2021年読んでおもしろかった本19冊

1.『クロス』山下紘加

女装にのめり込む男性が主人公の小説。書き出しが男性同士の交わりのシーンから始まり、なぜそうなるに至ったのか過去から遡って語られる演繹的手法が採用されている。

私は男性同士の交わりには全く関心がなく、正直申し上げると、この書き出しには生理的に嫌悪感を抱いてしまったのだが、主人公の心情や感情のゆらぎが過去から仔細に語られていく過程で、登場人物に共感するまでは行かなくとも、あのようなシーンから書き始めなければならなかった必然性が理解できた。

一つのテーマを圧倒的な語彙と表現力で掘り下げていて、読書体験としてとても良かった。あと、タイトルが『チェンジ』とかではなく『クロス』で良かった。

 

2.『ドール』山下紘加

文芸賞受賞作にしてデビュー作。同じ作家の『エラー』もそうだったけど、すごいものを読んだという感想がまずある。何を食べればこういうものが書けるんだろう。ラブドールを溺愛する中学生男子の物語。

物語が常に予想を裏切る方向にドライブしていく。皆の共感を得られるような物語ではおそらくない。個人的には、何を考えているのか全くわからない者の頭の中を覗き込んでいるような感覚があった。

不安になる。後半はほぼ狂気。狂気すぎて笑えるまである。とても良かった。

『推し、燃ゆ』でお馴染みの宇佐見りんさんが「泣きながら読んだ」とどこかで言っていたと思う。個人的な希望としては、遠野遥さんと対談してほしい。

 

3.『ニムロッド』上田武弘

芥川賞受賞作。ビットコイン、ブロックチェーンをテーマにした小説。ああこれは紛れもない純文学だ、開始10頁で思った。

正しい解釈かどうかわからないけど、ミシェル・ウエルベック『ある島の可能性』を1000倍に希釈して毒素を限りなく薄めて読みやすくした感じだと思った。

 

4.『現代音楽史』沼野雄司

20世紀のクラシック音楽はなぜあんなにも聴衆を置き去りにしためちゃくちゃなことになってしまったのだろうとずっと思っていたところ、本屋で新刊として見つけたので買った。

今のところ、現代音楽について詳細に解説されている唯一の書籍と思われる。世界情勢と絡めて解説されるので、世界史の復習にもなって良かった。

20世紀クラシック音楽がなぜめちゃくちゃになったのかについて、私は「ジャズやロック、ポップスが市民権を得ていく中で、アカデミックなクラシック音楽には何ができるのか、と袋小路にさまよい込んだ結果、ポップさを失った頭でっかちなわけのわからん音楽とも言えないような音の集合体が爆誕した」と仮説を立てていたのだが、本書によれば、全然違った。全然違うことがわかって良かった。

 

5.『禍いの科学 正義が愚行に変わるとき』ポール・A・オフィット

人類史において、良かれと思ってやったことが良くない結末を迎えた7つの事象と、それらから得られる教訓について書かれた本。

当初は「優生学」と「メガビタミン療法」の章だけ読もうと思っていたのだが、ストーリーテリングがおもしろくて全部読んだ。

優生学の章は必読であると感じた。まさかこんな恐ろしい事実が人類史において、しかもごく100年前に世界規模の潮流であったことを知って戦慄した。断種法って。

自分はそもそも弱者側の人間であることを忘れないようにしようと思った。もし、何らかのきっかけで強者側になることがあったとしても、同じく何らかの些細なきっかけで弱者になる可能性は誰にでもある。

というか人は生物として一人ではあまりにも弱いわけで、皆、弱者だ。何があっても調子に乗ることなく、それを忘れないようにしようと思った。私は調子に乗りやすいので、なおさら。

 

6.『いつか深い穴に落ちるまで』山野辺太郎

日本-ブラジル間の直通トンネルを掘るという荒唐無稽なプロジェクトの話。最初は真面目に取り組んでいるのだが、後半に行くにつれてプロジェクトへの取り組みさえも荒唐無稽になっていき、最後の最後に荒唐無稽すぎる強烈なオチが待っている。このオチは全く意味がわからないもののかなり笑え、最後の部分を5回くらい読み返したが、5回とも同じテンションで笑えた。個人的には笑えるやつが一番好きなので、とても良かった。

 

7.『批評の教室』北村紗衣

目次がかなりおもしろく素敵で、思わず買ってしまった。私は批評というものを何もわかってない者なのだが、そういう人に向けての一冊目を目指して書かれているように思った。好きな作品をより楽しく、より面白く読むための批評ということが強調されているとてもポジティブな読み物だった。

