「働きたくない」意志を持ち続けよ『怠ける権利』ポール・ラファルグ【著】

怠ける権利 (平凡社ライブラリー)

 本書『怠ける権利』の論旨は、単純明快だ。つまり、「一日3時間労働」の提唱である。

 自然の本能に復し、ブルジョワ革命の屁理屈屋が捏ねあげた、肺病やみの人間の権利などより何千倍も高貴で神聖な、怠ける権利を宣言しなければならぬ。一日三時間しか働かず、残りの昼夜は旨いものを食べ、怠けて暮らすように努めねばならない。

 僕たちは、働きたくない。できれば何もしたくないし、好きなことだけをやっていたい。それは単なるわがままだろうか。
 いや、違う。
 そのような意志を持ち続けることは、人生の名の下においては非常に有用なことであると私は考える。もちろん、『怠ける権利』が発表された19世紀後半と現在の労働者における労働環境に雲泥の差があるにしてもである。
 いつの時代も労働の義務は僕たちの足枷でしかない。

 資本主義文明が支配する国々の労働者階級は、いまや一種奇妙な狂気にとりつかれている。その狂気のもたらす個人的、社会的悲惨が、ここ二世紀来、あわれな人類を苦しめつづけてきた。その狂気とは、労働への愛、すなわち各人およびその子孫の活力を枯渇においこむ労働に対する命がけの情熱である。

 出版から100年以上経った今でも『怠ける権利』は警鐘を鳴らし続けていると皆言う。確かにその音は錆びつくことなく極めて明瞭かもしれない。
 改めて言うが、私は一日に8時間も働きたくない。ただそれだけである。
 19世紀後半は、人間の機械化が問題視され始めた時代だった。工業化・大量生産の大波によって、彼らが働く工場は人間性を蝕み続けた。労働者は一日10時間以上も拘束され、貰えるのはパンをひとつ買えるくらいの賃金。その上、労働者をこき使う資本家はますます私腹を肥やす。資本主義がそのコントロールを失い、一般労働者の人間性を飲み込みながら物凄い勢いで膨張していた時代である。
 人間の機械化は今現在でも危惧され続けている。ITテクノロジーによって多くの人々は仕事を失うとか、機械を使うはずの人間が機械に使われるようになるとか。それはつまり、生産性だけを追い求めることは、果たして私たちの暮らしを本当に豊かにするのか、という問題提起である。
 そういった論争に私は全く興味がない。
 私はただ、自分の生活を仕事中心にしたくないだけだ。

 われわれの時代は、労働の世紀と言われるが、実際のところそれは、苦悩と悲惨と、堕落の世紀である。

 油断するとつい思考停止しがちになる僕たちにおいて、何かに対して疑問を持ち続けることこそ、人間として生きることに他ならないのではないだろうか。
 仕事とかいうやつに対する疑問を持ち続けることで、僕たちはかろうじて労働に飼い殺されることなく、人生を謳歌するための原動力を胸に秘めることができる。その炎に薪をくべ続けることができる。
 たとえその「働きたくない」が純粋な怠惰によるものであったとしてもだ。

 労働は、一日最大限三時間に賢明に規制され制限される時はじめて、怠ける喜びの薬味となる(略)。

 死んだように生きるのか、生きてるみたいに生きるのか。
 労働とは、そういった問題を常に含意している。過労死だなんて愚の骨頂。
 『怠ける権利』は、生きてるみたいに生きるべく抜本的解決策――すなわち3時間労働――を何の根拠もなく殆ど飛び道具の如く出現させた。

 一日3時間労働によって全てがうまくいくとラファルグは説明するが、その論理ははっきり言って破綻している。単なる机上の空論である。
 ただ、その情熱だけははっきりと伝わってくる。どんな駄弁も、熱弁すれば人々の心を揺り動かすことが往々にしてある。
 「3時間」ってのは一体どんな算出方法で導き出された数字なのか、そんなことはどうでもいい。そもそも根拠なんてないからである。その大雑把さも魅力的だ。

 もちろん、現在のこの世界において、一日3時間労働を法定している国家も自治体も残念ながら存在しない。
 しかしながら、「働きたくないぞ」「仕事とは一体何なんだ」という意志・疑問を持ち続けるためにおあつらえ向きの書籍が『怠ける権利』なのである。
 自宅の本棚とオフィスの書庫にこれを飾っておくだけで、凝り固まった頭と労働に特化した身体をリラックスさせる、アロマテラピーのような効果があるとかないとか。

 おお、《怠惰》よ、われらの長き悲惨をあわれみたまえ! おお、《怠惰》よ、芸術と高貴な美徳の母、《怠惰》よ、人間の苦悩の癒しとなりたまえ!

 1917年、ロシア革命によって人々の夢と希望を乗せた全く新しい国家が誕生しつつあった。共産主義を志向するソビエト連邦である。ちなみにポール・ラファルグはマルクスの娘婿であり、『怠ける権利』には『資本論』からの引用も若干掲載されている。
 ソビエトでは、全員が平等で、全員が笑って暮らせて、全員が豊かになるはずだった。限りない豊穣へ向かっていくはずだった。国民の希望であり、他国の羨望の的になる、はずだった。
 1991年、建国以来数々の悪評が絶えなかったソビエトは頓挫した。ユートピアは終焉を迎えた。

 だがしかし、僕たちの「怠ける権利」はまだ息絶えていない。一日3時間労働は、まだ始まってさえいないのだ。
 本を開けば、そこに僕たちの夢と希望のユートピアが存在し続けるのである。

 ちなみに、一日3時間労働なんて甘い、労働自体が廃されるべきだと考える卓越なる者はボブ・ブラックの『労働廃絶論』も併せて本棚に収めておくと、より向上心が高い。