【2万字超】俺ガイル完(3期)第11話の感想・考察その3。「手放したら二度と掴めねぇんだよ」とは何か?

俺ガイル完(3期)第11話「想いは、触れた熱だけが確かに伝えている。」を考察していく。本稿はその3である。

2万字を超えてしまいました。読む方としてもとても疲れると思われますが、休み休みでも是非とも最後までご覧くださいませ。

 
関連記事:
・その1(前半部分)⇒俺ガイル完(3期)第11話の感想・考察その1。比企谷は何に納得できないのか?
・その2(お前はそれを待たなくていい)⇒俺ガイル完(3期)第11話の感想・考察その2。「お前はそれを待たなくていい」は由比ヶ浜を意図して振った言葉ではない

 
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目次

由比ヶ浜との会話の続き

比企谷は雪ノ下に本音を伝えるのか?

由比ヶ浜「それ、言わなきゃ絶対わかんないよ」
比企谷「言ってもわかんねぇだろこんなの……。筋も通ってないし、理由にもなってない。意味不明な理屈だ」
由比ヶ浜「伝わらなくてもっ! ていうか、ヒッキー、伝える努力してないだけじゃん」
(略)
比企谷「大丈夫だ、ちゃんと伝える。……まぁ、それなりに準備がいるし、難易度も高いが、なんとかやってみる」

11話その1の考察で、比企谷の言う「あいつが何かを諦めた代償行為として、妥協の上で、誤魔化しながら選んだんだとしたら、俺はそれを認められない。俺が歪ませていたなら、その責任を……」は単なる理屈であり、頬パチン後の「雪ノ下と関わりがなくなるのが嫌」だけが唯一の本音であると示した。

さて、このシーン、比企谷は雪ノ下にその本音を伝える決心をしたと捉えるべきだろうか? いや、違う。比企谷は雪ノ下にさえ本音を伝えない。なぜなら「それなりに準備がいるし、難易度も高い」と言っているからである。たった一言伝えるだけなら準備なんていらない。「準備=理屈」である。その「準備=理屈」を構築する難易度が高い、と言っている。

ただ比企谷は本音ではないものを、自分自身のやり方できちんと伝えようとはしている。平塚先生の言うところの、紙ナプキンの黒塗りの部分である。

由比ヶ浜の「お願い」は本音か?

由比ヶ浜「話すだけじゃ伝わらないって、そうだなって思う。……けど、その分、あたしがわかろうとするからいいの。ゆきのんもたぶんそうだよ。……あたしのお願いはね、もうずっと前から決まってるの。……全部欲しい。だから、こんななんでもない放課後にゆきのんがいて欲しい。ヒッキーとゆきのんがいるところにあたしもいたいって思う」

これも前回の考察で示したことであるが、由比ヶ浜は「本当に終わりなら、あたしのお願いちゃんと言う」という仮定を含んだ台詞を言っていた。つまり、逆を考えれば「終わりじゃないなら、あたしのお願いをちゃんと言わない」ということになる。

で、比企谷は(雪ノ下との関係を)終わりにしなかった。ということは、由比ヶ浜はお願いをちゃんと言っていない。「もうずっと前から決まってるの。……全部欲しい。だから、こんななんでもない放課後にゆきのんがいて欲しい。ヒッキーとゆきのんがいるところにあたしもいたいって思う」は嘘とまでは言わないものの、誤魔化し、婉曲、表現のすり替え、などのレトリックが用いられた台詞と考えたほうが良さそうである。

由比ヶ浜には「本物が欲しい」という願望は全くない。由比ヶ浜は信念を貫くというよりは、そのコミュニケーション能力によって状況に応じて自身のあり方を自在に変化させることのできる人物である。だからこそ奉仕部はうまく回っていた。

「全部欲しい」の初出は2期13話ラストだと思われるが、それが具体的に何を指しているのかは不明であるし、ずっと同じものを指し示す意味で使われ続けているのかさえわからない。普通に考えれば「全部」とは「雪ノ下との友情」「比企谷との恋愛」「3人の関係」のことである。しかし、この考え方では当然ながら「ヒッキーとゆきのんがいるところにあたしもいたい」において「比企谷との恋愛」が達成されていない。

アニメではカットされていたが、原作の14巻で由比ヶ浜が「……あたし、欲張りだから、全部貰うね。ゆきのんの気持ちごと、全部貰う」(P165)と雪ノ下に告げる台詞があった。これを元に考えれば「全部欲しい」及び「ヒッキーとゆきのんがいるところにあたしもいたい」は、「比企谷の気持ち、雪ノ下の気持ち、そして自分の気持ちを「全部」貰った(=理解した)上で、それでも一緒にいたい」ということになるだろうか。「理解する」は比企谷の言う「本物」の核となる部分であり、とても重要だ。

