俺ガイル完(3期)第7話の感想と考察。二人の「お願い」とは?
俺ガイル完第7話「最後まで、由比ヶ浜結衣は見守り続ける。」の考察をしていく。あまり考察すべき点がない息抜き回かと思いきや、最後の方に魔物が潜んでおり、難解さに絶望した。是非ともコメント頂ければと思います。
今回は「玉縄」と「お願い」の2点に絞って考察している。是非とも最後までご覧ください。
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玉縄とのやり取りの意味は?
まさかのラップバトル
読者『なんでラップバトルしてるんだ…?』
編集者『なんでラップバトルしてるんだ…?』
原作者『なんでラップバトルしてるんだ…?』
#oregairu— 渡航 (@watariwataru) August 20, 2020
原作で急にラップバトルが始まった時には「おいおい、ふざけすぎだろwww」と思った。ゆめゆめラップバトルのくだりはアニメ化されるまいと思っていたが、前話の予告で比企谷がラップバトル的な所作をしている様がちらりと流れ、まさかと思った。
果たしてラップバトルはアニメ化されて放送された。「おいおい、ふざけすぎだろwww」と思った。
過去回の玉縄
2期第6-10話のクリスマス合同イベントで初めて玉縄は登場する。
その時の玉縄率いる海浜総合高校は、誰も責任を取りたくないがために「みんなで考えよう」と上滑りするだけのカタカナ言葉でブレインストーミングしまくっていたが故、会議は進まなかった。
一方、奉仕部の現状も、誰が悪くてそうなったのかをなあなあにしたまま上滑りするだけの日常会話をしていた故、停滞してしまっていた。双方の問題点は対照、鏡写しとなっている。
従って、クリスマス合同イベントの停滞からヒントを得た結果として奉仕部の問題を解決することができれば、クリスマス合同イベントも自ずと進展するという構図になっていた。そう考えれば、今回の玉縄からも何か学ぶところがあるはずである。
玉縄のありがたいお言葉
「多様性を見込んでいくのはいいね。けど、それ以外のことが抽象的すぎるんじゃないかな、不必要な部分が多すぎて、企画意図の焦点がずれてるよ」
「もっと伝える力を意識したほうがいいよ。企画の見える化というかね。もちろん、体験型イベントの将来性を見込めるという点には共感できるんだけど、そこに至るまでの道筋が立ってないよね」
「だから、君の企画はだめだよ」
玉縄の指摘はおそらく、ダミープロムの内容へのダメ出しであると同時に、比企谷が雪ノ下のためにしている行動理念へのダメ出しのダブルミーニングになっている。比企谷が雪ノ下のためにしている行動とは、直接助けることができないから敵対して間接的に助けるという回りくどいやり方のことである。
つまり、そのやり方は全体的に「抽象的すぎる」「不必要な部分が多すぎる」「意図の焦点がずれてる」「伝える力を意識すべき」「(ゴールに)至るまでの道筋が立ってない」のであり、「だめ」なのである。
「抽象的すぎる」「不必要な部分が多すぎる」「意図の焦点がずれてる」というのは比企谷の行動が訳が分からなすぎるということである。この物語を見ている私を含めた視聴者も「ダミープロムを当て馬にして雪ノ下の本命プロムを開催させたからといって、立ちどころに問題が解決するとは到底思えない」と考えながら見ているのではないだろうか。それを玉縄に指摘されている。
「伝える力を意識すべき」は、比企谷が自分の本音を何も伝えていないことを暗に指摘している。比企谷は「いつか助けるって約束したから」「責任を取るべき」という本音ではない建前を行動原理にして動いている。それについてダメ出ししている。
「(ゴールに)至るまでの道筋が立ってない」というのは、比企谷はとりあえず今はプロムを解決することだけしか考えていなく、その先については白紙であることを暗喩していると考えることが可能だ(比企谷「とにかく、まずはプロムを終わらせる。じゃないと話にならん。部活とかまぁ、先のことはそれから考える」第6話の由比ヶ浜との会話より)。結局、比企谷自身がどうしたいのか、どうなりたいのかというゴールへの筋道が立っていない。
「君の企画はだめだよ」は、つまりダミープロム立案自体が破綻している、間違っているということである。
ダミープロムと自己犠牲と本物
このダミープロム立案は、これまで比企谷が自己犠牲で問題を解決してきたことの集大成であると思った。ダミープロムはどんなに努力しても実現することのない虚像であり、犠牲である。一時は自己犠牲をやめた比企谷だったが、ここにきて原点回帰、振り出しに戻ってしまったことで、自分より下に見ていた玉縄に思わぬカウンターを食らうこととなっている。
また、比企谷の求める「本物」の定義のうちの一つに「理想を押し付けない」というのがある。比企谷は玉縄にダミープロムを提案するために、スマホでカタカナ語を勉強する様が描かれている(原作ではもっと滅茶苦茶なカタカナ語で資料を作っている様が描かれていて荒唐無稽である)が、それは玉縄に対する「カタカナ語使っときゃ響くだろ」という「理想の押しつけ」である。だから比企谷は失敗し、「君の企画はだめだよ」と喝破される。
雪ノ下と由比ヶ浜の会話
なぜ雪ノ下は由比ヶ浜を避けたのか?
