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俺ガイル完(3期)第8話の感想と考察その1。「男の意地」とは何か?

俺ガイル完(3期)第8話「せめて、もうまちがえたくないと願いながら。」の前半部分(その1)の考察をしていく。長くなるのでその1とその2にわける。

後半部分その2はこちら→俺ガイル完(3期)第8話の感想・考察その2。「由比ヶ浜さんのお願い」とは何か?

それでも7500字程度の長文となっていますが、丁寧に考察したつもりですので、是非とも最後までご覧くださいませ。

 
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葉山との会話

なぜ葉山は協力しないのか?

比企谷「……じゃ、個人としてならどうだ。肩書きなしの葉山隼人個人なら協力してくれるか?」
葉山「個人として君に協力するのが一番嫌だよ」

過去回において、葉山と比企谷のエピソードで印象的なのは下記である。

2期第2話。修学旅行において板挟みに遭って解決できなかった葉山の問題を、比企谷が解決する。

2期第4話。折本たちとのデートにおいて葉山は比企谷を助けようとするが、比企谷にそれを拒絶される。

2期第11話。マラソン大会において比企谷は葉山の進路に介入しようとするが、葉山にそれを拒絶される。特にこの第11話で、葉山は比企谷に次のように言っている。

葉山「やっぱり仲良くできなかっただろうな。俺は君が嫌いだ。君に劣っていると感じる。そのことがたまらなく嫌だ。同格であって欲しいんだよ。君に負けることを肯定するために。だから君の言う通りにはしない。……いいや、勝つさ。それに、君に負けたくないんだよ」

葉山と比企谷は、どちらも他人が傷つくのを見ていられない正義感溢れる人物であるという点で似ている。しかし、葉山には「何も選ばない」という信念が、比企谷は「追い求め、問い直す」という信念があり、お互いのことを全く理解できていない。それはお互いの助け・介入をどちらも拒絶していることでわかる。

だけど、二人は「お互いのことを全く理解できていない」ことをお互いに理解している。葉山は比企谷に劣っていると感じているから、そして、お互いが理解できない(ことを理解している)から、比企谷に協力することを拒む。

本来であれば比企谷は、葉山が協力しないのと同じ理由によって、葉山に協力を求めることなどしなかっただろう。だが、比企谷が今やっているダミープロムの立案は、行動の動機を嘘で塗り固めながら、何の見通しもないままに、馬鹿みたいにでかい虚像を打ち立てるという誰が見ても明らかに「まちがった」行為である。だから、葉山に協力を要請するという「まちがった」行動を取る。そして、当然のごとく拒否される。なぜなら「まちがっている」からである。

葉山と雪ノ下の過去

葉山「昔の話さ。クラスで孤立していた彼女が似たようなことを言っていた。一人で大丈夫、助けはいらないって。結果を言えば、彼女を取り巻く状況はさらに悪化した。俺が中途半端に手を出して、余計に傷を広げたんだ。あの時、俺が全力で助けるべきだったんだ。そうすれば……」

これまで断片的にしか語られなかった葉山と雪ノ下の過去が明かされている。葉山は時に「雪ノ下を助けることができなかった」というような意味のことを言っていたが、その答え合わせがこれである。

葉山の後悔は「中途半端に手を出す」代わりに「全力で助ければよかった」ということである。全力で助けたからといって結果がどうなっていたかはわからないが、少なくとも葉山は中途半端さを悔いている。

思えば、葉山の信念は「何も選ばない」であった。この後悔が葉山の行動様式に大きな影響を与えたのだろう。とすれば、2期第4話で、比企谷を馬鹿にし続ける折本たちをきつい口調で窘めたのは「中途半端」ではなく「全力で助けた」と解釈すべきである。

「お前が葉山隼人で本当によかった」とは何か?