由比ヶ浜の本音は「比企谷との恋愛」と「ヒッキーとゆきのんがいるところにあたしもいたい」のどちらなのだろうか。雪ノ下の意志によって奉仕部が終わりになりつつあった時には由比ヶ浜は平然とそれに納得していた(納得しているように見えた)が、比企谷との恋愛に関する部分では度々感情を爆発させて号泣している。だから、本音は「比企谷との恋愛」だろう。であるなら、当初の「全部欲しい」の中に「比企谷との恋愛」は含まれている。

由比ヶ浜は一貫して「全部欲しい」と言っているが、その「全部欲しい」の内容を状況に応じて柔軟に変化させ、交渉のテーブルに提示していると思われる。

「一言程度で伝わるかよ」

由比ヶ浜「一言言えばいいだけなのに」
比企谷「一言程度で伝わるかよ」

比企谷の「一言程度で伝わるかよ」という台詞で由比ヶ浜がハッとしたような感じになるが、これはどういうことだろう。下記に考察3点をさらっと提示しておく。

1.由比ヶ浜は比企谷に気持ちを一言で伝えようとしていた
2.比企谷の雪ノ下への気持ちが一言では済まないほどの大きなものであると認識した
3.一言で伝わらないものが「恋」なのだと認識した

「お前はそれを待たなくていい」とは何か?

この部分は過去記事「俺ガイル完(3期)第11話の感想・考察その2。「お前はそれを待たなくていい」は由比ヶ浜を意図して振った言葉ではない」として考察しているので併せてぜひご覧ください。

論旨は「比企谷は由比ヶ浜の恋心に気付いていないから、比企谷は由比ヶ浜を振ったわけではない。しかし、由比ヶ浜は振られたと感じた」です。かなり異端な説だと自認していますが、読み物として楽しんでもらえればと思います。

由比ヶ浜のモノローグ

涙は流れなかった?

涙は流れなかった。
もうたくさん泣いたから。

「涙は流れなかった」と言いつつ、後に涙が流れている。どういうことだろうか。

「たくさん泣いた」から「涙は流れなかった」と言いつつ、後に涙が流れているので「たくさん泣いたから」は理由になっていない。涙は有限ではないし、感情はコントロールできずに溢れ出てくるものだ。だから、「たくさん泣いたから」は強がり、誤魔化し、自己正当化などの類のものだろう。泣くまいとする意志の表れか、それとも、こうなることはわかっていたという予見か。

これまで由比ヶ浜は海岸、路上、ネットカフェなどパブリックな場所で泣いていたが、ここでは自宅というプライベートな空間まで耐えて号泣している。公共の場で泣くのは子供じみた行為である。従って、この物語を何らかの成長と絡めて考えれば、由比ヶ浜は子供から脱却して一つ大人になった、とでも考えられるだろうか。

ガハママ

「腫れちゃうからそのまま、ね」

由比ヶ浜の後ろ姿だけを見て、ガハママは由比ヶ浜が泣いていることを察した。ガハママは由比ヶ浜が失恋することを予見していたと思われる。

なぜ言葉が出ないのか?

やっぱり言葉は出ない。
言葉なんて、出ない。
好きだなんて、たった一言じゃ言えない。

「やっぱり」というのは、原作を参照すれば、比企谷と別れてから言葉を発することができていないことを指している。

ここで言う「言葉」とは、文脈上、「好きと一言で言うこと」だろう。つまり、由比ヶ浜は比企谷に「好き」と伝えようとしていた。ただ、これは最終話のネタバレになるかもしれないので詳しくは述べないが、「好き」と一言伝えることは決して悪いことではない。

由比ヶ浜は、比企谷の「一言程度で伝わらない」雪ノ下への思いに圧倒されたのだと思われる。

また、由比ヶ浜の主体性は2期13話での比企谷の「その提案には乗れない」にて潰されてしまっている。以降、由比ヶ浜は比企谷の後を追い、行動をなぞることしかできなくなってしまっている。だから、由比ヶ浜は比企谷の「たった一言で伝わらない」という理念を自身と同化させることしかできず、「自分も好きだなんて一言で伝えてはならない」と盲信してしまったのかもしれない。

それ以前の話で

それ以前の話で、それ以上の問題で、それどころじゃない感情だ。

「それ」とは何を指すのだろうか。考えられるのは「言葉」「好き」「たった一言」である。ここでは仮に「たった一言」として話を進めていく。一番わかりやすいからである。

「それ(=たった一言)以前の話」というのは、そもそもがたった一言で伝えようとしていたことが間違っていたと由比ヶ浜が認識したことになるだろう。

「それ(=たった一言)以上の問題」というのも、確かにたった一言で伝えるには言葉が足りないということだろう。

「それ(=たった一言)どころじゃない感情」というのも言わずもがな、この大きな感情を一言ごときでは言い表せないということになるだろう。

初めて本当に恋をした

あたしは、あたしたちは、初めて本当に恋をした

当然ながら、「あたしたち」が何を指すのかというのが大問題となっている。その次に「初めて本当に」とは何かというのが問題になっており、「恋」という激烈なワードがなぜここに登場するのかというのも問題である。