 

8.『ある島の可能性』ミシェル・ウエルベック

人間の性愛とユーモアを巡るSF(?)小説。読んで単純に「性愛とユーモアのない世界はいやだなあ」と思ったが、歳をとったらまた考え方が変わるかもしれない。小説とはディテールの積み重ねだ、という言説があるが、そういう意味で、この作品は紛れもなく小説であった。

読み初めの頃は「こんな小説読んだことない!」と一気に100頁くらいむしゃむしゃと読み進めたのだが、次第にその脂ギトギトな文章、ハイカロリーなストーリーが胃もたれを起こし、食傷気味になってペースが落ち、まだ完読していないのにお腹いっぱいで箸が進まず、おや、これは何かに似ている……そうか!二郎ラーメンだ!と思った。後半、物語の意図がわかってくると、絶品なあっさり中華そばになった。

これは嘘なのだが、あらすじは、二郎ラーメンうめぇぇぇと若い頃は思っていたのだが、歳を取るにつれ胃もたれを起こし、二郎ラーメンを食べたいのに食べられないよぉとなっていき、やはり昔ながらの中華そばがいいなぁとなるものの、あれ、そもそもラーメンって体に悪いし、このラーメン食べたいっていう感情をなくせば全てが解決するんじゃね?と思い、そういう解決法を選択し、長い時が過ぎ、そう言えばラーメンってものがあったなと思い出し、そういう解決法から自らの意志で脱却し、ラーメンとかもはやよくわからないがとにかく生きてる、という話である。

 

9.『眼球達磨式』澤大知

文藝賞受賞作。読んだ後に「あれおもしろかったなぁ」と度々思い出してしまう作品が良い作品だとすれば、これはまさにそれだった。読んでいる時も、読み終わった時も、読み終わってしばらく経った時もずっとおもしろかった。

選評にもあったが「安部公房的」。安部公房の、脛にかいわれ大根が生えた男を乗せたストレッチャーが自走する話や箱に入った男が街を徘徊する話を読んだ時には「これまじ何」と思ったが、眼球型カメラが自走・徘徊してウグイス嬢がウグイスになる光景などを映し出す本作も「これまじ何」と思いながらも、一気に読んでしまった。読み終わった今「あれまじ何」と思っている。徹底して観測する文体が好みだった。良かった。

 

10.『無理ゲー社会』橘玲

橘玲氏の主張は20年前(黄金の羽根のやつ)からずっと変わっていない。著書はたくさんあるが、基本的に結論は同じである。しかし、語り口が流暢で、例示がアップデートされていて、読む前から新刊の結論がわかっていてもついつい語りに引き込まれ、楽しむことができる。こんな魅力的な文章を書けたらいいなと思う。

ちなみに、レビューなどで「都合のいいデータだけを集めて自説を展開しているだけ」という意見が散見されるが、仮にそうだとしても、私としてはむしろ都合のいいデータだけを集めて自説を展開している読み物は好きなので良かった。

 

11.『遮光』中村文則 新潮文庫

指の話。かなりおもしろかった。主人公は猟奇的とも言える行動をするが、終始すっとぼけたような文体で語られるのが良かった。他の人はどうかわからないけれど、私はかなり笑った。

「タクシーに向かって右手を挙げ、煙草に火を点け歩いた。それからタクシーなど見てはいなかったが、それはまるで普通に客を乗せるように、私の前に停車してドアを開けた。少し面食らったが、自分が手を挙げたのだから、この状況は仕方がなかった」(P7-8)

いや、「この状況は仕方がなかった」じゃないよ。何を言うとんねん。

 

12.『教育』遠野遥

ハレンチ学園ラブディストピア奇想小説。大量の余談(隠喩?)と反復で構成されている。率直な感想は、序盤「これなんなん?」、中盤「これなんなん??」、終盤「これなんなん????」。

どのようにも読める懐の深い小説だと思った。日本の教育への皮肉とも読めるし、日本の教育は駄目だと言ってるオンラインサロン界隈への皮肉とも読める。インターネットポルノに埋没する男への皮肉とも読めるし、女性へのオーガズムハラスメントの警鐘とも読める。もちろん難しいことは抜きにした面白く笑える読み物としても読める。

 