葉山「比企谷……。君のやり方はまちがっている。君がすべきなのはそんなことじゃないはずだ」
お前だけだ。
お前だけがそれを言ってくれる。
おまえが、葉山隼人で本当によかった。

葉山隼人は「みんなの葉山隼人」を演じ「何も選ばない」。だから、本来であれば誰かに対して「君のやり方はまちがっている」などとは言わないはずだ。実際、2期の修学旅行回でも中途半端な態度を取ってしまい、自力で告白を阻止できなかった(これは、葉山が中途半端な態度を取ることで再び周囲の人間が傷つき、かつての雪ノ下の時の二の舞になりそうだったところを、比企谷に間一髪助けられたと見ることもできるかもしれない)。

ではなぜ比企谷には「君のやり方はまちがっている」と言えるかというと、比企谷は「みんなの葉山隼人」の枠外にいるからである。比企谷は葉山に何も期待していない唯一の人物である。それは2期11話マラソン大会後の打ち上げでの比企谷の台詞「俺もお前が嫌いだよ」でわかる(詳しくは原作10巻に書かれている)。

比企谷に対しては「みんなの葉山隼人」である必要がない。比企谷には好かれる必要がないし、なんなら既に嫌われているし、理解し合えることもない。だから、葉山自身の正義感をもって「君のやり方はまちがっている」と本音で指摘することができる。

同様の理由で、比企谷も葉山にだけは本音を打ち明けることができる。「(まちがっているのを)わかってて、こうしてるんだ」なんて種明かしは葉山にしか言わない。

共依存じゃないことを証明する

比企谷「あいつが助けを必要としていなくて、それでも俺が助けたいと思うなら、……それは共依存なんかじゃない。それが証明できればいい」

この比企谷の台詞を聞く限り、比企谷にとってプロムの開催はどうでもいいことがわかる。なぜなら、例えば、雪ノ下が頑張っているプロムが成功したらどうのこうの、という文脈に全くなっていないからである。

比企谷は自分の「雪ノ下を助けたい」という確固たる意志だけを頼りに行動している。たまたまその舞台装置としてプロム/ダミープロムがそこにあっただけの話である。

つまり、比企谷が試みている証明は、プロムの開催をもって証明完了となるわけではない。では、何をもって証明完了となるのか。誰に証明したいのか。おそらく、陽乃に証明したいわけではない。

雪ノ下に「共依存じゃない」ことを伝えたいのだろうか。比企谷自身が「共依存じゃない」と納得したいのだろうか。おそらくは後者であり、このダミープロムは比企谷の言う「本物(=追い求め、問い直す)」の「追い求める」過程である。仮にそれがまちがっていたなら問い直せばいい。

「男の意地」とは?

葉山「比企谷……。その感情をなんていうか、知ってるか」
比企谷「知ってるよ。男の意地っていうんだ」

比企谷はプロムを手伝いたい動機を他人に伝える際「(いつか助けるって)約束したから」「責任を取るべき」と自分の感情を全く介入させずに嘯いている(全くの嘘ではないが、誤魔化しではある)。そもそも、比企谷は自分にとって最も重要な本心を言葉にはしない。

従って、ここで言う「男の意地」については、後に陽乃との会話で出てくる「奉仕精神」「助け合いの心」と同様、素晴らしい大義名分であり、比企谷は大義名分を理由に行動することは決してないから、真っ赤な嘘と言えるだろう。葉山には理解されなくても構わないので、嘘を堂々と目を見ながら発話することができる。

海老名さんとの会話

あたしじゃ「ふ」十分だよ

海老名さんは腐女子キャラであり、ここで「不十分」の「ふ」を強調して話しているのは、つまり「腐十分」の意味の駄洒落である。

「比企谷くんは私とは違うから」

海老名さん「でも、まぁなんとかなるんじゃない?」
比企谷「なにが?」
海老名さん「結局、比企谷くんは私とは違うから」

まず、海老名さんの答えは比企谷の「なにが」に対する答えになっていない。特に深い意味はなく、海老名さんはこういうキャラである。

俺ガイルにおいては「似ていると思っていたけど違った」というような台詞が結構ある。2期第9話遊園地回でも雪ノ下とそのような話をしている。よく覚えていないが、葉山ともあったかもしれない。なかったとしても、葉山と比企谷はとても似ているけど、決定的に違うことは作品内で示されている。

