俺ガイル続13話を改めて考察するという名の反省会

本稿で言うところの「元記事」とは、当ブログ「飄々図書室」における記事「『俺ガイル。続』13話(最終話)の考察。由比ヶ浜結衣の目的と台詞の意味」を指す。当該元記事は俺ガイル続放送終了と、物語の続きである俺ガイル原作12巻発売の、ちょうど間くらいの時期に書かれたものである。で、この記事は俺ガイル完の最終話まで視聴した上で執筆されている。

元記事はアニメだけを見て書かれており、つまり原作テキストを一文字も読んでいない状態での記事である。後に原作の当該部分を読んだが、元記事を特に修正はしていない。本稿も原作を参照せずに書いている。

 

はじめに結論:「最後の依頼」の意味

「私は比企谷が好きだから諦めない。ゆきのんが比企谷のことを好きなのは知っている。だけど、諦めて欲しい」(元記事と同じ)

 

なぜ元記事を書いたか?

当時、主流として認識されていた(と思われる)俺ガイル続13話の解釈「由比ヶ浜は最後の依頼で比企谷を諦めている」へのアンチテーゼとして、元記事を提示した。正しいかどうかはともかく、このような記事・解釈・考察がインターネット上に一つはあってもいいんじゃないかと思った。

 

由比ヶ浜が比企谷に渡したクッキー

クッキーは「比企谷を諦めていない由比ヶ浜による、雪ノ下への牽制」と解釈した。

その日はバレンタインデーであり、雪ノ下が比企谷にチョコ(?)を渡してしまえば二人が結ばれる可能性があった。だから、由比ヶ浜が「ただのお礼」として先攻することで、雪ノ下の行動を封殺した。雪ノ下が比企谷にチョコを渡す動機は「ただのお礼」ではないため、由比ヶ浜の言う「ただのお礼」をコピペのんすることはできない。ということは、やはり雪ノ下は比企谷にチョコを渡すことができない。

由比ヶ浜は「ただのお礼」として手作りの何かを比企谷に渡すことができたが、雪ノ下は渡すことさえできなかった。この手作りのプレゼントを渡されることによって、次話(3期)以降、比企谷は心が揺れている(どういった意味での「心が揺れる」なのかは不明)。少なくとも由比ヶ浜は比企谷に何らかの影響を与えることができた。

つまり、手作りクッキーをお礼として先行して比企谷に渡すことで、雪ノ下に何も行動させず、その上で間接的に比企谷への想いを表明したというところだろうか。ずるい。

一方、他の考察として「由比ヶ浜は自らの想いを永遠に封殺し、比企谷に本当にただのお礼として(恋愛感情を表明するためのチョコではなく、「友達でいましょう」という意味の)クッキーを渡した。由比ヶ浜の手が震えているのが想いを押し殺している証左だ」という見解がある。なるほど、確かに、と思う。

ただ、そうであるなら、なぜそのクッキーが「手作り」でなければならなかったのかが疑問としてある。由比ヶ浜は「手作り」が特別な意味合いを持つことを作中で認識している。比企谷への想いを永遠に封じ込めた上で比企谷に先行して何かを渡さなければならないとすれば、市販のお菓子が選択されて然るべきかと思われ、そうすることによってまさに「ただのお礼」を表明することができる。「手作り」にはどうしても他意が含まれ、想いを封じているというよりは積極的に開陳(待たないで、こっちから行くの)しているようにも思われる。

由比ヶ浜の手や声色が震えている理由は由比ヶ浜にしかわからないので、自由に解釈していいと思う。例えば本稿になぞらえるなら「ずるい手段を使っているから」など。

 

全部欲しい

元記事では「全部欲しい=今もこれからも欲しい=今もこれからも比企谷が欲しい」と解釈したが、限界があるように思われる。その後の展開を見れば尚更。由比ヶ浜は比企谷のことだけを考えていたわけではなさそうに強く思われる。当時なぜこのような矮小な捉え方をしたかというと、当該記事は「由比ヶ浜は比企谷を諦めていない」という結論ありきで執筆され、あらゆる事象を「由比ヶ浜は比企谷を諦めていない」へ導くように都合よく解釈されているからである。ちなみに本稿もその姿勢を全く崩していない。