結論から言うと、申し訳ないが、結論はない。無理ゲー。ので、下記に思考の過程だけを提示しておく。

両想い説

私は原作14巻の考察で「あたしたち=比企谷と由比ヶ浜両想い説」は万が一あるんじゃないかと思い付いて、そのような考察を提示したが、アニメ版では由比ヶ浜が綺麗さっぱり振られている感じの印象を受けたので、その説はここでは触れない。

「比企谷→雪ノ下|由比ヶ浜→比企谷」に恋をした説

「あたしたち=比企谷→雪ノ下|由比ヶ浜→比企谷」に恋をしたというのは、最も蓋然性の高い考え方であり、詳しい説明は不要だろう。しかし、比企谷の雪ノ下への感情を「恋」と乱雑に集約してしまっている点と、「初めて本当に」を由比ヶ浜がなぜわかるのかという点で疑問がある。

仮に、由比ヶ浜視点では比企谷の内に秘めたる感情は恋に他ならないと確信しており、比企谷の折本への告白を「本物とは呼ばない」と比企谷が認識していることを由比ヶ浜が知っているのであれば、この説における「初めて本当に」は成立するかもしれない。

「雪ノ下→比企谷|由比ヶ浜→比企谷」に恋をした説

「あたしたち=雪ノ下→比企谷|由比ヶ浜→比企谷」に恋をしたという説も考えられる。二人で比企谷を取り合ったみたいなことである。原作では、雪ノ下が由比ヶ浜に本音を打ち明けるシーンがある(14巻P164〜、何を打ち明けたのかまでは明示されていない)ので、それが仮に比企谷への思いだとすれば、雪ノ下の感情が恋だと由比ヶ浜がみなすことのできる論拠となる。

だとしても、やはり雪ノ下における「初めて本当に」の根拠が薄い。作中に表れないガールズトークのピースを合わせた結果、雪ノ下の恋が「初めて本当に」だと由比ヶ浜が勝手に認識した、としか言えないように思う。

いろは激おこ

「ダミープロム?」

いろはは比企谷が立案したダミープロムの存在を今初めて知ったようである。だから、比企谷が奇策を用いてプロムが実現したことも知らないだろう。ただ、比企谷が何らかの手段でプロム実現にこぎつけたんだろう、くらいのことは推察していると思われる。

「むしろ失敗していいまである」

材木座「むしろ失敗していいまである、とものたまっておったなぁ」

比企谷は「失敗していい」と言っているので、比企谷にとっての合同プロムの目的は「成功」ではない。成功してもしなくてもどっちでもいい。合同プロムは手段に過ぎない。では、比企谷の目的は何なのか、というのがこれ以降の話である。

「ほんと意味わかんない」

いろはは比企谷がなぜこんなことをしたのか理由が不明で「意味わかんない」と言い続けてきたが、最後の「ほんと意味わかんない」は柔和な表情で放たれている。つまり、いろはは比企谷の意図がわかったといえる。で、「(そんなことのために合同プロムなどというどでかいイベントをぶちあげるのことが)ほんと意味わかんない」と言った。先輩らしいな、というような感想も込められているだろう。

合同プロム実現の交渉

比企谷の立ち位置

原作によれば、比企谷は「何らかの手違いで合同プロム企画が発信されてしまったみたいだけれど、これを撤回する理由は何一つないので、実現すべきである」という理屈をひたすらに並べている。

4話あるいは8話でプロムに反対した雪ノ下母は保護者の皆様の声を代弁する駒であった。雪ノ下母自身が反対していたわけではない。そして、反対という結論ありきで話していたので議論にさえなっていなかった。ここでの比企谷はそれと同じことをカウンターとして用いている。

その場の全員が合同プロムの立ち上げは比企谷のせいだとわかっている。だけど、比企谷はそれに関してすっとぼけており、実現すべきという理屈を並べるだけの駒としてそこにいる。始めから「実現する」という結論ありきで喋っているので、議論にならない。

なぜ比企谷は駒でなければならなかったのか。それは理屈で雪ノ下を動かすためである。5話で比企谷は雪ノ下に「俺はお前を助けたいと思っている」と本音にかなり肉薄した発言をした。しかし、それは雪ノ下に受け入れられなかったばかりか、それがきっかけとなって8話のバッドエンドへと突き進むこととなってしまった。

同じやり方はできない。「お前を助けたい」はもう切ってしまって手札にない。その「助けたい」を言葉にすることなく雪ノ下と関わる方法はこのやり方しかなかった。

それに加え、雪ノ下と母との問題がまだ終わっていない。陽乃は「母は実は納得していない」というようなことを10話で言っていた。陽乃本人も納得していない。

しかし、雪ノ下母は言葉の上では肯定しているので、表面上、その問題は既に終わっている。だから比企谷は合同プロム開催という大問題を発生させ、雪ノ下母を再度土俵の上に引き摺り上げる理由を作ったと言える。

頭を抱えるははのん

雪ノ下母「なぜこんなことをするのかよくわからないのよね」

雪ノ下母の思考の対象はもはや合同プロムの可否ではなく「比企谷がなぜこんなことをするのか」という点に集まっている。だからこの後、比企谷がなぜこんなことをするのかを理解した時、態度がガラッと変わる。

