俺ガイル結2巻の仮説、感想、疑問点──由比ヶ浜妄想日記説とは何か

由比ヶ浜の妄想日記説

結2の本文は丸ごと「由比ヶ浜の妄想日記」なのではないかという(突拍子もない)仮説を(敢えて)提唱したい。論拠は例えば、

・本文が由比ヶ浜に都合よく書かれているように思える
・本文の由比ヶ浜のキャラがかなりグイグイ行く感じになっている
・雪ノ下にあまり言及されていない
・比企谷がずいぶん由比ヶ浜を気にかけてアプローチするような感じになっている
・葉山×比企谷のニケツエピソード(海老名の入れ知恵か?)
・interludeが冒頭だけで中にない、など

「由比ヶ浜妄想日記」説というのは、冒頭のinterludeは十中八九書き手は由比ヶ浜と断言していいと思うけど、その続きの本文も由比ヶ浜が妄想して書いたのではないかというものである。そう考えることによって、最後の紛い物の物語(モック・テイル)も由比ヶ浜の「今は本物じゃなくていいのよ」という自虐というか皮肉というか強がりというか、そんな感じに受け取ることができるかもしれない。

この「由比ヶ浜妄想日記」説は、俺ガイル本編は冒頭のレポートから始まり、本文も含めてレポートであるとも考えることができるという説にインスピレーションを受けたものである。

比企谷、恋愛系YouTuberの動画か何か見てきた説

本文の比企谷のキャラが最初から全然違うのであり、比企谷は恋愛系YouTuberの動画か何か見てきたのではないかという(突拍子もない)仮説を(敢えて)提唱したい。おそらく、結1巻の最後でどちらを選ぶかの決断をし、決断をしたからには行動をするための方法論や手がかりが必要で、つまりは恋愛系YouTuberの動画か何かを見て学習してきたのだろう。もしかしたら、オウィディウス『恋愛指南』とかスタンダール『恋愛論』とか、その他いろいろあるなんやかんやの自己啓発本みたいなやつも読んだかもしれない。

論拠は、例えば下記である。

「……似合うな、それ」(22頁)
由比ヶ浜が驚いている通り、比企谷は今まで「似合うな、それ」みたいな褒め言葉を発話したことがないと思われる。加えて、「似合うな、それ」はちょうどいい褒め言葉、言うなれば無難な褒め言葉の常套句と思われ、我々は往々にして意中の相手を褒めようとするとなんかキモくなっちゃうことになっているのであり、どこでそんなちょうどいい褒め言葉を学習してきたのか。

俺が適当ぶっこくと〜(23頁)
本文中で比企谷は適当ぶっこきまくっている。いちいち「適当ぶっこくと」と記述されているということは、適当ぶっこくべくして意識的に適当ぶっこいているということになるし、これは本心ではないんですよーという弁明にもなっているように思われる。さすがに恋愛系YouTuberが「意中の相手に好意を持ってもらうためには、適当ぶっこきましょう」と教えるとは思えないから、そもそも比企谷には「適当ぶっこ」ける程のコミュニケーション能力があったことを示しているように思う。材木座や小町とのコミュニケーションをここに流用したか、あるいは葉山や戸部のやり方を見て学習したのかもしれない。

俺だったら、急にLINE返信したらがっついてるように見えないかな……とか思って、二、三時間放置してから返してるところだ(76頁)
中学の時の比企谷は、これは私の推測だが、折本からのメッセージに即レスしていたように思う。なぜなら、折本からのメッセージを「今か今かと待っていた」(という記述が原作のどこかであったように思う)からである。何のためにメッセージの受信を渇望するのか。即レスするためである。それが今は「二、三時間放置してから返」すらしい。何があったのか。折本の件で学習して高い自意識が形成されたため、あるいは何かを見るか読むかして学習したためだろう。

返報性の原理(97頁)、他
本文中にこれでもかというほど「返報性の原理」という言葉が出てくる。まるで覚えたての言葉を使いたがっているようだ。そうである。比企谷は何かを見るか読むかして「返報性の原理」を学習し、こうして我々に開陳しているのである。