由比ヶ浜「ううん、違うと思う。……あたしのこと避けてた?」
由比ヶ浜は常に正しい、という観点で捉えると、雪ノ下は由比ヶ浜のことを意図的に避けていたようである。
なぜ雪ノ下は由比ヶ浜を避けなければならなかったのだろうか。おそらくは、比企谷を由比ヶ浜に譲っているからである。それは第4話ラストの由比ヶ浜のモノローグ「でも彼女みたいに諦めたり、譲ったり、拒否したりできなかった」からわかる。
何を「わかってる/わかってない」のか
由比ヶ浜「あたしね、ヒッキー手伝ってるの」
雪ノ下「大丈夫、ちゃんとわかってるから」
由比ヶ浜「……わかってないよ。あたし、ちゃんとしようと思ってる。これが終わったら……、ちゃんとするの」
ここの会話における、何を「わかってる/わかってない」のかについては、熟考してみたのだが、あまりにも難解に過ぎ、全く結論が出ずに絶望した。下記に考察の断片を提示する。
由比ヶ浜の「あたしね、ヒッキー手伝ってるの」という声優さん(CV:東山奈央)の台詞、おそらく綿密なディレクションがあったのだろう、「ヒッキー」に意図的にアクセントが置かれているように思える。「手伝ってる」ではなく「ヒッキー」を強調しているということは、「雪ノ下ではなく、比企谷を手伝っている」ことを強調したい何らかの意図があったと思われる。
雪ノ下「大丈夫、ちゃんとわかってるから」の「わかってる」は何をわかってると言ったのだろうか。この問いはあまりにも難しく、おおよそ考えられるどれでも当てはまるように思われるし、どれも当てはまらないようにも思える。
・(由比ヶ浜が比企谷を手伝っていることを)わかってる
・(由比ヶ浜が比企谷を好きなことを)わかってる
・(由比ヶ浜が奉仕部を終わらせたくないことを)わかってる
・(由比ヶ浜が雪ノ下との友情を大切に思っていることを)わかってる
・(由比ヶ浜が全部欲しいことを)わかってる
雪ノ下の「わかってる」に対して、由比ヶ浜は「わかってない」と返す。由比ヶ浜にとって雪ノ下が「わかってない」と推測される事象は、「比企谷に関すること」「3人の関係を保ちたいこと」があると思われる。特に、雪ノ下が「諦めたり」「譲ったり」している態度に由比ヶ浜は違和感を覚えているようである。
ただ、二人の言う「わかってる/わかってない」の内容がそもそもすれ違っている可能性もあり、そうだとすると答えは二人の中だけにしかなく、観察される事象からの考察はほぼ不可能である。なんてことだ。
由比ヶ浜は「これが終わったらちゃんとする」と続けて言っている。「これ」は、「プロム」と見て間違いない。後に由比ヶ浜自身が「プロム終わったら」と雪ノ下に発話しているからである。
「終わったらちゃんとする」ということは、「今はちゃんとしていない」ことになる。由比ヶ浜がちゃんとしていない事象は具体的には「雪ノ下と敵対していること」「雪ノ下に比企谷を譲られるがままにしていること」があるだろうか。
「ちゃんとする」の考え方は「比企谷と雪ノ下を結ばせて有り得べき形に導く」「三人の関係を円滑にする」「比企谷に自分の思いを伝える」などの解釈があるだろうか。3番目の可能性は低いけど、論理的ではあるので一応書いておいた。
「ちゃんと」という言葉をこのシーンで雪ノ下も由比ヶ浜も発話しているのだが、何か意味があるのだろうか。