こっちのペースに付き合えよ

比企谷のモノローグ「今まで散々あんた(陽乃)に踊らされてきたんだ。最後くらい、こっちのペースに付き合えよ」

陽乃は後に「母親としてはどうなの?」と言うが、これは「母親としては反対」という比企谷にとって都合のいい言葉を引き出すための質問であり、陽乃は結局「こっちのペースに付き合った」と言える。その他にも「こっちのペースに付き合った」らしい発言が陽乃からは散見されるので、下記で適宜取り上げる。

陽乃「別にぃ?」

雪ノ下母「何か不満があったの?」
陽乃「別にぃ? 雪乃ちゃんはあれで満足してたみたいだし、お母さんもあれでいいんでしょ? なら、わたしが口を挟むことじゃないわ」

原作では「私が口を挟むことじゃないわ」の続きは下記の如く記述されている。

挑発的な物言いに、雪ノ下の母親がきょとんとする。
その反応に雪ノ下が、小さなため息をついた。
雪ノ下の母親は是とも否とも答えずに、ただ柔和な笑みを浮かべるだけだった。
だが、否定しない時点で答えを言っているも同然だ。
それを雪ノ下はさしたるショックを受けるでもなく、淡々と受け止める。母の答えを言葉として聞かずとも、彼女自身、理解しているのだろう。

『やはり俺の青春ラブコメはまちがっている。』14巻、P375

雪ノ下母が陽乃の言葉に何も答えないことを論拠に「雪ノ下母は納得していない」という事実を提示し、雪ノ下もそれを理解したことが示されている。とすれば、陽乃の「別にぃ?」以下の台詞は上記の事実を白日の下に晒すために用いられたと考えることができ、比企谷の言うところの「こっちのペースに付き合った」とみなすことができる。

比企谷「ずっと燻るから」

比企谷「だって、俺の立てた企画のほうがどう考えても上でしょう? それが実現してたらどうなったかなって思うのは自然な感情じゃないですか? ……うまくいかなかったとしても、きっちり答えを出すべきなんです。ちゃんと決着をつけないと、ずっと燻るから」

比企谷の「俺の立てた企画のほうがどう考えても上でしょう?」のくだりは理屈であり、比企谷が個人的な動機によって動いていることの宣言である。この男はどんな手を使ってでもダミープロムを実現させるつもりだな、と周囲に印象づけるには充分である。

その続き「うまくいかなかったとしても、きっちり答えを出すべきなんです。ちゃんと決着をつけないと、ずっと燻るから」は、10話の陽乃の台詞の流用であり、これも理屈のようなものである。比企谷の理論武装の一翼に過ぎない。相手の台詞をそのまま言うことの中に本音があるとは思えない。比企谷は「ずっと燻るから」を理由にダミープロムを実現させようとしているのではない。

「ずっと燻るから」を理由に動くことは、受動的な態度である。言わば、未来の自分に「おい、このままだと燻るぞ」と言われるかもしれないから、今動くということで、未来の自分に対する受け身な態度である。比企谷の信念は受動ではなく、自分の「今」の意志で未来を掴み取ることだ。

比企谷は「今」雪ノ下を離したくないと思ったので、行動に出ている。未来に燻るかどうかは関係がない。だから、「ずっと燻るから」は建前であり、理屈である。

「ずっと燻るから」は比企谷と陽乃だけに意味が通じる台詞である。だから、比企谷は陽乃を挑発したのか、味方に付けようとしたのかはわからないが、「こっちのペースに付き合えよ」が含意された台詞であると思われる。

陽乃「馬鹿だ」

陽乃「馬鹿だ、馬鹿がいる……。そんなことのためにわざわざプロムやるの? 君、馬鹿でしょ?」

陽乃は時に比企谷の言動に対して「馬鹿だ」と言い放つ。例えば、2期12話のバレンタイン回で「それが本物?」と比企谷たちを挑発するシリアスなシーンでは、比企谷が皆の関係をなあなあにするというある意味「馬鹿な」施策に打って出たにも関わらず「馬鹿だ」とは言っていない。だから、「馬鹿だ」にはポジティブな意味合いが含まれているように思う。

物語の本編とは関係がないのでここでは詳しく言及しないが、陽乃がどういう時に「馬鹿」と言い放つのかは考察の余地はある。

陽乃「うちの問題に口を挟む意味、わかってる?」

陽乃「うちの問題に口を挟む意味、わかってる?」
比企谷「わかってますよ。……そのへんの責任も、まぁ、取れるなら取るつもりです」
陽乃「へぇ……。やっぱりバカだ」
ははのん「……そういうことを言うときは、もうちょっとかっこつけるものよ」

