【働きたくない】1日3時間労働を実現した架空の国「キルギシア」とは

誰もが幸せになる 1日3時間しか働かない国

 僕たちは働きたくない。
 一日は24時間だ。8時間労働だって長いというのに、残業という悪魔さえ僕たちを蹂躙する。

 まして、サービス残業、休日出勤、厳しいノルマ、パワハラ、精神失調、うつ病、過労死、いったいどうなっているんだ。
 もはや僕たちの人生は、僕たちのものではなくなってしまっているかのようだ。

 全ての災厄は長時間労働のせいである。
 8時間? ふざけるな、せめて3時間だよ労働は。

 そうやってポール・ラファルグなる人物は19世紀後半『怠ける権利』の中で3時間労働を提唱した。情熱・渇望に満ちた提言であった。
 しかしながら、労働時間を3時間にするためメカニズムはというと、あまり記されていなく、実に空虚な産物でもあった。

 3時間労働は望むところだ。でも具体的にはどうすれば実現できるの?

 その基本的な疑問にラファルグは答えていなかった。

 

3時間労働を実現したキルギシアという国

 上記『怠ける権利』で提唱された案を、具体的に一歩推し進めたのがシルヴァーノ・アゴスティ『誰もが幸せになる 1日3時間しか働かない国』(原題『キルギシアからの手紙』)である。
 アジアのどこかにあるらしい架空の国キルギシアでは、一日3時間労働を実現した。
 その結果、国民はストレスなく暮らし、犯罪は減り、笑顔で幸せに暮らしているという。

 そんなことが可能だろうか。単なる机上の空論なのではないか。

 下記に、『1日3時間しか働かない国』より、3時間労働を導入したキルギシアという国の仕組み、国民の日々の暮らしなどを紹介していこう。箇条書きで失礼する。
 突っ込みどころ、荒唐無稽なところも散見されるが、そのまま記述する。

 1日3時間労働。それは悪い冗談に過ぎないのか、それとも僕たちを救う素晴らしい仕組みなのか。
 確かめて頂きたい。

 このキルギシアという国では、どんな職場であっても、公共であれ民間であれ、一日に三時間以上働く人はいない。必要があれば残業することもあるとはいえ、それでちゃんとした給料が出る。残りの二一時間は、眠ったり食事を楽しんだり、創作活動をしたり、愛し合ったり、人生を楽しんだり、自分だけの時間を過ごしたり、子どもや仲間たちと交流したりして過ごすんだ。
 このようにして、生産力は三倍になった。充実している人っていうのは、嫌々やっている人がやっと一週間かけてできる以上のことを、たった一日でできてしまうからだろうね。

 

政治

憲法
 ・キルギシア憲法はたった一条「何を発起するにあたっても、国家および国民の関心は、すべからく人間らしくあることに向かうべきである」のみ。

政治家はボランティア
 ・政治家は、政治家になる前の仕事でもらっていた給与額が継続されて自治体から支払われる仕組みである。
 ・代議士の高すぎる給料を撤廃した結果、政治的な腐敗がなくなり、奉仕の精神で政治を行えるようになった。

二つの政府
 ・政府は二つに分かれている。一方の政府は通常の行政活動をし、もう一方は構造を改善するためにある。
 ・登録しておけば誰でも政治家になれる。
 ・政府は三年に一度、刷新される。それまで政府いた人たちは、構造改革・改善を受け持つ「第二の政府」の業務にそのまま移行する。

総理大臣
 ・電話一本かけるだけで、誰でも総理大臣に会うことができる。
 ・総理大臣も1日3時間しか働かない。

案件の採択
 ・住民の満場一致がなければ、案は実行に移されない。

 

経済

労働時間
 ・全ての人が3時間以上働かない。
 ・政府は、労働時間を2時間にすること、最終的には週に1時間にすることを画策している。

広告の撤廃
 ・広告は撤廃。その代わり、インターネットにてデータベースにアクセスすれば商品のきちんとした情報が公開されており、消費者は販売されている場所まで知ることができる。
 ・広告をやめた結果、ものの値段は半額になった。

工場
 ・工場は一日中生産活動を続けているが、夜勤の人は2時間労働で良い。

運輸
 ・トラックなどでの荷物の運搬は真夜中に行う。よって、日中の渋滞は緩和される。電気自動車であるので夜中の騒音も発生しない。

 

教育

学校はない
 ・「教室ごとに区切られた建物」としての学校はない。その代わり、子どもたちは「人生の谷」と名付けられた公園で遊び回っている。
 ・子どもたち20人に対して1人の大人が世話と責任を受け持つ。