由比ヶ浜の言うところの「全部欲しい」は、「比企谷との恋愛、雪ノ下との友情、奉仕部という場所、三人の関係、などを全部欲しい」と解釈するのが妥当と思われる。妥当。しかし、それはまさに単なる妥当な解釈に過ぎない。「全部」というのは範囲が広すぎ、対象が無限に存在するのであり、「全部」が正確に何を指すのかを特定することは至難であるように思われる。だからこそ、その捉え方によって考察も無限に存在すると思う。自由で突拍子もない考察を読みたいと思う。

「全部欲しい」を、改めて「比企谷との恋愛、雪ノ下との友情、奉仕部という場所、三人の関係、などを全部欲しい」と解釈し直すとして、由比ヶ浜は、手作りという他意が含まれたクッキーを比企谷に渡しながら(つまり、比企谷と恋人同士になりながら)、雪ノ下との友情を維持することができると思っているのだろうか?

本稿の解釈で言えば、「できると思っている。比企谷に告られれば。比企谷に告られて、由比ヶ浜が『ヒッキーがそんなにアプローチしてくるなら、付き合ってあげないことも、ないけど( //Д//)♡』という態度で恋愛関係になるなら、雪ノ下との友情を積極的に壊すことはない、と由比ヶ浜は思っている」などと強引に推察することは可能だ。

そうだとすれば、由比ヶ浜は「もし、お互いの思ってること分かっちゃったら、このままっていうのもできないと思う(=元記事の解釈:雪ノ下と比企谷がお互いの思いを通い合わせてしまったら、私(由比ヶ浜)は今まで通りに二人と接することができないと思う)」と言っており、由比ヶ浜が「できない」と拒否した「このまま」を雪ノ下に押し付けようとしていることになる。ずるい。さすがにずるすぎる。

 

最後の依頼

「だからこれが最後の相談。私たちの最後の依頼は私たちのことだよ」=由比ヶ浜は比企谷を手に入れるためなら奉仕部を破壊することも厭わない、なんならこの最後の依頼で奉仕部をぶっ壊そうとしている、などと元記事では解釈したが、さすがに過激にすぎる言説かなと思う。

ただ、「三人で行きたいの」「三人で見れてよかった」と「三人」を強調していたこと、ぐるぐる回る観覧車にて「もうすぐ終わりだね」と言っていたことから、三人のぐるぐる回る日々において何らかの終焉が予感されているようにも思う。

 

雪ノ下が抱えている問題

「ゆきのんの今抱えている問題」=自らの意志で比企谷にプレゼント(クッキーとかチョコとか)を渡せない問題、と元記事では解釈した。本稿でもこれを継承する。

「私、答えわかってるの」の「答え」という言葉の解釈は2通りあるように思う。一つは「Q:雪ノ下が抱えている問題の内容は何でしょう?」という問いに対する「答え」であり、つまり「答え=雪ノ下が抱えている問題」である。もう一つは「雪ノ下が抱えている問題」の「解決法=答え」である。

私は「答え」をずっと「解決法」のことだと思い込んでいて、由比ヶ浜が解決できる規模の「雪ノ下が抱えている問題」は「自らの意志で比企谷にプレゼントを渡せない問題」くらいだろうな、と元記事で解釈した。

ただ、「答え=雪ノ下が抱えている問題」と解釈するとなると、「ゆきのんの今抱えている問題」=自分がない・自分で選んで行動できない問題、も充分に射程に入り、というかむしろこちらのほうが自然であるようにも思われる。

 

私たちの答え

「多分それが、私たちの答えだと思う」=ここで言う「私たちの答え」とは「雪ノ下が比企谷にプレゼントを渡すこと=雪ノ下と比企谷が結ばれること」要するに「由比ヶ浜が比企谷への恋を諦めること」であり、このまま黙っていればいずれ行き着いてしまうかもしれない「私たちの答え」を避けるために、由比ヶ浜はこうして行動を起こしている、という元記事での解釈を本稿でも継承する。

 