原作では、先程の「馬鹿だ、馬鹿がいる」のところは「馬鹿」と漢字だったが、ここでの「やっぱりバカだ」はカタカナになっている。原作では「やっぱりバカだ」の後、地の文で「この声音が驚くほどに優しかったせいで、俺は反射的に顔を上げた。眼前の陽乃さんはひどく寂しげな瞳で、けれど口元には柔らかな微笑を湛えていた」(14巻、P379)とあるので、柔らかく発話された、あるいは柔らかい意味合いが含まれていたと感じたという意味でカタカナになっていると考えられる。

陽乃の言う「うちの問題」とは、陽乃の台詞を参照すれば、下記2点である。

 
1. そもそもダミープロムを潰して雪ノ下のプロムを実現させたのは、雪ノ下家が保護者を黙らせたからである。それにも関わらず、今更ダミープロム(単なる当て馬としての捨て案なので内容は激烈であると思われる)を開催することは、雪ノ下家の前言を翻させることになり、メンツを潰すことになる。

2. 雪ノ下のプロムは既に完結している。雪ノ下は自分なりに頑張って、ははのんはそれを(表面上)認めた。今更ダミープロムを開催することは、それを否定することであり、雪ノ下家の問題に口出しすることである。

 
比企谷の「そのへんの責任も、まぁ、取れるなら取るつもりです」は、言ってしまえばプロポーズである。そうとしか捉えようがない。しかもこれは、雪ノ下と交際しないままに「娘さんを僕にください」と言っているようなもので、いろいろなことが飛躍している。比企谷の論理的思考で導き出された、雪ノ下と関わり続ける手段はこれだった。

本作品のタイトルは「やはり俺の青春ラブコメはまちがっている。」だが、ラブが始まらないままにプロポーズみたいなことをしているので、やはりこの青春ラブコメはまちがっている。しかし、比企谷にとっては正しいと思った行動である。

ちなみに、原作によれば比企谷のこのプロポーズめいた発言は偶発ではない。陽乃に以前同じことを問われた際には比企谷は口ごもってしまったが故に、陽乃にもう一度問われるだろうことを確信して、覚悟を決め、答えを用意してこの場に臨んでいる。

ははのんとの交渉完了

比企谷「幸いプロムを取り仕切った経験者に当てがありまして。おたくの娘さんなんですけどね」
雪ノ下「なっ、はぁ? ちょっと……」
比企谷「それとも、ご息女の資質をお疑いですか? 前回のプロムに何かご懸念でも?」
ははのん「私がどう答えても、あなたの結論は変わらなそうね。……ご説明は承りました。生徒会の予算に手を付けるわけでもない有志のイベントということであれば、保護者会としては強くでることはできないでしょうね」

ここでははのんとの交渉は終了となる。比企谷の勝ちである。ははのんの言う「有志のイベントということであれば、保護者会としては強くでることはできない」うんぬんは、一応の理由付けである。

ははのんは更に反対しようとすれば、何らかの屁理屈や詭弁によって可能であった。しかし、しなかった。なぜか。

それは「比企谷の真意がわかった」からであろう。ははのんの思考はプロムの可否よりも、「なぜこんなことをするのかよくわからない」比企谷の行動に注視されていた。比企谷は「責任を取れるなら取る」と言い「おたくの娘さんなんですけどね」と雪ノ下に水を向けた。つまり、比企谷のこの突拍子もない一連の行動は雪ノ下のためになされていること、及び、比企谷の雪ノ下に対する思いを、ははのんは悟ったと思われる。

陽乃「母親としてはどうなの?」

陽乃「保護者会としてはね。母親としてはどうなの?」
ははのん「母親としては反対よ。失敗するとわかっているものにうちの娘が関わるメリットがないわ。……だからね、雪乃。あなたが決めなさい。責任者はあなたなのでしょう?」

陽乃の「母親としてはどうなの?」はナイスアシストであり、ははのんの「母親としては反対」を引き出した。比企谷の言うところの「こっちのペースに付き合う」ことを意図した発言だろう。

雪ノ下は今まで母親が反対する事象を実行したことがないと思われる。あるいは、雪ノ下が父親の仕事を継ぐことについて、心の中では反対なのに表面上で「頑張りなさい」みたいなことを言っていることから、これまでははのんは「反対」と自分の意思を明言したことがないのかもしれない(2期12話でははのんは「あなたらしく自由に生きてほしい」と言っているので、後者の可能性が高いかもしれない)。

「失敗するとわかっているものにうちの娘が関わるメリットがない」と言われた雪ノ下はうつむき、力なくソファーに腰を預ける。これは「ダミープロムを実行できないこと」について落胆しているのでは、おそらくない。雪ノ下はこの時点で、比企谷の挑発に乗ろうとは思っていないし、無理なので実現できないと思っているからである。

では、雪ノ下は何に落胆したかというと、「また頭ごなしに反対されて束縛されるという予感」に、だろう。ところが、ははのんは「あなたが決めなさい」と予想外の一言を放つ。これによって雪ノ下とははのんの問題も解消された。残るは比企谷と雪ノ下の交渉だけである。

結局、雪ノ下はダミープロムを責任者として実行することになるが、母親が反対と明言していることに敢えて関わることは、母親からの自立に他ならない。

ちなみに、ははのんは「責任者はあなたなのでしょう?」と言っているが、現状、ダミープロムの責任者は雪ノ下ではない。関わってさえいない。なんなら、ダミープロムの存在を今初めて知ったまである。比企谷の「幸いプロムを取り仕切った経験者に当てがありまして。おたくの娘さんなんですけどね」という強いワードに引っ張られて、ははのんが既に雪ノ下を責任者に仕立て上げているのがおもしろいなと思った。

雪ノ下の答えとは?