葉山はなぜ爆笑したのか

葉山が人目も憚らず爆笑した(43頁)のは「他校の男子=比企谷」と気付いたからであるのは間違いないだろう。では、なぜ「他校の男子=比企谷」と気付く→爆笑、となったのだろうか。考え方はいろいろあると思う。

・比企谷と絡める材料を手に入れて喜んで笑った
・比企谷の認知度の低さを馬鹿にして笑った
・それが比企谷であると気付かないことを「みんな見る目ないなー」と皮肉を込めて笑った

あるいは、陽乃が6巻文化祭回で爆笑したところと何か関連があるかもしれないし、ないかもしれない。比企谷の認識としては、「葉山のあの笑いはどちらかと言えば嘲笑とか哄笑(筆者注:こうしょう、と読むらしい、いま調べた)とか、その類いのものだったようにも思う」(82頁)となっていて、それが手がかりになりそうだが、比企谷の認識が正しいかどうかわからない、なんなら間違っていることが多いというのが難点である。

「あいったー……」

「あいったー……」別にまったく痛くはないのだが、礼儀として言いつつ(50頁)、本編14巻(たしか)で出てきていた表現がここで出てきている。元ネタは『ヒナまつり』で、俺ガイル続・完でお馴染みの及川啓監督によってアニメ化された。この結2巻の感想として、登場人物が成熟しすぎている、つまりは14巻を経過したまま結2に戻ってきたように感じる、というものがあり、比企谷がここで「あいったー」と言っているのはその証左になり得るかもしれない。

緑色の目をした化け物

緑色の目をした化け物(P128)とは、green-eyed monsterであり、シェイクスピア『オセロ』に出てくる表現であり、「嫉妬」を意味する常套句だそうです。わからないので調べました。

……よし、八番目に可愛いほう、お前は今日からモブ子だ!

「……よし、八番目に可愛いほう、お前は今日からモブ子だ! もう一人はモブ美でいいや」(P136)は看過できない。比企谷は人の可愛さとやらに順位を付けるような奴だったか? とすれば、雪ノ下と由比ヶ浜を順位付けしているのか? そんな奴じゃなかっただろ? 言葉にこだわっているらしい奴が数字というわかりやすいものの上で踊らされてどうするんだね。おおん? 由比ヶ浜さんに嫌われるぞ?

あと、言葉にこだわるのであれば同様にして固有名詞にもこだわらなければならないと思われ、「川なんとかさん」はギャグとしてスルーできるにしても、モブ子とモブ美はひどいと思う。比企谷がこの物語の主人公であることを強く意識しているからこそ他人を「モブ」呼ばわりできるわけで、それはずいぶんな奢りのように思われる。

この部分、モテすぎて女性をモノとしてしか認識できなくなってしまったか、あるいはモテなすぎて認知が歪んでしまったか、どちらなんだろう、などと考えていた。14巻から戻ってきた説を採用すれば、俺もいっちょ前に学校一の才色兼備な女子とパートナーになったでぇ〜つって前者と思われるが、anotherでもこのくだりはあるらしく、そうだとしたら後者の可能性もある。

葉山と自転車のニケツ

取って付けたようで不自然だなと思ってしまった。葉山とニケツをして公園に行く理由は「誰にも聞かれたくない話だから」と説明されていたが、逆にそれだったら、葉山とニケツをしてどこか遠くに行くところを誰かに見られて、仲良い二人が誰にも聞かれたくない話でもしに行くのかなーと思われる方にリスクがあるのではないか。「誰にも聞かれない場所」に各々集合するほうが「誰にも聞かれない」を達成するには合理的に思われる。

それと、ニケツで遠い公園に行ったにもかかわらず密会をした後は葉山は一人で徒歩で帰っているのであり、これはどういう状況やねん、という指摘もある。

信頼できない語り手

「己が胸の内にだけ降り積もる独白さえも虚飾で糊塗した」(227頁)とあり、これは比企谷が「信頼できない語り手」であることの告白であり、これ以前の頁の記述は意図的に嘘をついていますよーという独白になっている。