で、海老名さんもここで「結局、比企谷くんは私とは違うから」と言う。「結局」ということは、最初は似ていたと思ったということだろう。

原作第7巻を参照すれば、海老名さんは腐女子「キャラ」である。相手との距離を適切に保つために変人キャラを演じているに過ぎない。海老名さんと比企谷が「似ている」ところは、相手との距離を適切に保つところだろう。海老名さんはそれを心地よく思っている風である(逆に戸部は相手との距離を保つことができない)。

海老名さんが比企谷を自分と「違う」と思ったのは、おそらく比企谷が周りの人間を変えていく様を見ていてのことだろう。海老名さんは周りの人間との関係を保つことに長けているが、自分で何かを変えるために行動を起こすことはしない。それは修学旅行回で、葉山と比企谷に問題解決を押し付け、自分では何もしなかったことからわかる。

ここでの海老名さんの発話の文脈は「比企谷くんは私とは違うから、なんとかなるんじゃない?」である。行動しない自分ではなんともならないけれど、行動して解決してきた比企谷くんならなんとかなるっぽい、ということだ。

「もっと簡単な方法、あったんじゃない?」

海老名さん「なんでこうなってるか知らないし、私が言うことでもないんだけどさ、もっと簡単な方法あったんじゃない?」

葉山同様、海老名さんも比企谷と似ているようで似ていなく、何の利害関係もなく、適切な距離を保ち続けるキャラクターである。だからこそ比企谷に「もっと簡単な方法あったんじゃない?」と核心を突くことができる。

従って、それに対する返答、「簡単なものが一番難しい。俺にはこれが一番簡単だっただけだ」も比企谷の本心であろう。

陽乃との会話

自己満足なのか?

陽乃「これがあの子のためになるって本当に思ってる?」
比企谷「……雪ノ下のことはあまり関係ないですね。頼まれたわけでもないですし、俺が勝手にやってることですから。なので、まぁ俺の自己満足です」

比企谷のこの台詞は本音だろうか。原作にはこうある。

雪ノ下陽乃にリークの件を持ち込む時点で、この問いから避けることができないのはわかっていた。だから、最も端的に誤謬の少ない言い方を選んだ。絶対的な正解ではまったくないが、決してまちがいではないはずだ。少なくとも、俺の中の真理の一端ではある。

『やはり俺の青春ラブコメはまちがっている。』13巻、P322

つまり、本音ではないが、嘘を付いているわけでもない、といったところだろうか。客観的に見れば比企谷は少なくともそのように動いているように見える、という主張に過ぎない。確かに雪ノ下と対立しているわけだから「関係ない」といえばそういうことになる。

「自己満足」については、決して遠からぬ言葉であるとは思う。比企谷が「共依存なんかじゃないことを証明したい」理由は「自分自身が問い直したいから」というようなことを上で考察した。とすれば、「自己満足」は今の比企谷のあり方にかなり近い言葉であると思われる。

「関わって、終わらせる」とは?

陽乃「比企谷くんができることは見守ってあげることなんじゃないのかな」
由比ヶ浜「……それ、違うと思います。見守るってなんかいいことっぽいけど、それって結局離れてるだけだから。避けて、距離とって、そうやって何もしないでいたら、何も変わらないです。それで、たぶん、そのままダメになって終わっちゃうんです。あたしたちも、プロムも……。だから、少しでも近くにいて、関わってないといけないんです。それがちゃんと終わらせるために、必要なことだから。だから……」
比企谷「そう、だな……。ちゃんと、終わらせないとな……」
陽乃「それが、どんな終わりでもいいの? 雪乃ちゃんも、……誰も望まない終わりでも?」
比企谷「それでいいんです」