13.『名も無き世界のエンドロール』行成薫

おもしろさだけで言えばこれが圧倒的ナンバーワンだった。小説を読む幸福感を味わった。伊坂幸太郎好きなら刺さると思う。

あらすじを引用すると「ドッキリを仕掛けるのが生き甲斐のマコトと、それに引っかかってばかりの俺は、小学校時代からの腐れ縁だ。30歳になり、社長になった「ドッキリスト」のマコトは、「ビビリスト」の俺を巻き込んで、史上最大の「プロポーズ大作戦」を決行すると言い出した―。一日あれば、世界は変わる。男たちの命がけの情熱は、彼女に届くのか?大いなる「企み」を秘めた第25回小説すばる新人賞受賞作」。これが読む前と読み終わった後では捉え方がガラリと変わる。

本作の特徴は伏線が文で展開され、文で回収されるところだと思う。何らかのアイテムや人物が再び出てきてハッとなる、のではなく、同じ文が再び出てきてハッとなる。個人的に文を反復させる手法はかなり好みである。だから、ストーリーが好みだったというよりは、どちらかというと書き方が好みだったのだと思う。

 

14.『共喰い』田中慎弥

芥川賞受賞作。えげつない暴力が出てくるため、万人におすすめすることはできないけれど、良かった。文が綺麗で、清らかな川のようだった。著者の芥川賞受賞会見の傍若無人な態度が話題になっていたが、この人本当はものすごく優しくて気配りのできる人なんじゃないのか、と文から勝手に想像した。

書き出しが「昭和六十三年の七月、十七歳の誕生日を迎えた篠垣遠馬はその日の授業が終ってから、自宅には戻らず、一つ年上で別の高校に通う会田千種の家に直行した」と新聞記事みたいだ。何らかの文章を書く時、書き出しに困った際はこの新聞記事スタイルは選択肢に入れようと思った。

 

15.『臆病な詩人、街に出る』文月悠光

詩人のエッセイ集。詩集が最年少で中原中也賞を受賞し「JK詩人」などと一時期話題になったらしい。著者のことは全く知らず、電車での暇つぶしに駅の書店でなんとなく手にとった。

帯に「<受け身>で生きるすべての人に寄り添う言葉のまばゆさ」とあり、おそらく普段から<受け身>で生きていると感じている人(私を含む)にはおもしろく読めるのではないかと思う。臆病、受け身と言いながらも、自らの意志でアイドルオーディションに出てみたり、そこで世間から受けた誹謗中傷の類を全て自分のツイッターアカウントでRTしてみたり、なかなか肝が据わっている部分もあってスカッとする。

素朴でありながら読ませる文だった。特に劇的な出来事が起こるわけではない。けれど、魔法のように快い文章だった。万人におすすめというわけではないけれど、自分にとっては良かった。

 

16.『四十日と四十夜のメルヘン』青木淳悟

なんやこれ、何を書いとんねん小説。チラシを配る主人公の話だが、ストーリーはあってないようなもので、脈略があるのかないのかよくわからないエピソードが連なっていく。著者は何を意図しているのか、文学的にどのように評価されているのか、その辺の部分はよくわからないが読み物としておもしろく読んだ。どう考えても笑わそうとしているとしか思えない文が唐突に現れるなどするところも良かった。

この小説は当時の新潮新人賞選考委員の保坂和志氏に「ピンチョンだ!」と言わしめたらしく、そう言えば、私の好きな作家に中国の残雪というのがおり、彼女も「ピンチョンだ!」と評されているらしく、ピンチョンを読むべきですか?

 

17.『風と共にゆとりぬ』朝井リョウ

『時をかけるゆとり』に続く2冊目のエッセイ集。おそらく今年一番笑った本。

著者の言葉を借りて説明すると、「メッセージ性皆無のくだらないエピソードばかりで編まれたエッセイ集」である。

私は「メッセージ性皆無のくだらないエピソードばかりで編まれたエッセイ集」が好きで集めるのが趣味なので、いつか紹介できたらいいなと思っており、また、そういうのがあれば紹介して欲しいと思っています。

 

18.『我が友、スミス』石田夏穂

すばる文学賞佳作にして芥川賞候補作。ボディビル競技への出場を決めた主人公だが、筋肉の美しさとは別に、髪の長さやピアスなど女性らしさを求められ──という話。批評的な意味で芥川賞にノミネートされたのかなと邪推した。