比企谷のモノローグ「そう、雪ノ下雪乃は既に答えを決めていて、誰にどう問われようとも、その答えを口にするのだと確信していた」
雪ノ下「考えるまでもないことよ。答えなんてもう決まってる」
比企谷のモノローグ「だから俺が立てるべきだった対策はただ一つ。俺の交渉相手は最初からただ一人。雪ノ下雪乃だ」

雪ノ下の答えは決まっている。すなわち、「NO」である。ダミープロムをやらない。理由は2つあるように思われるが、本質はおそらく1つである。

1つ目は、雪ノ下が前言したように、「試すまでもないわ。(略)不可能よ」が理由である。不可能だからやらない。やる意味がない。しかし、これは建前とも考えられる。

そこで2つ目は、雪ノ下にとってプロムの問題は終わっているから。もっと踏み込んで言えば、雪ノ下は敗北し「由比ヶ浜さんのお願いを叶えてあげて」と宣言してしまった以上、蒸し返すのは比企谷にも由比ヶ浜にも不義理であると雪ノ下は思っているから、である。こちらが本質だろう。

なぜ比企谷の言葉を雪ノ下は「挑発」と捉えたのか?

比企谷「正直、成功させる自信はない。時間も金も何もかもが足りてない上に、何も保証はできない。かなり難しい案件だ。無理しなくていい」
雪ノ下「安い挑発ね」

「挑発」とはデジタル大辞泉によれば「相手を刺激して、事件や紛争などを引き起こすように、また、好奇心や欲情などをかきたてるようにしむけること」である。さて、雪ノ下はなぜ比企谷の言葉を挑発だと思ったのだろうか。

3人のキャラクターは下記のように発言している。

雪ノ下「試すまでもないわ。こちらの予算はほぼ使い切っているし、そもそも生徒会の行事でない以上、そこから補填はできない。何より圧倒的に時間が足りていない。不可能よ」

ははのん「母親としては反対よ。失敗するとわかっているものにうちの娘が関わるメリットがないわ」

比企谷「正直、成功させる自信はない。時間も金も何もかもが足りてない上に、何も保証はできない。かなり難しい案件だ。無理しなくていい」

これら、3人の発言はほぼ同じ意味である。雪ノ下はいろいろな理由で「不可能」だと言っている。ははのんもいろいろな理由で「反対」だと言い、その上で、「雪乃、あなたが決めなさい」と雪ノ下に決定権を引き渡した。

そこで比企谷もいろいろ理由を挙げた上で「無理しなくていい」と言う。この「無理しなくていい」には下記の意味が含まれる。

・雪ノ下の「不可能よ」に対する賛同
・ははのんの「反対よ」に対する賛同
・「俺では無理だが、プロムを取り仕切った経験者(=雪ノ下)に当てがある」の撤回(みたいなもの)
・「一人でやる」という宣言

比企谷と雪ノ下のコミュニケーションは、互いが互いに反論し対立するという方法で成り立っている。これは彼ら独自のやり方である。1期11話での会話を例示する。

雪ノ下「比企谷くん、巻くように指示を出して」
比企谷「さっきから出してる。見えてないみたいだけど」
雪ノ下「そう……私の人選ミスかしら」
比企谷「それは俺の存在感のなさを揶揄しているのか」
雪ノ下「あら、そんなこと言ってないわ。それよりどこにいるの? 客席?」
比企谷「めっちゃ揶揄してんじゃねぇか。ていうか、見えてんだろ、お前」

雪ノ下、微笑む

実行委員の誰か「あの、副委員長、みんなに聞こえてます……」

下記が「挑発」の理由である。

1. 対立が二人のお互いへの関わり方であり行動様式であるなら、そもそも比企谷が雪ノ下の「不可能よ」に対して反論しないという行動には違和がある。当然、それに雪ノ下も気付いただろう。雪ノ下はその行動様式に基づけば、比企谷の「無理するな」に反論しなければならない状況に追い込まれたと言える。だから挑発である。

2. あるいは、比企谷はははのんの「母親としては反対よ」にも賛同する形となっており、つまり「無理しなくていい=自分の意志で決めなくていい」ということである。それは、これまで雪ノ下が自立を画策してきたことの否定となる。だから挑発である。

3. また、比企谷は「俺では無理だが、プロムを取り仕切った経験者(=雪ノ下)に当てがある」と言っていた。つまり、「俺は雪ノ下ならできると思っているけど、無理しなくていい(やらなくてもいい)」ということである。そんなことを言われてやらない手はない。だから挑発である。これがおそらく一番強い挑発である。

4. 比企谷は「無理しなくていい=俺一人でやる」と言っている。実現不可能と思われるダミープロムだが、比企谷のことだから一人でもなんやかんやで実現させるだろう。雪ノ下が「不可能」だと言い、ははのんが「反対」だと言っているダミープロムを比企谷が一人で実現させてしまうことは、それこそ雪ノ下の敗北である。だから、「無理しなくていい」は挑発である。

なぜ雪ノ下はダミープロムを引き受けたのか?

