタマで考えよう』(ちきりん著、ダイヤモンド社)P20-21

 しっかりした事実や根拠が示されていなくても、ステレオタイプの「常識的な」見かたを「当たりまえ」のこととして受け入れてしまう。そして、たいていは、そこで何となく納得し、その先を考えるのをやめてしまう。「自分の頭で考えなくなる」、その第一歩が、こうした「常識」へのとらわれにあるのです。
 (略)
 情報を正確に読み取る力。ものごとの論理の筋道を追う力。受け取った情報を元に、自分の論理をきちんと組み立てられる力。こうした基本的な考える力を基礎にしてこそ、「常識」にとらわれずに、自分の頭で考えていくこと――つまり、知的複眼思考ができると考えるのです。

 『知的複眼思考法』(苅谷剛彦著、講談社+α文庫)P23-24、28

 つまり「自分の頭で考える」とは「知識や常識にとらわれることなく自分なりの思考を組み立てていくこと」と言えるだろう。「知っていること」に頼ることはただ単に引き出しを惰性で開け閉めしているだけなのだった。

 

テレビで言ってたから? みんながそうだって言ってるから?

 従って、「テレビで言ってたから」「去年はそうだったから」「みんながそうだって言ってるから」「そんなの常識だから」「前にそれでうまくいったから」と言ってそこで考えるのをやめて結論を出してしまうのは自分の頭で考えていないということである。「自分の頭で考える」というのはその先にある。

 「テレビで言ってたけど本当だろうか?」

 「去年はそうだったけど今年は違うんじゃないか?」

 「みんながそうだって言ってるけど自分はどう思うのか?」

 「そんなの常識というけれど根拠はあるのか? 今でも通用する常識なのか?」

 「前にそれでうまくいったかもしれないけど今とは条件が違うのではないか?」

 このように知識や常識、先入観を一つひとつ疑っていくことが肝要だ。検証し、与えられた情報から自分なりの結論を組み立てること。「それこそが自分の頭で考える」ということに他ならない。私は自分の頭で考えられる人になりたい。

 

おわりに:自分の頭で考える重要性

 現代社会ではマスメディアの影響も絶大です。「金髪に鼻ピアス、下着が見えるほどずり下がった穴だらけのジーンズを履いた20代の若者」を見て、「信頼できそうにない」と思う人は少なくないでしょう。
 けれどその人は、そういう風貌で実際に信頼できない若者を現実に一人でも知っているのでしょうか? 「こういう風貌をしている若者は信頼できそうにない」という知識を、ドラマや断片的なニュースからすり込まれているだけではないでしょうか?

 『自分のアタマで考えよう』(ちきりん著、ダイヤモンド社)P21

 たとえば、「今は情報化の時代だ、IT革命だ」といわれています。このステレオタイプにとらわれてしまうと、「情報化時代だから、コンピュータくらい使えなければ……」とか「インターネットのことも知らないと時代遅れになる」といった、一種の強迫観念だけがつのることでしょう。焦ってパソコンを買ったのはいいけれど、使えなくて、ますます焦りがつのってしまう。「IT革命の時代」というステレオタイプを鵜呑みにして、何も考えないまま「ああそうか」と受け取ってしまうことが、「時代の流れに乗り遅れないように」という焦りを生み出すのです。自分で深く考えないまま、「そんなものか」と簡単に受け取ってしまうことで、「他の人と同じでなければ」という世の中の流れに巻き込まれていくのです。

 『知的複眼思考法』(苅谷剛彦著、講談社+α文庫)P25

 お気づきかも知れないが、本稿の論旨である「自分の頭で考えろ」というのは私に言っている。自分のためにこれを書いている。

 というのは、私もよく「○○ってネットに書いてあったよ」なんて鵜呑みにして、話の種にしてしまうことがよくあるのである。それはそれで構わないのかもしれないけれど、そこで終わりにするのではなく「だから、自分はこう思うんだよね」というのを付け足すことによって少しは思考の痕跡を残すことができるかもしれないと思っているのだった。

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