陽乃さんに伝えたいですね

葉山「陽乃さんに伝えたいですね」(257頁)は何がしたかったのかさっぱりわからなかったが、ああいう場でああいう突拍子もないことを言うような「おもしろい」人間じゃなければ陽乃の関心を引けない、という意見があり、合点が行った。

紛い物の物語(モック・テイル)について

「今はまだ、紛い物の物語(モック・テイル)で構わない」の部分を最初に読んだとき、「紛い物」ということは「本物」がどこかにあるわけで、本物があるにもかかわらず紛い物=由比ヶ浜と浮気していちゃちゃしている、みたいな感想がまずあった。

しかし、次のような意見がある。「紛い物」と聞くと我々は由比ヶ浜のことを想起してしまうわけで、なぜなら我々は既に14巻とか俺ガイル完とかを視聴しているため紛い物=由比ヶ浜が結び付きやすい脳になってしまっているからだ、と。たしかに、と思った。

その先入観を排除してこの部分を見てみると、「しょうがないだろ、好きなもんは好きなんだから」「そっか。好きなんじゃ、しょうがないね」と比企谷と由比ヶ浜は「モクテル」の話をしている(309頁)。恋愛の話ではなく、モクテルの話をしている、ということになっている。比企谷の発話する「好き」が恋愛の意味であったとすれば、モクテル(が「好き」)=紛い物の物語=モック・テイルとなる。「ほんとは恋愛的に好きなんだけど表面上はモクテルの話をして誤魔化していたんですよー=紛い物の物語=モック・テイル」だ。

ということは、私は最初に「紛い物=由比ヶ浜と浮気していちゃちゃしている」なんて書いたが、真逆の意味になるだろう。「ほんとは恋愛的に好きなんだけど表面上はモクテルの話をして誤魔化していたんですよー=紛い物の物語=モック・テイル」はほとんど告白だ。由比ヶ浜のこと間違いなく好きじゃん。で、「今はまだ」なわけだから、次巻以降で何らかの進展がある可能性が強く示唆されてるじゃん。わお、と私は思った。

疑問点まとめ

・比企谷は葉山に協力してもらって、結局何をしたかったのか? それで、協力してもらえなかったことで何がどうなったのか?

・由比ヶ浜がそもそも噂を収束させるために企てていた計略というのは一体何だったのだろうか。いろはと由比ヶ浜が一緒にカフェに入ってくる(154頁)ことで、二人が何かを企んでいるのではないかと示唆され、そこから、いろはの言う「当たり前を守ろうって頑張る人」(212頁)は由比ヶ浜を指しているのではないかとの意見があった。由比ヶ浜は噂を収束させるために何かを企てている。だが、由比ヶ浜が実際に用いた計略は、比企谷の負傷を治療し、敢えて目立つように比企谷と行動する(266頁)である。比企谷が負傷したのは偶然に違いないから、結局、由比ヶ浜は何を計略していたのかよくわからない。

・由比ヶ浜、比企谷の右足をスナイプして転倒させた説
由比ヶ浜が秘密裏に行動し、男子マラソン中に比企谷の右足をスナイプして転倒させ、後に何食わぬ顔で治療したという(突拍子もない)仮説を(敢えて)提唱したい。マラソンで比企谷が転倒した描写を引用すると「右足が左ふくらはぎに追突した」(253頁)となっている。私は人生において転倒したことが何回かあるし、マラソンをわりと本気で走ったこともあるが、「右足が左ふくらはぎに追突した」ことは一度もない。大抵は足が上がらなくなってつま先が何かに突っかかって転倒するとか、二足で立っていられないほど体力が疲弊してふらふらと横に倒れるとかである。箱根駅伝で「右足が左ふくらはぎに追突し」て転倒している選手を見たことがあるだろうか。私はない。従って、「由比ヶ浜、比企谷の右足をスナイプして転倒させた説」というのは、由比ヶ浜はいろはと何らかの計略を立て、マラソン大会で葉山と絡んで体力が疲弊した比企谷の右足を横から何らかの方法でスナイプ、比企谷の右足は進行方向がずれて左ふくらはぎに追突、比企谷は転倒、負傷、由比ヶ浜は何食わぬ顔で負傷した比企谷を治療し、二人はベタベタすることとなった、と考えることもできるかもしれない。こわ。