……さて、難しすぎてこれという結論はないけれど、手前味噌だが、最もシンプルな解釈で二人の会話を補完してみる。
由比ヶ浜「あたしね、(雪ノ下ではなく)ヒッキー手伝ってるの」
雪ノ下「大丈夫、(由比ヶ浜が比企谷と一緒にいたいことは)ちゃんとわかってるから」
由比ヶ浜「……(由比ヶ浜が雪ノ下と関わり続けたいと思っていること(3人の関係を保ちたいこと)を)わかってないよ。あたし、ちゃんとしようと思ってる。これが終わったら……、ちゃんと(三人の関係を円滑に)するの」
どうだろう。これで合っているようで、合っていないような気もする。
雪ノ下と由比ヶ浜の「お願い」とは?
由比ヶ浜「……だから、ゆきのんのお願いは叶わないから」
雪ノ下「……そう、私は、あなたのお願いが叶えばいいと思ってる」
由比ヶ浜「……あたしのお願い、知ってる? ちゃんとわかってる?」
雪ノ下「ええ。たぶん、あなたと同じ」
由比ヶ浜「そっか、……なら、いいの」
おそらく初見視聴者が全員「ちょっと何言ってるかわかんない」と卒倒するシーンである。2期13話ラストを彷彿とされるわけのわからなさ。当然ながらお互いの「お願い」が何を指すのかが不明なのである。
そして、この「お願い」の会話が複雑なのは、「お願い」が示す対象が「雪ノ下自身のお願い」「由比ヶ浜自身のお願い」だけでなく、「雪ノ下が思っている由比ヶ浜のお願い」「由比ヶ浜が思っている雪ノ下のお願い」の4項目あり、それぞれの組み合わせパターンが膨大だからである。
由比ヶ浜「……だから、ゆきのんのお願い(由比ヶ浜が思っている雪ノ下のお願い)は叶わないから」
雪ノ下「……そう、私は、あなたのお願い(雪ノ下が思っている由比ヶ浜のお願い)が叶えばいいと思ってる」
由比ヶ浜「……あたしのお願い(由比ヶ浜自身のお願い)、知ってる? ちゃんとわかってる?」
雪ノ下「ええ。たぶん、同じ(雪ノ下自身のお願い)」
由比ヶ浜「そっか、……なら、いいの」
由比ヶ浜エンドとしての解釈(仮)
由比ヶ浜はいまだに比企谷のことが大好きである(と思われる)。仮に、由比ヶ浜が雪ノ下を恋のライバルとみなしているなら、下記のごとく会話は補完されるだろう。
由比ヶ浜「……だから、ゆきのんのお願い(=雪ノ下が比企谷と恋仲になりたいという本音)は叶わないから」
雪ノ下「……そう、私は、あなたのお願い(=由比ヶ浜が比企谷と恋仲になりたい(譲っている))が叶えばいいと思ってる」
由比ヶ浜「……あたしのお願い(=由比ヶ浜が比企谷と恋仲になりたい)、知ってる? ちゃんとわかってる?」
雪ノ下「ええ。たぶん、あなたと同じ(=由比ヶ浜が比企谷と恋仲になる)」
由比ヶ浜「そっか、……なら、いいの」
「お願い」のパターンは下記である。
由比ヶ浜が思っている雪ノ下のお願い:
雪ノ下が比企谷と恋仲になる(という雪ノ下の本音)
雪ノ下が思っている由比ヶ浜のお願い:
由比ヶ浜が比企谷と恋仲になる(由比ヶ浜は比企谷と付き合いたい)
由比ヶ浜自身のお願い:
由比ヶ浜が比企谷と恋仲になる(由比ヶ浜は比企谷と付き合いたい)
雪ノ下自身のお願い:
由比ヶ浜が比企谷と恋仲になる(雪ノ下が譲っている)
非常にシンプルである。「ゆきのんがヒッキーと付き合うことは叶わず、あたしがヒッキーと付き合います」ということである。めでたしめでたし。