比企谷「ああ。悪いが挑発に乗ってくれ。無理を承知で頼む、俺を助けてくれ」
雪ノ下「そうね、乗ってあげるわ。私、負けず嫌いだから」

雪ノ下がダミープロムを引き受けた理由

比企谷は、雪ノ下の「いつか私を助けてね」を理屈上の動機としてプロムを手伝った。そういう意味で、雪ノ下には借りがあるので、比企谷の「俺を助けてくれ」に乗らざるを得ない。

雪ノ下視点では、この時点で比企谷がなぜこんなことをしているのかよくわかっていない。雪ノ下が比企谷の動機を理解するのは、歩道橋での比企谷の「あれしか、お前と関わる方法がなかった」を聞いてである。

雪ノ下は「仕方ないでしょ。あの状況で断れるわけないじゃない」と言っているので、この時点では積極的にダミープロムを引き受けたというより、退路を絶たれて「仕方なく」受けたと言える。また、そうであるからには、比企谷への好意を理由として引き受けたのでもない。

だから、雪ノ下が引き受けた理由は、繰り返しになるが「退路を絶たれたから、仕方なく」であると私は考えている。もちろん、「比企谷とのやり取りの中で何かを感じたので、とりあえず乗ってみた」という理由もあるかもしれないけれど、明文化されていないので想像の域を出ない。

「私、負けず嫌いだから」とは何か?

「負けず嫌いだから」は雪ノ下がダミープロムを引き受けた理由なのかどうか、という問題がある。

この状況における「負ける」とは何だろうか。それはおそらく「挑発に乗らない」ことだろう。理由は上記の「なぜ「無理しなくていい」は挑発なのか」のところに記した通りである。比企谷は「挑発に乗らない=雪ノ下の敗北」というロジックを巧妙に組み立てた。雪ノ下は負けず嫌いであり、必ず乗ってくるだろうと見越していた。

「無理しなくていい」が挑発だということに気付いているのは雪ノ下だけである。だとすれば、「私、負けず嫌いだから」も比企谷だけに伝わる言葉だろう。

だから「私、負けず嫌いだから」はそんな比企谷が組み上げた巧妙な罠に対するアンサーであり、ダミープロムを引き受けるための直接的な動機ではないと思われる。

雪ノ下と比企谷の会話

なぜははのんと陽乃は折れたのか?

比企谷「俺はむしろ、向こうが折れてくれたことに恐怖を感じたよ」
雪ノ下「確かに……。母も姉もあの程度で引くタイプじゃないわね」

なぜははのんと陽乃は折れたのか。それは前述の通り、比企谷の存在があったからである。

おそらく陽乃は、比企谷の「その責任も取れるなら取るつもり」を聞き、比企谷にそこまでの覚悟があるのなら、と思って引いた。陽乃は事あるごとに「お姉ちゃん」してきたが、もうその必要はなくなった。雪ノ下には比企谷がいることを思い知らされたからである。

ははのんは、比企谷の「おたくの娘さんなんですけどね」にて折れた。前述の通り、比企谷の雪ノ下への強い思いを感じ取ったからである。これまで母親として過干渉気味であったが、子離れの時だと悟ったに違いない。

それでは、比企谷にとっての問題点であった「お兄ちゃん」気質については解決されたのだろうか。

ダミープロムの実現は、きっかけこそ比企谷が作ったが、最終的には「雪ノ下が比企谷を助ける」という形で動き出すこととなった。ダミープロムはそもそも当て馬であり、めちゃくちゃであればあるほどいいというコンセプトであった。だから、ダミープロムの実現について、比企谷には本当に何の策もない。これから雪ノ下と二人で作り上げていく。

