俺ガイル結1巻の感想・考察──問い直し、行動・選択・言葉、そして成長
俺ガイル結1の感想です。考察ではなく、読み終わっての普通の感想です。要旨は「良かった」です。 pic.twitter.com/stdLFsvCrp
— 飄々図書室@俺ガイル研究会 (@hyohyolibrary) September 17, 2021
『俺ガイル結』1巻を読了した当初に簡単な感想をTwitterにあげていた(上のツイート)のですが、2巻の発売に際してざっと再読し、改めての感想・考察が下記になります。2000文字程度とあまり長くないので、ぜひ最後までご覧頂ければと思います。
(我々の俺ガイル観の)問い直し
由比ヶ浜の独白「ずっと昔から、自分が気づいていたことに、気づいてしまった。/(略)聞くことも、言うことも、確かめることも、諦めることもしていなかった自分に気づいてしまった。/(略)──ずっと前から、好きだったんだ。」(結1,P23)
当然ながら「誰が」「誰を」ずっと前から好きだったのか、が問題になるわけだが、俺ガイルという作品に散々振り回されてきた俺ガイラーであれば、おおよそ「雪ノ下が」「比企谷を」という仮説に行き着くだろう。
で、そこで問題、というほどではないけれど想起したのは、本編9巻の「本物がほしい」直前で由比ヶ浜と雪ノ下が口論する場面、「……ゆきのんの言ってること、ちょっとずるいと思う」「……今、それを言うのね。……あなたも、卑怯だわ」(P249)のシーン、二人は何について喋っているのか、についての考察である。いろいろな考え方があると思うけれど、主に「生徒会長選挙から奉仕部の停滞の現状について」と「比企谷への恋心について」という考察を多く見かけたように思った。
問題は後者で、この段階で比企谷への恋心について雪ノ下とバッチバチにやり合っておきながら、その後に「(雪ノ下が比企谷を)ずっと前から好きだったことに気づいてしまった」のは齟齬が生じるように思った。
このように俺ガイル結では、本編の(各々の俺ガイル観に対する)問い直しを要請する場面が度々出てくるかもしれない。
行動・選択・言葉──本編との違い
俺ガイル結は、比企谷の「行動・変化・選択」あたりに焦点が当てられそうな印象を持った。「俺は……、とりあえず行くわ」(結1,P198)、「そのために、ひとつだけボタンを押した」(同,P306)など、比企谷が積極的に何かを選び取る物語になりそうな感じを受け取った。
逆に、本編で執拗にこだわっていた「言葉」への執着は、結では重要視されないように思った。例えば下記が論拠になるだろうか。
「面接に通るコツは無駄にでかい声と、シフトたくさん入れますアピールだ」(略)
どんな飾り立てた言葉よりも、その人の態度や話し方、そうしたものに注目をするのだ。
それを考えれば、でかい声ではきはきしゃべる、という行為は言語コミュニケーションのようで、その実、非言語コミュニケーションと言えるかもしれない。
一説によれば人のコミュニケーションのうち、言語による部分は三割程度と聞く。残りの七割は非言語的なコミュニケーションによって成り立っているのだ。
(同,P155-156)
成長物語としての俺ガイルを考える
また、「成長」という意味ではどうだろうか。俺ガイル本編において、比企谷は果たして成長したのだろうか、という疑問がある。私見を交えて簡単に振り返ってみよう。
まず1〜6巻は比企谷が「(自己犠牲によって)世界を変える」話であり、6巻においてそれは「完成」される。
7巻の修学旅行編、ここに一つのターニングポイントがある。比企谷は「世界を変える」ために「自分を変える」のである。
9巻のクリスマス合同イベントがこの極致であり、「自分を変える」ことで自らの問題を解決しながら、同時に「世界を変える」ことに成功する。
11巻のバレンタインイベントは、要するに比企谷主催の自己啓発セミナーみたいなものなんじゃないかと私は考えている。で、陽乃に「本物ってこれなの?(大意)」と問われ、振り出しに戻る。
13巻、ダミープロム。比企谷は「(自己犠牲によって)世界を変える」という原点回帰をする。しかしこの方法は誰がどう見ても間違っており、玉縄にさえ「だめだよ」とたしなめられる。
14巻、雪ノ下をダミープロムの責任者に仕立て上げたり、お前の人生歪める権利を俺にくれ、と言ってみたり、つまり比企谷は「(自己犠牲によって)雪ノ下を変える(歪めようとする)」。「世界を変える」が「雪ノ下を変える」に変わった。ただ、比企谷自身のスタンスとしては何も変わっていないように見える。
そう考えると、9巻のクリスマスイベント後から結1が始まっているのは注目すべきかもしれない。上で「自分を変える」極致がクリスマスイベントだった、というようなことを示したが、それは比企谷、雪ノ下、いろはがそれぞれ「行動」を起こし「変化」したからこそ、停滞していた奉仕部の現状及び停滞していた会議を克服できたからである。
それ以降、本編ではその成功体験がバレンタインイベントのような「なあなあ」にする方向に向かい、結果、エンディングを待っても比企谷は成長しなかった(=スタンスを変えなかった)。物語における約束事として何らかの成長が描かれなければならないとすれば、本編は「比企谷八幡の物語」でありながら「雪ノ下の成長物語」と言えるかもしれない。
それに対し、結では早速1巻から比企谷が何かを「選び取る」方向に舵を切っている。とすれば、この俺ガイル結は「由比ヶ浜結衣の物語」でありながら「比企谷の成長物語」になるのかもしれない、などと思った。
ディスカッション
コメント一覧
まだ、コメントがありません