お互いが譲り合っている解釈
だが、由比ヶ浜が比企谷と付き合うことだけを考えているなら、由比ヶ浜はネットカフェで眠ったふりをしてまで悩んだりしないし、譲られているにも関わらず泣いたりしない。由比ヶ浜にはこの物語の結末がわかっているようなモノローグが散見される(由比ヶ浜「こんなことしたって、もう結末は決まってるって」第6話ラスト)。
雪ノ下は比企谷を「諦め」て、由比ヶ浜に「譲っ」ているようである。で、由比ヶ浜も雪ノ下に譲っている(というか、物語の有り得べき結末に誘導している)という解釈で会話を補完したのが下記である。
由比ヶ浜「……だから、ゆきのんのお願い(=由比ヶ浜と比企谷が恋仲になる(譲っている))は叶わないから」
雪ノ下「……そう、私は、あなたのお願い(=由比ヶ浜が比企谷と恋仲になりたい(由比ヶ浜のお願いを誤謬している))が叶えばいいと思ってる」
由比ヶ浜「……あたしのお願い(=雪ノ下が比企谷と恋仲になる(譲っている))、知ってる? ちゃんとわかってる?」
雪ノ下「ええ。たぶん、あなたと同じ(=由比ヶ浜が比企谷と恋仲になる(誤謬であり譲っている))」
由比ヶ浜「そっか、……なら、いいの」
このように補完することで、由比ヶ浜が「……あたしのお願い、知ってる? ちゃんとわかってる?」と念を押した意味がわかってくる。雪ノ下は由比ヶ浜のお願いを誤って捉えているからである。
「お願い」のパターンは下記である。
由比ヶ浜が思っている雪ノ下のお願い:
由比ヶ浜と比企谷が恋仲になる(雪ノ下が譲っている)
雪ノ下が思っている由比ヶ浜のお願い:
由比ヶ浜が比企谷と恋仲になる(誤謬)
由比ヶ浜自身のお願い:
雪ノ下が比企谷と恋仲になる(由比ヶ浜が譲っている)
雪ノ下自身のお願い:
由比ヶ浜が比企谷と恋仲になる(誤謬、雪ノ下が譲っている)
また、これらの解釈の他にも「二人のお願い」「二人が思っている相手のお願い」「それぞれの誤謬パターン」などを組み合わせれば膨大な数の推論が爆誕する上、お願いの内容を恋心に限定しなけれ(例えば、奉仕部の存続、雪ノ下の自立……など)ば、さらに無限の考察が可能になる。
特に「由比ヶ浜のお願い」を「奉仕部(3人の関係)の存続」と解釈することは極めて有力である。一応下記に提示する。
由比ヶ浜「……だから、ゆきのんのお願い(=由比ヶ浜と比企谷が恋仲になる(雪ノ下のお願いを誤謬))は叶わないから」
雪ノ下「……そう、私は、あなたのお願い(=由比ヶ浜が比企谷と恋仲になりたい(由比ヶ浜のお願いを誤謬))が叶えばいいと思ってる」
由比ヶ浜「……あたしのお願い(=3人の関係を保ちたい)、知ってる? ちゃんとわかってる?」
雪ノ下「ええ。たぶん、あなたと同じ(=雪ノ下も3人の関係を保ちたいと思っている)」
由比ヶ浜「そっか、……なら、いいの」
やや解釈の提示が複雑になってしまったが、上の「お互いが譲り合っている」解釈、次点で「3人の関係を保ちたい」解釈が妥当かなと思われるし、加えて、由比ヶ浜が「雪ノ下に譲る+3人の関係を保つ」を両立させることは可能なので、そのような解釈も有り得る。なんだか推論ががちゃがちゃしてすみません。
なぜ由比ヶ浜は雪ノ下を抱きしめたのか?
