毛虫を裁判にかけて破門にする方法『動物裁判』

Photo by Rosino

 

 1562年、パリ司教は、アルジャントゥイユ一帯のブドウ園を荒らすオトシブミないしカブトムシを、祓魔式と破門で制裁した。

『動物裁判』池上俊一、講談社現代新書、P92

 例えばあなたが家庭菜園をしていたり農家を営んでいたとして、害虫や小動物の大量発生によって農産物が甚大なるダメージを受けつつあったとしたらどうするだろうか。恐らく「農薬を散布して駆除する」あたりが正解だろう。何らかの現実的な対策を施すはずだ。

 しかしこれは現代の話。

 今ほど効果的な農薬が存在しない13世紀から18世紀にかけてのヨーロッパにおける正解は「害虫・害獣を裁判にかけて破門にしてもらう」である。中世ヨーロッパ各地においてはこうした「動物裁判」が真面目に行われ、動物たちは公正且つ厳粛なる裁判の結果、破門にされたり処刑されたりしていたという。

 そのあまりにも馬鹿げているように見える「動物裁判」とはどのように行われていたのだろうか。下記、『動物裁判』(池上俊一、講談社現代新書)より7つのステップに分けて一連の流れを紹介しよう。便宜上、害虫・害獣をまとめて「毛虫」と表記するが、そこには「一番おもしろそうだから」以上の意図はない。野ネズミ、ミミズ、ナメクジ、バッタ、カメムシなどでも構わないので、各自一番おもしろそうな害虫・害獣に脳内変換されたし。

 

1. 訴状の提出

 訴状には、被災地の指定(小麦畑かライ麦か、はたまたブドウ園か)や被害の状況とその価値、加害者の形色・特徴などの正確で詳細な記載をして、人違い(動物違い?)を理由にうったえの無効が主張されたり、当該動物が、自分が召喚の対象となっていたとは知らなかったなどと、いいのがれせぬようにした。(前掲書P36-37)

 裁判を始めるにあたっての発端は、事件の被害者が訴状を提出するところであることは現代でも変わりあるまい。違うのは被告が「毛虫」であるというところである。大量発生した毛虫によって畑を荒らされ農作物に深刻な被害を受けている住民は、検察官(代訟人)を任命して、管轄の裁判所に訴状を届け出る。ここから全てが始まる。

 

2. 祈って税金を納める

 裁判はすぐに開始されるわけではない。というのは、当該毛虫の大発生は人間の罪深さに対する神の怒りによるものかもしれないからである。従って、判事(司教、または司教代理)は裁判の開始前、原告住民に下記のことを勧める。

・公の祈祷や行列
・十分の一税の支払い
・ミサ執行
・禁欲行
・善行

 それと同時に、悪の化身である毛虫に対して祓魔の儀式を行い、呪いの言葉を発することも行われた。たかが毛虫ごときに仰々しく呪いの言葉を発している様は非常にシュールな光景であったと想像される。

 それでも万策尽き、一向に埒が明かない場合、いよいよお待ちかねの裁判が始まる。

 

3. 抗弁による裁判延期の手続き

 その前にもう一つ段取りがある。被告(毛虫)は「管轄違い」「裁判官・原告・検察の無能力」「訴状の不明確さ」などを理由に抗弁することによって裁判の延期を求めることができたことである。被告(毛虫)によって抗弁がなされない・却下された場合には、原告(住民)と被告(毛虫)が裁判所に出頭していよいよ裁判を始めることとなる。

 

4. 被告の召喚

 言うまでもなく、裁判を開始するためには原告と被告の両人を裁判所に召喚しなければならない。原告側は毛虫にいち早く土地を退いてもらいたいと思っているので勇み足で裁判所に出頭するだろうが、被告(毛虫)にも裁判開始の旨を通達する必要がある。「知らなかった」と言い逃れできないようにしなければならないのだ。

 おおよそ被告(毛虫)の呼び出しには「裁判官が当該土地に赴いて声高に通達する」か「公告による呼び出し」の手段が用いられた。つまり、裁判官が当該農地に向かって「おい毛虫たち、件の日程で裁判が開かれるので出廷せよ」と直接呼びかけるか、毎週日曜に開かれるミサにおいて裁判日程を繰り返し公告することによって被告(毛虫)にも周知されたとみなすことである。