陽乃は「何もしないで見守るべき」と主張、由比ヶ浜は「関わってちゃんと終わらせるべき」と主張している。

アニメ1期における比企谷と雪ノ下との共通する考え方に「終わってしまうのならそれまでのものでしかない」という信念があった。しかし、比企谷は2期の修学旅行回で葉山たちの「なくしたくない、その手に掴んでおきたい」という思いに共感(比企谷も奉仕部を「なくしたくない」と思い始めていたため)することでこの信念が瓦解、雪ノ下と対立。しかし、雪ノ下も2期第8話ラスト、由比ヶ浜と抱擁し合っての涙、及び比企谷の依頼を論理ではなく感情によって受けたことでその信念が溶解した。

陽乃の言う「何もしないで見守るべき」という言説は「終わってしまうのならそれまでのものでしかない」という彼らのかつての信念とほぼイコールで結ばれると考えられる。

由比ヶ浜にはその信念はそもそもなかったので「関わらなきゃ」と本心で言うことができる。2期第8話、比企谷の「本物が欲しい」を受けて雪ノ下が部室を飛び出して行った際も、由比ヶ浜は「行かなきゃ(=関わらなきゃ)」と即座に判断している。

今の比企谷にも「それまでのものでしかない」という信念は全くなく、信念が「本物が欲しい=追い求め、問い直す」に変わっているので、由比ヶ浜の「関わって、終わらせる」という意見に完全に同意している。

ここで彼らの言う「終わらせる」がどういう状態に行き着くことを指しているのかは、具体的にはよくわからないが、考える余地がある。由比ヶ浜にはこの物語の結末が想定できているというようなモノローグが散見されたが、彼女がどのような「終わり」を思い描いているのかは不明だ。

少なくとも比企谷はこのダミープロムを行き当たりばったりでやっているようである(「とにかく、まずはプロムを終わらせる。じゃないと話にならん。部活とかまぁ、先のことはそれから考える」第6話の由比ヶ浜との会話より)ので、結末については白紙であると考えられる。というか、比企谷は「問い直す」ことを信念としているので、結末と呼べるものはない。ただただ「追い求め、問い直す」が続く人生があるだけだ。

ここで、第6話のいろはの台詞を引用してみよう。

そうやって、わざわざめんどくさいことやって、長い時間かけて、考えて、思い詰めて、しんどくなって、じたばたして、嫌になって、嫌いになって……それでようやく諦めがつくっていうか。それで清々したーって、お別れしたいじゃないですか。

比企谷と由比ヶ浜がやっているのは要するにこれじゃないだろうか。どのような結末になるかはわからないけれど、「わざわざめんどくさいことやって」うんぬんかんぬんで終わりを迎える。その「わざわざめんどくさいことやって」の過程こそ重要だということだ。だから「誰も望まない終わりでもいい」と比企谷は言っている。

「奉仕精神ですかね」

陽乃「……ねぇ、比企谷くんはなんでそこまでするの?」
比企谷「奉仕精神……、ですかね。助け合いの心」

いろはや雪ノ下に言った「責任がある」はちゃんと目を見て発話していた。先程の「自己満足」も少なくとも目を逸らしてはいない。だから、嘘というほどのことではなく、真実をわずかに含ませた誤魔化しである。

だけど、この比企谷の「奉仕精神」は真っ赤な嘘である。なぜなら、陽乃から目を逸らして発話しているからである。比企谷は「奉仕精神」「助け合いの心」という非常に素晴らしい大義名分を掲げて行動しているのでは1ミリもない。大義名分ではないということは、自分の確固たる意志で動いているということだ。

「仮にあったとしても」

「ほんともなにも、特に言うことないですから。仮にあったとしても……」
言いかけた言葉を飲みこんで、俺は違うことを口にする。
「それを言う相手はあなたじゃない」

『やはり俺の青春ラブコメはまちがっている。』13巻、P325

原作では比企谷が何かを言いかけて、違う言葉(「それを言う相手はあなたじゃない」)を言ったと書かれている。何を言いかけたのだろうか。おそらくは「言葉になんて、なりようがない。大事なことだから言わないんだ」(第4話)というようなことだと思われる。