「勉強する」のではなく「学ぶ」
 ・公園の周りには、学びたい内容によって異なる名前の付けられた2階建ての建物がずらりと並んでいる。「哲学の家」「地理の家」「人体の家」など。
 ・その分野を学べるようにプログラムされたコンピュータが何百台も設営されている。子どもたちは好きなときに学びたいことを学ぶことができる。
 ・宿題、テストはない。卒業という制度もない。
 ・かつて学校という場所に使っていたお金(教育委員会、教師、用務員の賃金など)を上記設備に捻出することによって、子どもたちに学びの無償化を実現できている。

 

娯楽

テレビ
 ・テレビには小さなコンピュータが内蔵されていて、国内に設置されている何千台ものカメラから好きなものを視聴することができる。
 ・それらの映像を自分で編集して、自分だけの番組を作り、配信することができる。

「笑顔の思い出」
 ・村の中央にある広場に設えられたスクリーンでは、「笑顔の思い出」と題される映像が毎晩上映される。
 ・「笑顔の思い出」とは、村人たち一人ひとりの笑顔がクローズアップされた映像である。1人5秒、村人が3000人として、4時間続く。
 ・村人たちは毎晩これを見に来る。

 

テクノロジー

 ・上記の事象から推測するに、IT技術はかなり高いようである。
 ・数百キロ四方を覆うサーモ・カバーの導入を検討中。首都の気温を常に25℃に保つことができる。

 

犯罪者

 ・刑務所はない。
 ・その代わり、罪を犯した者は刑期中、全身黄色い服を着て過ごさなければならない。人を殺めた者は、60歳まで紫色の服を着て過ごさなければならない。
 ・なぜ犯罪を犯したのか聞かれたら、それを説明しなければならない義務がある。
 ・罪を自覚させることが唯一の罰であるとキルギシアでは考えている。

 

福祉

高齢者
 ・老人は皆、敬意を込めて〈人生のマエストロ〉と称される。
 ・60歳になると、いつでもどのお店でも無料で食事ができる。公共交通機関も無償化。映画、劇場、コンサートなども無料で楽しめる。

食の無償化
 ・食堂に行けば、誰でも1日1回は無料で食事をすることができる。かつて、刑務所、学校、代議士などに費やされていた予算を使うことで、国民全員に食事を無償で提供できる。

住居の無償化
 ・成人した全ての国民に住居が支給される。

 

医療

 ・病院は街に一つしかない。3時間労働によりストレスなく暮らすことができるようになったので、病気になる人が減ったため。
 ・病院は患者たち自身によって運営されている。軽傷の人、退院間近の人たちが食事の用意や清掃をするなど。
 ・医者は白衣を身に付けない。身に付けるのは技術である。

 

戦争・武器・警察

 ・武器は「武器の墓場」という場所に埋めてしまったので、殺人は絶対に起こらない。
 ・「他国が侵略してきたらどうするの?」「万が一、一旦は征服されたとしても、文化によって勝者を飲み込むことができるから杞憂である」
 ・警察はいない。皆がお互いを尊重して過ごしているので、犯罪は減少、警察は不要になった。

 

青い花

 ・「誰かと愛し合いたいなと思ったら、それを知らせるために、胸に小さな青い花をつけておくんです。話しかけるきっかけを作りやすくなりますから」

 

国民の価値観・考え方

 ・労働から解放された人間にこそ、本来の生産力があると考えている。
 ・モノを消費するよりも、生み出すことに力点を置いている。
 ・誰しもが自分を自然が生み出した傑作であると認識し、他人に対しても同様に考えている。
 ・人生は一度きりだということを常に忘れないようにしている。
 ・人間として自立することを重んじている。

 

3時間労働制を導入した結果起こったこと

 ・交通渋滞は労働時間に変化を持たせることで四分の一以下になった。
 ・ありとあらゆる社会悪が消え、ドラッグ、たばこ、アルコールの消費量はぐんと下がった。
 ・ストレスが減り、病人がほとんどいなくなった。
 ・自由な時間が増えた結果、可能性が広がり、国民は創造的になった。
 ・皆、豊かに幸せに充実して、お互いを尊重し合い、日々を暮らしている。

 

私の見解

 言うまでもなく、本書『1日3時間しか働かない国』の要旨は、3時間労働によって人々は幸せに暮らしております、めでたしめでたし。ということに尽きる。
 多幸感溢れるポジティブな物語だ。実現可能かどうかは別の問題として、ともかくキルギシアは素晴らしい場所だ。

 果たしてそうだろうか。

 以下、2点について、疑問を呈しておきたい。

 

1. 無意味なことは悪か?