 
 これらの喚問は日を明けて三度行われる。それでも被告(毛虫)が裁判所に姿を現さず、且つ、正当な欠席理由を釈明できなかった場合、被告(毛虫)の「欠席」が確定し、いよいよ被告(毛虫)不在のまま審理が開始される。

 ちなみに、「正当な欠席理由」としては次のものが挙げられる。

・召喚の通達が、対象となる昆虫(や小動物)全員に届かなかった可能性があること
・既に土地を離れてしまった可能性があること
・毛虫は歩行速度が遅いので、今もなお頑張って裁判所に向かっている最中であるかもしれないこと
・仇敵のネコが狙っていて遠回りの必要があること

 

5. 審理の開始

 いよいよ裁判が開始され、審理が始まる。前述の通り、これは公正で厳粛な方法に則って行われる。出来レースではないれっきとした裁判だ。

検察官の口頭弁論

 まずは検察側の弁論である。検察官は住民の代弁者であり、被告(毛虫)の責めに帰すべき悪行によって農地に甚大なる被害を受けていること、住民は飢えに苦しんでいること、もはや立ち上がる気力さえなく死の危険さえ迫っていることを熱弁する。時に大げさな身振り手振りや大言壮語を交えて列席者の感情に訴えかける。

 もちろん、感情に訴えかけるだけが能ではない。検察官は現状を精緻に分析、論点を洗い出して被告(毛虫)に迫り問いただすことで、被告(毛虫)の自白を引き出そうとすることも忘れない。

 当時の裁判においては、被告は自白によって直ちに有罪となることになっていたが、それは自発的な自白でなければならず、加えて、年齢が25歳未満の者は後見人または補佐人の助力なしには自白できないとされていて、それは動物裁判にも適用されていたようである。動物における年齢の数え方がどのようになされていたのかは不明であるが、事実、未成年とみなされて裁判に臨んだ毛虫の例が記録に残っている。

 

被告側の口頭弁論

 続いて被告(毛虫)側の口頭弁論に移る。毛虫には裁判能力がないことは誰の目にも明白であるので、殆どの場合、代理として弁護士(人間)が立てられたようである。

 弁護士(人間)も負けてはいられない。弁護士としてのプライド、誠意、被告(毛虫)に対する無用な罪を晴らす責任がある。審理においては高潔な態度で検察側の主張に細心の注意と巧妙な戦略で反論、下記のような被告側の主張を堂々たる態度で述べる。

 被告(毛虫)にも生存権や土地所有権がある。まして、神は人間よりも先に動物を造られた。従って、毛虫側があらゆる権利を有するのは自明であり、毛虫には当該土地の植物を食べる権利がある、というように。また、動物の体の小ささや視力・聴力の弱さなどを理由にした情状酌量に訴えることも多かったようである。

 それに対して検察官は、神は自らの姿に似せて人を作り給うた。従って、世界のあらゆる動植物を支配する権利が人間にはある。毛虫ごときが人様の農地を荒らすことのできる権利はどこにもない、と反論する。このようにして審理は延々と続いていく。

 

余談1:動物の主張が認められた例

 ちなみに、このような動物裁判は出来レースではないことは先に述べた。厳正なる審理の果てに厳正なる判決が申し渡される。つまりは優秀なる弁護士による弁明によって動物側の訴えが認められることも往々にしてあったことである。簡単に2例だけ挙げよう。

モグラに安全通行権

 1510年、ステルヴィオという町でモグラが訴えられた。穴を掘りまくって再起不能なほどに畑を荒らした理由である。被告(モグラ)の弁護士は「モグラは害虫を食べてくれる益獣であることを主張するとともに、彼らに適当な代替え地を与えること、およびイヌ・ネコの被害にあわぬよう、安全通行権授与を要求した」。結局、弁護士の主張が認められ、裁判官はモグラに安全通行権を与えた。

ゾウムシに土地所有権

 1587年、サン=ジュリアン村でブドウ園を荒らしたという理由でゾウムシが告訴された。審理は上述の通りに粛々と検察官と弁護士の舌戦によって執り行われ、結局は住民及び検察官が譲歩、ゾウムシに土地所有権が認められた。

 

6. 判決

 毛虫の話に戻ろう。

 上述の通り、検察官と弁護士の応酬が繰り広げられた後、裁判官は厳正なる判決を下すことになる。おおよその場合、被告(この場合は毛虫)は有罪となり、罪を悔い改め、当該罹災地から指定された新たな土地に直ちに退去するよう命じられる。