由比ヶ浜「プロム終わったらお昼ご飯一緒に食べるから。あと、ゆきのんちにまた泊まりに行く。春休みはランド行ってシー行って、それでまたうちに泊まりに来るの。それで、四月になったら……」
なぜ由比ヶ浜があえて雪ノ下の元に駆け寄って抱きしめ、上記のような話をしたかというと、雪ノ下が由比ヶ浜を避けていた節があったからである。雪ノ下は比企谷を「諦めたり」、由比ヶ浜に「譲ったり」するに伴って、2人を避ける行動に出ていたようだ。自分の存在がなくなることで、自然な流れで比企谷と由比ヶ浜がくっつくと思っているようだ。
それを見抜いた由比ヶ浜。由比ヶ浜は比企谷のことが大好きだが、雪ノ下のことも大好きである。このままでは雪ノ下に譲られるままに彼女との関係が雲散霧消してしまうと悟って、そのような行動に出たと考えることができる。
比企谷のモノローグ
相変わらず俺たちは伝えるのが下手すぎる。
本当はもっと簡単な伝え方があることを俺も彼女も知っている。
けれど、それが正しいと思えないから。
だから、せめてまちがえないように。
祈るような気持ちで、俺は二人を見つめていた。
「俺も彼女も」というのは、どのようにも解釈でき、その全てが正しい。「比企谷と雪ノ下」でも「比企谷と由比ヶ浜」でも「比企谷と彼女たち」でも成立すると思われる。
比企谷と雪ノ下が「伝えるのが下手すぎる」のは自明である。しかし、由比ヶ浜も比企谷に核心をついたアプローチを一切できないという点で「伝えるのが下手」と言える。後の文との整合性を保つなら「比企谷と雪ノ下」が最も妥当である。
簡単な伝え方が「正しいとは思えない」と言っている。なぜ正しいとは思えないかというと、一言で言ってしまえば「そういう性格だから」に尽きる。
比企谷は「本物が欲しい」という誰にも理解されないであろう信念を持っている。「本物」とは「理想を押し付けることなく、追い求め、問い直し続けること」のような意味である。「理想=虚像」と翻訳してもいいかもしれないし、「理想を押し付けない=酔えない」と解釈してもいいかもしれない。
構図としては「簡単に伝える=理想を押し付ける」ということだろう。例えば、「好きです」と伝えたら、「相手のことを好きな俺」という理想が生み出され、「俺が好きな相手」という理想も生まれるだろう。比企谷がしたいのはそういうことではなく、事実の積み重ねによるアップデートである。停滞ではなく前進だ。
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いつも考察たのしみにしてます。とても参考になります。
原作未読の私の解釈ですが、由比ヶ浜は比企谷は雪ノ下に好意を抱いていると思っているので、
雪ノ下に譲られても自分が比企谷と恋仲になれないと認識していると思います。
また、3人の関係を続けることができないのは、みな覚悟していると思うので、
お願いの内容は、3人の関係がどうなろうとも二人(由比ヶ浜と雪ノ下)の友情は続けたい、
というのも有り得るかと思いました。
あのシーン、由比ヶ浜も雪ノ下も、まるでそこに比企谷がいないかのようだったのも
そう思った理由です。
以上を踏まえて自分なりに補完してみました。
由比ヶ浜「あたしね、ヒッキー手伝ってるの」
雪ノ下「大丈夫、(あなたたちが相思相愛なのは)ちゃんとわかってるから」
由比ヶ浜「……(比企谷が雪ノ下に恋心を寄せていることを)わかってないよ。あたし、ちゃんとしようと思ってる。これが終わったら……、ちゃんと(比企谷に自分の思いを伝えてフラれる)するの」
由比ヶ浜「……だから、ゆきのんのお願い(=由比ヶ浜と比企谷が恋仲になる)は叶わないから」