 煙を肺に入れるというのは車のガソリンタンクに水か酢をぶち込むのと同じくらい馬鹿げたことだというわけだ。ここでは意味のないことをしたがる人は誰もいないんだ。

 私は喫煙者だが、焦点はそこではない。タバコなんてなくても構わない。

 キルギシアでは無意味なことをする人は誰もいないとの記述があるが、果たしてそれは幸せなことだろうか。
 私の考えでは、無意味なこと、無駄なこと、余計なことは、豊かさに比例する。
 つまり、心が豊かであればあるほど無意味なことを志向する、あるいは無駄なことをする余裕がある。物質的・金銭的な豊かさについても然りというわけである。

 本文の例で言えば、自動車に水や酢を入れるなんていう意味のないことは誰もしないとある。もちろん、自動車に水や酢を入れても動かないのは誰もが知っている。

 だけど、
 「自動車に酢を入れてみたらどうなるかな?」
 「ばかだなーやめろよー」
 「でもさ、ちょっとくらいは動くんじゃね? どんくらい進むかやってみない?」
 「まーいいけどさ」
 ドボドボドボ…
 「全然動かないよ! 1ミリも動かない! やっぱり動かないんだなー」
 「エンジンさえかかんないじゃん、ばかだなー」

 なんて全然意味のないことをして笑い転げているほうが、豊かで楽しく幸せなことであると私は考える。

 また、「意味のないこと」の中には、拡大解釈すれば、映画、音楽、小説、テレビゲーム、スポーツなどの娯楽も含まれつつあると私は考えているが、いつかキルギシア国内で「意味のないことをしない」という思想が過激になり、それらについても無意味だと唾棄される時がいずれ来るのではないかと大変に懸念される。
 自動車に酢を入れることも、音楽を聴くことも、人生に必ずしも必要ではないという点では同じである。
 でも、音楽のない人生が豊かであるわけがないのだ。

 

2. 「笑顔の思い出」?

 巨大スクリーンの前には、たくさんの人が待機していた。たそがれを合図にスクリーンが明るくなると、「笑顔の思い出」というタイトルが浮かび上がった。
 それから、村人たちの顔が一つまた一つとクロース・アップで浮かび上がってきたんだ。
 みんな笑顔でスクリーンに映っていて、その下には名前が表示されている。(略)
 人々は毎晩のようにこれを見に来る。自分の巨大な笑顔と村中の人の顔を見に来る。笑顔には言葉の壁がないから、僕にだってスクリーンのキルギシア人たちと心を通い合わせることができる。本当に人間らしく生きるようになった彼らの姿に、僕はわくわくしたよ。(略)
 「この笑顔の映画はよく上映されているの?」
 「毎晩ですよ、ずっとやってるんです」

 国民の笑顔をまとめたものが常時上映されているとのことだが、この国の異様さを象徴する事案であると思う。プロパガンダっぽい。
 かつてのソビエト連邦では、「国民は皆笑顔で幸せに暮らし、限りない豊穣に向かっています」と繰り返し喧伝されていたようだが、それに似たものを感じる。
 笑顔でいることを強要されている気分になりそうだ。

 我々が幸せなニュースに癒やされるのは、現実がつらいものであるからに他ならない。「思い通りに行かない毎日だけれど、人生捨てたもんじゃないな」と。

 キルギシアでは皆が幸せに暮らしているらしいので、笑顔を集めた上映会などに需要があるとは、少なくとも私には思えない。しかもそれを毎晩見に来るって。
 むしろ、変化のない幸せとは退屈なことでもあるので、暴力や衝撃、過激なことにも需要が出てきそうな気がするのだが、そうはなっていないらしい。摩訶不思議だ。

 また、「無意味なことをしたがる人は誰もいない」と前述されていたが、この「笑顔の思い出」とやらを毎晩上映することと、それを毎晩見に来ることは「無意味なこと」に該当しないのだろうか。

 

まとめ

 キルギシアという国の3時間労働制は、実現不可能な、単なる夢想だろうか。

 私はそう思う。
 どう考えても無理がある。

 一日に3時間しか働かなければ、みんな笑顔で、幸福で、思いやり・奉仕の精神で全てがうまくいく、だなんてそんなことあるわけない。僕たちは優しくも愚かな人間なのだ。

 だけど馬鹿げているとは思わない。
 なぜなら、僕たちは働きたくないからである。仕事なんてクソ食らえ。人生にもっと自由を。
 そのような理想を掲げて生きていくことは、それだけで人生をほんの少し豊かにすると私は考える。

 『1日3時間しか働かない国』で描かれることは、単なる机上の空論、理想論に過ぎない。「笑顔の思い出」とかいう映像に至っては噴飯物である。
 だけど、身も心もボロボロのワーカホリックにとってはいい薬、息抜きになるのではないだろうか。本国イタリアではベストセラーになったらしい。

 3時間労働という無理難題を胸に秘めて、私はこれからも一日8時間働くのだ。