 めでたしめでたし。

 ではない。それでもまだ被告(毛虫)が当該土地から立ち去らない場合、弁護士が再び被告(毛虫)を弁護する。すなわち、被告(毛虫)にとって判決によってあてがわれた新たな土地は不毛であり、避難所としては不適切、充分な食料が存在しないため被告が餓死してしまうおそれがある、などと申し立てる。

 これに対しては専門家が派遣されることになる。判決によって被告(毛虫)が移住するよう求められた新たな土地に問題がないか調査にあたるのである。調査の結果、移住先が被告(毛虫)の生存に問題がないとされると、直ちに退去しない被告(毛虫)の責任が問われることとなる。

 

7. 破門の儀式

 退去勧告に被告(毛虫)が頑なに応じない場合、ついに破門の手続きに至ることとなる。それでもすぐさま破門になることはない。一般的には破門予告は三度なされ、それでも被告(毛虫)が退去せず悔い改めないとなると、正式に破門の儀式が執り行われることとなった。

 破門の儀式は下記の如く行われる。

 司教または司祭を中心とした聖職者たちが教会のなかにあつまり、手に手にローソクをともす。かれらは、ローソクを教会の床に叩きつけて、足でふみにじりながら、「神よ、平和と正義をまもろうとしない者たちの喜びを、このローソクのように消滅させたまえ!」という司式者の唱える破門の言葉を復唱する。「犯人」のうち何匹かがとりあつめられれば、この儀式はそれらを前にしておこなわれるが、つかまらなければ、やむなく欠席でなされることになる。(P45)

 ここでようやく、めでたしめでたしである。

 

余談2:破門以外の判決

 動物裁判は農地を荒らした昆虫や小動物だけを対象とするものではなかった。例えば、暴れだして人間に危害を加えてしまったブタ、ウシ、ウマ、ロバ、イヌ、ネコが裁判にかけられ、有罪とされた例が見られる。特にブタの判例が多いようである。このような事件の場合、厳正なる裁判を経て、おおよそ死刑判決が出されることになる。

 おおよそ執行方法は、絞首刑(絞足刑)、火刑、撲殺、生き埋め、溺死刑などであった。下記で幾つかを挙げる。

・1585年、モルティエ=ドール施療院で子殺しを犯したブタは、絞殺されてから、道ぞいの絞首台に何年間も吊るされ、さらされた。

・1497年、シャロンヌ村において、子供の頬を食い切ったブタに対して、「被告(ブタ)は撲殺され、その肉は切り刻まれ犬に投げ与えられるべし」との判決が下された。

・1578年、ヘントという町で人を殺めたウシは死刑となり、その肉は肉屋で売られることとなり、利益の半分は被害者の遺族に、他の半分は市が徴収し貧者に分配された。

 

おまけ:動物以外の裁判

 動物以外の植物や物体、自然現象が裁判によって有罪になることもあったようである。三例を挙げて本稿を締めくくろうと思う。

森の死刑

 中世のアルザス地方のホーフェンとビューレンちかくのヘッツェルホルツの森で、殺人が犯されたが、その犯人をみつけだすことはできなかった。ストラスブールのプファルツ(市庁舎)裁判所は、やむなく(容疑者を匿った罪で)森の死刑を宣告し、その森の大樹林は伐り倒され、藪と灌木しかのこらなかった、という。(P77)

 

市中引き回しになった鐘

 一五世紀の末のある日の夜半、フィレンツェ共和国で(略)、市当局や反対派に抵抗するべく、その一党を呼びあつめる合図につかわれた鐘楼の鐘は、コムーネ(都市共和国)の最高政務官たちによって、共犯とみなされ、死刑囚と荷馬車に同乗させられて市内引きまわしの刑に処せられた。(P77-78)

 

破門にされた氷河

 一七世紀の末のある日、ジュネーヴ司教ジャン・ダラントンは(略)、村の境界の柵際にまでおり、耕地にも侵入した氷河にむかい、悪魔祓いと破門の儀式を定式どおりおこなった。(P102)

 
 本稿の参考文献である『動物裁判』は、上記のようなあまりにも荒唐無稽な動物裁判に関して豊富な事例が挙げられており、そのいちいちに失笑させられる。森を死刑って何だね。

 本書は新書という形態をとっており、至って真面目な学術書ではあるが、珍しく「笑える新書」のうちの一つであることを付記しておく。真面目だからおもしろい。