雪ノ下「……そう、私は、あなたのお願い(=由比ヶ浜が比企谷と恋仲になる+二人の友情を続ける)が叶えばいいと思ってる」
由比ヶ浜「……あたしのお願い(=由比ヶ浜自身が比企谷に振られても、二人の友情を続ける)、知ってる? ちゃんとわかってる?」
雪ノ下「ええ。たぶん、(私の願いは)あなたと同じ(=雪ノ下自身が比企谷を譲っても、二人の友情を続ける)」
由比ヶ浜「そっか、……なら、いいの」
で、それまで、避けれていると感じていたけど、雪ノ下も由比ヶ浜との友情を続けたいと思っていると感じたので抱きついた。
と。。こんな感じです。
初めまして。
いつも考察記事、興味深く読ませて頂いております。
私もこの難解さに頭を悩ましつつこの物語を楽しんでおります。
一つ指摘したいと思いましてコメント致します。
雪ノ下と由比ヶ浜のお願いとは?の雪ノ下のセリフ
雪ノ下『ええ。たぶん、あなたと同じ』ではなく
雪ノ下『ええ。たぶん、あなたとわたし』だと思います。
何回も聴き直したので多分間違い無いかと。
これからも記事、楽しみにしております。
失礼いたしました。
お久しぶりです。
玉縄のダメ出しの解釈は、さすがだと思いました。なるほどね。クリスマス企画の際に、八幡と雪乃のぞれぞれの玉縄に対する批判が、実は自分自身への反省となっていると言う解釈も以前示されていたと思いますが、あれも目から鱗でした。
さて、二人のお願いについてですが、わたしは提示されている二番目の解釈が、真実に近いと考えます。
「結衣」は、雪乃が八幡を好きなことを「知っていて」、八幡が雪乃のことを好きなことも「知っている」。結衣は、文化祭の後も、マラソン大会の後の保健室でも、今回の中庭のシーンでも、八幡と雪乃が二人心を通わせているシーンを見ています。そして、そこに入る時にノックをしたり、今回はわざわざ八幡に空のメッセージを送っています。「私はいつもそこに行きたいと思っていて、でもいつも外から眺めるだけ」というセリフがどこかにあったように思います。「これが終わったら、ちゃんとするの」とは、3人の関係を曖昧なままにして、結果的に雪乃と八幡が結ばれることを牽制してきてしまったことを終わりにし、八幡と雪乃が結ばれることをちゃんと受け入れるということ。「結衣のお願い」とは、「雪乃と八幡が結ばれる」こと。
「雪乃」は、結衣が八幡のことを「知っていて」、八幡が結衣のことを好きなのだろうと「思っている」。そして、八幡がプロムに介入する時点で、自分が「ちゃんと(自立)して」八幡の告白する資格を失ってしまったと考えている(だからいろはには、雪乃先輩が泣いているように見える)。「今度こそ(自分には八幡に告白する資格がなかったのだ、結衣と八幡が結ばれるように自分も決心できる)ちゃんと終わりにできる」。今や「雪乃のお願い」は、「結衣と八幡が結ばれる」こと。そして「結衣のお願い」とは、「結衣と八幡が結ばれる」ことだと「誤解」している。
「八幡」は、自分が雪乃のことを好きなことに気づき始めている。結衣の自分に対する好意にも気がついているが、自らそのことを(自分が傷つくのを恐れて、あるいは自分のようなものが雪乃にふさわしいと考えることができず)認めようとしていない。八幡は、「全力で走って」雪乃を救いに行き、いろはに言わせれば「あんなのほとんど告白だ」という思いを雪乃に吐露します。
けれども、自立できていないことが八幡と結ばれる障害だと考えている雪乃にとって、八幡による救済は、雪乃にとっては八幡に思いを告げる資格を奪われることに等しい。厄介です。悲劇的と言ってもいい。だから、私はかつて原作14巻は、雪乃による八幡救済の物語になるはずだと予想したのですが・・・・