しかし、ここでは一歩前進させて「それを言う相手はあなたじゃない」と陽乃に言っている。それはつまり、陽乃に「奉仕部の問題にあなたは関係ない」と突きつけたようなもので、結果、陽乃は納得してリークを承諾する。

平塚先生との会話

平塚先生「まぁ、君らしいやり方だな。勝算はあるのか?」
比企谷「なくてもいいです。どの道、他に方法がないので」
平塚先生「……悪くない答えだ。私は好きだよ、そういうの」

比企谷はプロムの開催はどうでもよくて、雪ノ下と関わるため(共依存じゃないことを証明するため)にダミープロムを打ち立てている、と上で考察してきた。

この比企谷の「(勝算は)なくてもいいです。どの道、他に方法がないので」はまさにそれを示す回答なのではないかと思う。「他に方法がない」というのは、「現状雪ノ下と関わる方法がこれしかない」ということで、過去回で明言されていたと思う。

平塚先生は2期第8話で「この時間がすべてじゃない。……でも、今しかできないこと、ここにしかないものもある。今だよ、比企谷。……今なんだ」とアドバイスしている。だから、ここでの比企谷の「今しかできないこと」に邁進する態度を肯定している。

雪ノ下母との会話

比企谷のプランは白紙へ

「当て馬を建てるのは悪くない手だけれど、少し粗が目立つわね。それに選択肢が増えても、根本の問題が解決されていなければ難しいと思うけれど、そのあたりはどう考えているの?」
こっちで考えてた話の持ってき方なんて、全部吹っ飛んでしまった。初手で当て馬と言われた以上、これからどれだけの言葉を尽くしても意味がない。そも、ダミープロムは葉山にも陽乃さんにも一見して看破されていたのだ。それが雪ノ下の母親相手に通じると思っていた時点で既に負けている。

『やはり俺の青春ラブコメはまちがっている。』13巻、P340-341

アニメでは少し分かりづらいかもしれないが、雪ノ下母に「当て馬」と見抜かれた時点で比企谷のプランは完全に白紙になった。従って、後に自らが「比企谷八幡」と名乗るという奇策は、予め用意していたものではなく、この場の即興で考えたものである。

雪ノ下母攻略の戦術

陽乃は「(雪ノ下母が)プロム自体はどうでもいいと思っているはずだから」と言っていた。雪ノ下母がここに来ている理由は「問題になったので担ぎ出されてきたから」である。要するに保護者側の顔を立てたいということ。雪ノ下母自体がプロムに反対しているわけではない。

ということは、雪ノ下母をこちらの味方にして、保護者たちを説得してもらうことが解決の最善手である、ということに比企谷は気付く。

「比企谷八幡です」

おそらくはこの世でただ一人、俺だけが使えるおよそ最低最悪の手段。この駒は普段まったく使いどころのない、穀潰しのろくでなしだ。だが、ある一定の条件下ではクイーンだって落とすことができる。
「比企谷八幡です」

これはアニメ1期で触れられたエピソードであり、2期では全く出てこなかった。

比企谷はまだ雪ノ下とも由比ヶ浜とも知り合う前、由比ヶ浜の愛犬サブレを助けるために路上に飛び出し、雪ノ下の乗っている自動車にはねられ、骨折したのだった。これのせいで比企谷は学校生活のスタートが遅れ、ぼっちになった。確かこのような話だった。

従って、雪ノ下母は比企谷に借りがある。プロムの開催と引き換えにこの借りをチャラにしてくれ、というようなことを比企谷は暗に仄めかしているのである。

ちなみに、原作でここを読んだ時には心底驚愕した。もはや解決済みで全ての読者が忘れていたと思われるあの事件のことをここで切り札として出してくるとは。この原作者とんでもないな、と思った。

 

 
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