植物は音楽を聴いていないという科学的事実が判明した

植物は音楽を聴いていないという科学的事実が判明した

 植物は光を感じることができる。触られたことを認識することもできるし、気温を感知することもできる。だけど、ダニエル・チャモヴィッツ著『植物はそこまで知っている』によれば、植物が音を聞いているとする証拠はどこにもないと結論づけられている。

 

植物と聴覚に関する荒唐無稽な研究の数々

 植物と聴覚に関する研究論文の数はさほど多くない上、そのどれもが「植物が音楽を聴いている」とみなす証拠としては頼りないものである。しかもそれらの研究はかなり荒唐無稽なものだ。幾つかを紹介しよう。

 

1. 自分の演奏をオジギソウに聴かせるダーウィン

 進化論を提唱したことで名高いチャールズ・ダーウィンは、植物研究のパイオニアでもあると同時にバスーンを演奏することを趣味としていた。ダーウィンは自身によるバスーン演奏をオジギソウに聞かせてみて葉が閉じるかどうかを観察したことがあるが、結果は反応なしだった。彼はそれを「まぬけな実験」と呼んだ。

 

2. ロックは植物の成長を阻害する? ドロシー・レタラック『音楽の響きと植物』

 ドロシー・レタラックは音楽のジャンルが植物の生長に与える影響について研究していた。レタラックのその研究には彼女の先入観・価値観が大いに反映されているものだった。つまりは、野蛮なロック音楽は生物に悪影響を与えるものに違いないという考え方である。

 果たしてレタラックの報告によれば、バッハやシェーンベルクなどの穏やかなクラシック音楽を聞かせた植物は繁茂し、レッド・ツェッペリンやジミ・ヘンドリックスなどのロック音楽を聞かせた植物群は生長が阻害されたという。ロック音楽のドラムビートが植物を傷めたのではないかと仮説を立て、ドラム音を抜いたレコードを聞かせた場合には植物への悪影響は少なかったのだそうである。

 そう、つまりロックは植物に悪影響を与える! 流行りのロックは若者を馬鹿にし野蛮にする! 諸悪の根源はロックだ、とはならない。

 レタラックの研究には「サンプル数が少ない」「統計学的基準を満たしていない」「そもそも実験のやり方が適当だった」など、致命的な欠陥が多数あったために、ロックが悪影響を与えてクラシックが癒やしと生長を育むとする証拠としてはあまりにも頼りなさすぎたのだった。この研究結果は科学界からは全く相手にされなかった。

 

3. 何であれ音楽を聞かせると植物は生長する? ピーター・スコット『植物の生理学とふるまい』

 研究者であるピーター・スコットはトウモロコシにモーツアルト『協奏交響曲』かミートローフ『地獄のロック・ライダー』のいずれかを聞かせて影響があるかどうかの実験を行った。結果は、静かな場所に置いた植物よりも、モーツアルトであれミートローフであれ音楽を流したところに置いた植物群は発芽が早かったというものだった。

 音楽は人生を豊かにするように、植物に良い影響を与える! とはならないのである。

 結局はスピーカーから出た熱が植物に良い影響を与えただけだったのである。二度目に同じ実験をする際、スピーカーから放射される熱が植物に直接かからないように小型の扇風機を取り付けたところ、静かな場所に置いた植物も音楽を聞かせた植物も発芽率に違いは見られなかった。

 

結論:植物は進化の過程で聴覚を獲得しなかった

 真に科学的な研究によれば、いまのところ、いわゆる「音楽」は植物に影響しないと言っていい。

 (略)

 数量的なデータを出せない以上、いまのところ、植物は「聞く」という感覚を進化の過程で獲得しなかったと判断すべきだ。

 『植物はそこまで知っている』ダニエル・チャモヴィッツ著/矢野真千子訳/河出文庫 P105、P107

 なぜ、植物は進化の過程で聴覚を獲得しなかったのか。それは私たち動物が聴覚をどのようなシーンにおいて役立てているかを考えてみればわかる。

 私たちは音を合図に危険を回避することができる。暗闇の中で何か物音がすれば警戒態勢に入り、逃げる/戦うの選択肢を選び得る情報とすることができる。仲間が警戒音を発するのを聞けば、危険が迫っているのだと理解して安全を確保することができる。あるいは、声を発し、それを聞くことによって仲間とコミュニケーションをとることができる。仲間がどこにいるかが音で理解でき、その方向へ走り寄ることができる。

 本書『植物はそこまで知っている』によれば、植物は匂いによって仲間とコミュニケーションを取ることが明らかになっている。光を感じ、触られたことを認識することもできる。感覚を頼りに自分がどこにいるのか、どの方向に芽や葉を伸ばせばいいのかわかっている。植物は意外と賢いのだ。

 だけど、植物は動かないし、自ら音を発することはない。危険が迫っていても逃げることはできないし、仲間の合図で素早く身を隠すこともできない。その場所に根ざしてじっとしているしかない植物にとって「聞く」という機能は必要のないものだったと考えるのが妥当なのである。

 

「音楽を聞かせて育てたから糖度が高い」は嘘

 そう、植物は聞くことができない。森の中で鳥がさえずる音も、風によって葉がこすれる音も、けたたましい落雷の爆音も認識できないのである。

 これはつまり、上述したように植物に音楽を聴かせて育てることが全くの無意味であることを示している。市販の野菜や果物の中には「モーツアルトを聴かせて育てました」とか「音楽を聴いて育ったので糖度が高い」と喧伝して売られている青果物があるけれど、音楽を聞かせて育てることには何の意味もないのである。なぜなら、植物は聞くことができないからである。

 私がかつてスーパーマーケットに勤めていた頃によく入荷されていたものに「音楽を聴かせて育てました」のキャッチフレーズでお馴染みの「メロディーみつば」というものがあったが、今思えば噴飯物である。そのみつばは流れているメロディーを全く認識することなく育ったのだった。

 

植物に声をかけても意味はない。けれど

 となれば、私たちが雑誌や教本などによって実践するように唆される「観葉植物に声をかけると元気に育つ」というのも全くの嘘っぱちであったということになる。「あさがおさんおはよー」とか「大きくなあれ」とか「元気に育つんだよー」とか、植物に話しかけること自体には何の意味もない。私たちが声を掛けても植物の育成を促進することにはならない。

 だけど、直接の効果はないけれど間接的な効果はあるのでないか。例えば植物に毎朝「おはよー」と声をかけるということは、毎朝、当該植物を観察する機会を得るということに他ならない。植物を含めた生き物を健やかに育てる上で肝要なことはよく観察することであると私は考えている。

 植物は毎朝「おはよー」と声をかけられていることは知る由もないけれど、あなたが声をかけるついでによく観察することによって、その植物の健康状態や生態ついてよく知ることができるというかけがえのないメリットがもたらされるのである。