例の勝負の件

由比ヶ浜は自身の勝利が確定している出来レースに雪ノ下を乗せようとしている、だからずるい、と元記事では考察した。本稿でもその立場を取る。

元記事より引用「由比ヶ浜にはこの勝負に勝つ自信があるのだと思われる。由比ヶ浜が雪ノ下の問題を解決するということは、雪ノ下が由比ヶ浜に「私の問題を解決してくれ」と「最後の依頼」を出すことである。つまりそれは雪ノ下を意のままに操ることができることを意味する。また、この勝負に乗ってしまえば雪ノ下は比企谷に思いを伝えることができない。なぜならそれは「問題の解決=由比ヶ浜の勝利」を意味するからである。この勝負は引き受けた時点で雪ノ下の負けが確定している出来レースだ」

 

全部貰う

「それで、私が勝ったら全部貰う」
上述した「全部欲しい」の「全部」と指し示す対象は同じであると思われるが、やはり上述したように対象を限定することが難しいように思われる。

「全部貰う」=奉仕部の関係を全部貰う=自分の思い通りにする、つまりは、雪ノ下をこの恋から撤退させ、由比ヶ浜が比企谷をものにする権利を堂々と手に入れること、と元記事で解釈した。これもちょっと過激にすぎる言説のように思われるが、正しいかどうかはともかく、自分としては気に入っている。勢いのある感じが良い。

 

具体的なことは言わなかった

比企谷のモノローグ「何一つ具体的なことは言わなかった。口に出してしまえば確定してしまうから。それを避けてきたのだ」=この「最後の依頼」が「由比ヶ浜の比企谷への想いに関すること=具体的なこと」であると確定させてしまうと、「最後の依頼=比企谷への告白」となってしまう。前述の通り、ガハマ様は告られたいと思っているので、それを避けなければならない(ということを比企谷は認識している)、と元記事で解釈し、本稿でも継承する。

ただ、そのように解釈すると、私は俺ガイル完11話の考察記事において、「お前はそれを待たなくていい」は比企谷が由比ヶ浜の想いに全然気づいていない上での天然発言だ、という意味のことを書いており、それと矛盾する。難しいですね。

 

ゆきのん、それでいい?

「ずっとこのままでいたいなって思うの。どうかな? ゆきのん、それでいい?」=本稿の結論そのまま「私は比企谷が好きだから諦めない。ゆきのんが比企谷のことを好きなのは知っている。だけど、諦めて欲しい」。このまま比企谷に想いを伝えないでくれ、ということ。

由比ヶ浜は「最後の依頼」を最初から最後まで雪ノ下にだけ向けて話しているように思われ、最終的にも雪ノ下にだけ「それでいい?」問うている。とすれば、「私たちの最後の依頼は私たちのことだよ」の「私たち」は「奉仕部3人」というよりは「由比ヶ浜と雪ノ下」と捉えることができるかもしれない。

 

その提案には乗れない

比企谷が突然に介入する。「私たち」の中に俺も入ってるんだよぉ😭とでも言わんばかりに。

上記で「最後の依頼」とは「由比ヶ浜が比企谷に間接的に想いを開陳(待たないで、こっちから行くの)しながら、雪ノ下を牽制すること」というような意味で考察してきた。で、ここで比企谷にそれを拒絶されたということは、「こっちから行くの」の否定と同義である。由比ヶ浜の頬には一筋の涙が伝う。

加え、物語の続きである俺ガイル完において、由比ヶ浜は比企谷に対して全く積極的な態度を見せない。なぜなら、ここで由比ヶ浜の「待たない」は否定されているので、由比ヶ浜の手札は全て没収、従って「待つ」ことしかできなくなってしまった、と考えることができるだろうか。

 

雪ノ下の問題は雪ノ下自身が解決すべきだ

俺ガイル続8話の雪ノ下の台詞「あなた一人の責任でそうなっているなら、あなた一人で解決するべき問題でしょう」と同じである。結局は奉仕部がクリスマス合同イベントを手伝うという行動に至ったことで、この雪ノ下の台詞は物語としては否定された。その否定されたものを墓場から掘り起こし、ゾンビとして再利用しているということは「雪ノ下の問題は雪ノ下自身が解決すべきだ」は間違っている(こちらの考察サイトのトピックを参照しました)、とみなしていいと思われる。

この間違っている「雪ノ下の問題は雪ノ下自身が解決すべきだ」が呪縛として機能し、雪ノ下がひとり追い詰められて行くのが俺ガイル完の話である。

 
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