第1回俺ガイル討論会の報告と考察 #kangairu

去る2020年10月3日、俺ガイルについて語ろう(#kangairu)、という趣旨のオンライン討論会みたいなものに参加させて頂きました。私を含めて6人。

議題は
・「お前はそれを待たなくていい」とは何か?
・比企谷の本物は見つかったのか?
・それに加えてフリートーク

私は下記のレジュメを用意して参加しました。

で、みなさんの考察を聞いたり、雑談したりしている中で、考察の余地があるだろう事象がいくつか出現したので、本稿はせっかくだから記事としてまとめるものです。あまり深くは掘り下げないので、コラム的な軽い感じで読んで頂ければと思います。

比企谷クズ説

俺ガイル完11話「お前はそれを待たなくていい」という比企谷の台詞は、比企谷のクズさを象徴している、みたいな見解があり、概ね賛同されていた。私は比企谷がクズかどうかについては全く考えたことがなかったので、思考が完全に停止した。

まず「クズ」の意味は何だろうか。原作14巻のinterlude(P472-483)からそれっぽい箇所を引用してみる。

評価軸ずらして自分のポイントを稼ごうとする小物のクズ(いろはの台詞、P478)

人の気持ちどころか自分の気持ちも踏みにじるカス(小町の台詞、P479)

「評価軸ずらして自分のポイントを稼ごうとする」とはダミープロム実現のことを言っているのだろうか。「人の気持ちどころか自分の気持ちも踏みにじる」とは自己犠牲のことだろうか。本稿では深くは考えず、提示するのみに留める。

ちなみに、比企谷クズ説について、私は俺ガイル完11話の考察その2で「比企谷は由比ヶ浜の気持ちに気づいていない」という奇説を開陳しているので、それに基づけば、比企谷は由比ヶ浜に対して意図して思いを踏み躙るようなクズ的行動を起こすことはできないはず、との立場である。

それに加えて、俺ガイル完9話で、比企谷はガハママに「真心」と言質を取られてしまっているので、やはり由比ヶ浜に対して意図してクズ的行動を発動することはしないだろう。

だから、比企谷がクズだとすれば「客観的に見るとクズ」であり、比企谷の主観ではクズ的行動を取っているとは思っていないはずだ。ひどい天然野郎である。ひどい天然野郎だからクズなのか。

いろはクズ説

私はいろはがクズかどうかをやはり全く考えたことがなかったので、思考は完全に停止したままであった。

小町が比企谷といろはについて「クズ同士」と言っているので、いろはのどの辺がどういう風にクズなのかについては考察すべき点だろう。本稿では掘り下げず、いろはクズ説を提示するのみにする。

ちなみに、私はいろはというキャラクターにあまり関心がないらしく、これまでの考察の中でもあまりいろはには触れていないように思う。逆に、由比ヶ浜についてはかなり関心があるらしく、公平に考察しているつもりではあるが異様なほどのバイアスがかかっているように思える。

ただ、3期5話のいろははかなり可愛らしく好きになりかけたので、そこからはいろはの考察もやや増えたとは思われる。

いろはの本命は葉山か? 麻雀のくだり

由比ヶ浜「いろはちゃんもそうなの?」
いろは「は? いや全然違いますけど一応まだワンチャン葉山先輩ツモれればいいなとは思ってます。……」

いろははまだ葉山が本命であるかのようなことを複雑な言い回しで発話しているように思えるが、なぜそれを複雑な言い回しにしなければならないのかがよくわからないのであり、いろはは何かを誤魔化しているように思える。

ここにおいていろはが誤魔化さなければならない事象は「比企谷への好意」以外に思いつかない。なぜ誤魔化しているのかというと、現段階でいろはが自分の思いを公にして由比ヶ浜とライバルになることは得策ではないからである。むしろ利害が一致する者同士で協力する方が合理的だ。

だから、いろはが発話した「葉山への好意」的なものはダミーであると私は考えている。万が一葉山に告られたら付き合うのかもしれないが、こちらからアプローチしていくほどの積極性はないように思える。

平塚先生の言うところの正解とは?