非常に面白かった。まず、これ以上にないくらい文が読みやすい。ストレスゼロ。これは本当にすごいことだと思う。加えて、すばる文学賞の選評で金原ひとみさんが「久しぶりに小説でこんなに笑ったな」と述べている通り、笑えるという意味でもとてもおもしろい。

次回作が待ち遠しい作家が一人増えた。次回作が待ち遠しい作家が一人増えたということは、生きる理由が一つ増えたということだ。嬉しい。

 

19.『世界奇食大全 増補版』杉岡幸徳

タイトルに「世界」と書いてあるが、国内多めの奇食案内。著者のライティング力が優れているためか、読んでいるとハブやムカデや豚の脳みそといった(我々にとっての)奇食が魅力的に思えてくる。

本書で新宿歌舞伎町にあるハブやムカデや豚の脳みそを食べさせてくれる中華料理屋(上海小吃)の存在を知った私は、YouTubeで奇食ハンターなるチャンネルにハマって「あー!奇食してーよー」と4回くらい言っていた友人Aと共に来店し、ハブのスープ、ムカデの素揚げ(?)、豚の脳みその炒めを食べてきた。

これは楽しいお食事というよりは好奇心を満たすための厳しい試練であった。従って、「あー!奇食してーよー」と4回くらい言っていた友人Aは新宿へ向かう山手線内で「えー、まじ、行くの? 行くかぁ。でもなー、アーッ! 怖くなって来たよ! でも行くよ、俺は。全然余裕。……うわー怖いよ。嘘でしょ。本当に食べるの? 大丈夫だよね? でも、全然行ける。男ってのはね。余裕。やー、まじかー」と錯乱していた。

予約をしていた。店内奥のテーブル席に案内された。普段は勝ち気でポジティブ、自信と自己肯定力の塊みたいな友人Aがこんなにも不安そうに怯えているのを初めて見た。「全然余裕」と口には出しているが、明らかに自分自身に言い聞かせるためのフレーズであるのがわかった。

友人Aは「とにかくカーーッとなるやつが欲しい」という意味のことを店員さんに言った。店員さんはハブのスープとムカデの素揚げを勧めたので、それと紹興酒をオーダーした。紹興酒は見たことのないものだったが、大変に美味しかった。

怯えながら待つこと15分程度だろうか、ハブのスープが来た。これは非常に美味しかった。自称「グルメ」の友人Aも舌鼓を打っていた。鋭い骨がたくさんあるので、舌鼓を打つ際は注意されたし。

それから約10分後、ムカデの素揚げ(?)が来た。まさにムカデとしか言いようのないフォルムだった。食べようとするのだが、まさにムカデそのままなので、今にも百の足が蠕動しそうで、口に入れるのに勇気が要った。特に美味しくはなかった。それどころか時々強烈な臭みに襲われ、えづきかけた。とりあえずは完食した。ムカデを食べて得られるものは「ムカデを食べた」という架空のトロフィーである。いい経験にはなった。「全然余裕」と自分自身に言い聞かせてた友人Aはムカデを食べながら「旨いね!」と自分自身に言い聞かせるワードを虚空に放っていた。

何かもう一品頼もうということで、店員さんを呼び「他にとにかくカーーッとなるやつが欲しい」という意味のことを言った。豚の脳みその炒めを勧められたので、それをオーダーした。辛口にした。15分後くらいに料理が来た。

店員さんが「白子みたい」と言っていた通り、食感や味は白子だった。しかし、豚の脳みそを食べているという事実、そして、白子というのは少量を食べるから美味しいのであって、目の前には結構な量の豚の脳みそがあり、後半は二人して無口になった。やたらと辛いことも箸が停滞した一因だった。食傷気味であった。しかし、完食した。

友人Aは食傷気味のまま「トイレ行ってくる」と席を立ち、戻ってくると別の人間になったかのような満面の笑みで「予約しちゃったぜー」と言った。来たるべき楽しい未来が待ち遠しくて仕方がない、といった様子だった。こいつ、さっきまで奇食に怯えてた奴と同じ人間か? と私は思った。

会計をし、友人Aは夜の街に消えていった。私はそもそもその日は体調が悪く、紹興酒も少ししか飲めず、奇食でカーーッとなるどころか体力を削られ、財布に8万円くらい入っていたものの、ルノアールでコーヒーを飲みながら落ち着いて本を読んだ。

約1時間半後、友人Aと合流した。「なんかさ、すげーカーーッとならなかった? 俺はなったんだけどさ、奇食のおかげじゃないかな。すげー良かったよ」と彼は言った。それは良かった、と私は思った。