平塚先生「君の本物は見つかったか?」
 (略)
比企谷「だから、ずっと、疑い続けます。たぶん、俺もあいつも、そう簡単には信じないから」
平塚先生「正解には程遠いが、100点満点の答えだな」

平塚先生は「正解には程遠い」と言っているが、では平塚先生が想定している「正解」とは何なのか、という問題が提示された。

この部分の「正解」とは、「平塚先生にとっての正解」ではなく、「世間一般で言うところの正解」という意味だと私は考えている。だから、「正解には程遠い」というのは、「一般的に普通の人が出す答えとは程遠い」ということだと認識している。

で、「100点満点の答え」というのが平塚先生の評価である。これは平塚先生が想定した「答え」に合致しているから「100点満点」ということではなく、比企谷が考えて苦しみもがきながら自分で考え抜いて納得した答えだから100点満点ということだろう。そういう意味では、「答え」という結果が100点満点というよりは、その過程を含めて100点満点というニュアンスに近いと思う。

雪ノ下は本物を見つけたのか?

そもそも雪ノ下が本物を希求していたとわかるシーンがあるかどうかわからないので、雪ノ下にとって本物を見つけることがハッピーエンドに結びつくかどうかがわからない。ひとえに読み込み不足です。

「あなたが好きよ、比企谷くん」は雪ノ下が作った言葉か?

「あなたが好きよ、比企谷くん」は雪ノ下が自ら作り出した言葉なのか、それともコピペのんに過ぎないのか、というような疑問点が出た。

まず、作中で誰かが誰かに「好き」と伝えるシーンは「2期2話比企谷→海老名さん」「2期9話いろは→葉山」以外にはない。修学旅行回では、比企谷は嘘の告白をするのであって、雪ノ下がそれをコピペのんしたとは思えない。もちろん、いろはの葉山への告白をコピペのんしたとは考えづらい。だから、それは雪ノ下が自ら作り出した言葉と言っていいと思われる。

ただ、雪ノ下の「好き」は、比企谷が紙ナプキンの黒塗り部分を隙間がないくらいに埋め尽くした空白部分であり、比企谷の存在なしではこの言葉は生まれなかっただろう。

比企谷は、自立できなかった(と雪ノ下自身が思っている)雪ノ下と関わり続けたいと思った。だから、11話ラストの時点で、比企谷の中で雪ノ下はコピペのんであり、客観的にも雪ノ下の「あなたの人生を私にください」は「人生とかを全部やる」という比企谷の台詞のコピーなのでコピペのんである。

その雪ノ下が12話ラストで自ら言葉を作り出し(つまり、コピペのんから脱却し)「好き」と伝える。この時の比企谷はおそらく、おいおいこんな(コピペのんじゃない)雪ノ下は見たことないぞ、と動揺したと考えてもいいだろう。そして、その雪ノ下をも可愛いと容認するので、雪ノ下がコピペのんであろうがなかろうが、二人の関係にはあまり影響を及ぼさないと思われる。

共依存について

共依存について話したこと、話していないことをまとめる。

陽乃は奉仕部3人の関係を「共依存」とタグ付けした。陽乃は奉仕部の関係を「偽物」だと喝破した上で、自らについても「偽物みたいな人生を歩んできた」と卑下していることから、陽乃と奉仕部は鏡写しになっていると考えることが可能である。

とすれば、陽乃と雪ノ下母(と葉山、あるいは雪ノ下を含めてもいいかもしれない)の関係がまさに「共依存」であるとみなせるのではないかと思う。陽乃だって家のことをやりたくないのであれば極論、啖呵を切ってやらなければいいのであり、そうしないということは、何らかの形で家に依存していると言えるかもしれない。雪ノ下母もプロム反対の際に陽乃を援護射撃のために駆り出しているので、陽乃に依存しているともみなせる。

比企谷が雪ノ下家に関わることによって、(おそらく)陽乃と葉山は自由になった。雪ノ下母が陽乃に依存する理由もなくなったし、比企谷と雪ノ下は自立を勝ち取った(あるいは共依存的関係を容認し、自立へと止揚させた)から、雪ノ下母が彼らに依存することは不毛である。

ネガティブな意味合いの依存とは違う、新たな彼らの物語が始まる。

—–

最後に、今回の俺ガイル討論会の参加メンバーを紹介させて頂き、本稿は終わりにします(敬称略、同不順)。お付き合い頂きありがとうございました。

clpXclp
twitter:@ClpXclp

pf%俺ガイル考察垢
twitter:@HumbertWendel

才華@俺ガイル
twitter:@zaikakotoregail

ひろたき
twitter:@la_volche

なみもん
twitter:@namimon_jp

飄々図書室
twitter:@hyohyolibrary