従って、少なくともダミープロム実現については「お兄ちゃん」した結果の産物ではない。

ただ、比企谷の「お兄ちゃん」気質は比企谷の個性でもあるので、改善すればいいというものでもないように思われる。だから、比企谷の「お兄ちゃん」はそのままである。

ただ、これまでの雪ノ下との関わり方の中で、初めて二人が対等な立場で互いに協力して問題を解決する場がここに作り出されたという事実が肝要だ。

首を振る雪ノ下の意味

歩道橋を上り切ったところで比企谷が軽く頭を下げ、雪ノ下が首を振るシーンがある。原作によれば下記である。

(筆者注:自転車を押しながら歩道橋を上る比企谷を)どうやら待ってくれていたらしい。俺が悪いと目で礼を言うと、雪ノ下は別にと首を振る。

『やはり俺の青春ラブコメはまちがっている。』14巻、P389

アニメでは分かりづらいと思って、というか、私自身が「この動作には何か意味があるのか?」と疑問に思ってしまったので、一応書いておいた。

母さんのあの目、姉さんに向けるのと同じだった

雪ノ下「母さんのあの目、姉さんに向けるのと同じだった……」
比企谷「……認められたってことか」
雪ノ下「見放されたのかも」

雪ノ下は「見放されたのかも」と言っているが、それをそのまま解釈すると、同じ目を向けられている陽乃も見放されていたことになってしまい、整合性が取れない。

雪ノ下は「見放されたかも」とネガティブに思い込んでいるようだが、もしかしたらそれは「自立を認められた」とポジティブに言い換えることができるかもしれない(陽乃がどれだけ自立を容認されていたかはわからないが)。

「あれしか、お前と関わる方法がなかった」

雪ノ下「……なんであんな無茶なこと言い出したの?」
比企谷「……あれしか、お前と関わる方法がなかった。部活がなくなると、もう接点がないからな。お前を引っ張り出す口実が他に思いつかなかったんだ」

つまり、ダミープロム実現は単なる「口実」である。単なるというか、気宇壮大な口実だ。理屈で動いている比企谷らしいな、と思った。

けれど、これは当然ながら我々にも当てはまるんじゃないかと思い直した。まだそんなに仲良くない相手とコンタクトを取りたい場合、例えば、意中の相手とお近づきになりたい場合、まずはおおよそ「友達へのプレゼントを一緒に選んでほしい」「花火大会があるから一緒に行かないか」「大変そうだから仕事を手伝いたい」などの口実を用いるだろう。

比企谷が雪ノ下とお近づきになるために唯一思いついた口実は「ダミープロム(という荒唐無稽なとんでもないもの)を実現させるのを手伝って欲しい」であり、この男、スケールが違う。こんなにとんでもない口実をぶち上げなければならないほど二人の関係が拗れてしまったと見ることもできるし、こんなにとんでもない口実をぶち上げなければならないほど雪ノ下への思いが強かったとも見なせるだろう。

雪ノ下と由比ヶ浜の「お願い」

雪ノ下「……約束はどうなったの。お願い、叶えてって言ったのに」
比企谷「その一環と言えなくもない。……なんでもない放課後に、お前がいて欲しいって、そう言われてな」

雪ノ下の「お願い」は「由比ヶ浜さんのお願いを叶えてあげて」であった。で、その由比ヶ浜は「なんでもない放課後に、ゆきのんがいて欲しい」と「お願い」を言った。

前述の通り、この由比ヶ浜の「お願い」が本音かどうかは考える余地がある。ここでの比企谷と雪ノ下の会話において、比企谷の発言は全て理屈である。とすれば、由比ヶ浜は比企谷に、雪ノ下へアプローチするための理屈を与えたとも考えることができるだろう。

由比ヶ浜は「なんでもない放課後に、ゆきのんがいて欲しい」と提示することで全て丸く収まることをわかっていたのかもしれない。

雪ノ下はなぜ立ち去ろうとしたのか?

比企谷「顔見知りとか知り合いとか友達とか同級生とか、呼び方はいろいろあるだろうけど、そういう関係を保てる自信がない」
雪ノ下「あなたはそうかもしれないけど。私はちゃんとやる。もっとうまくできるように、きっとなるわ」

比企谷は「顔見知りとか知り合いとか友達とか同級生とか、呼び方はいろいろあるだろうけど、そういう関係を保てる自信がない」と言っており、その「顔見知りとか知り合いとか友達とか同級生とか」ではない新たな関係を雪ノ下と築こうとしていると考えられる。

雪ノ下は3期においては「うまくやる」という言葉をよく使う。それがここでも流用されている。

これまでの物語で「うまくやる」とは「自立」というような意味合いで用いられたが、ここでは「うまくやる=うまく関係を保つ」という意味で使われている。つまり、雪ノ下における「うまくやる」は、特に明確に定義できる事象ではないように思われる。「今の駄目な自分から何らかの方向に成長する」というような、特にゴールが定められていない表現と言える。

比企谷の言葉たちを振り切って雪ノ下は立ち去ろうとする。なぜだろうか。

いろいろ考えられるが、まとめると「今は自分の思うように成長できていないから、前言を撤回する資格がないと思っている」のだと思う。雪ノ下は「きっとなるわ」と未来の仮定を言っているに過ぎない「(余談だが、比企谷が由比ヶ浜に言った「いつかうまくやれるようになる」も同じニュアンスである)。

「手放したら二度と掴めない」とは何か? -2期2話との比較

比企谷「手放したら二度と掴めねぇんだよ」

雪ノ下の「きっとなるわ」は未来のことであり不確実である。比企谷も雪ノ下も「いつかうまくやれるようになる」かもしれないが、現状「コミュ力低い上に拗らせすぎてる」。だから比企谷は「きっと」や「いつか」ではなく「今」「自分の意志で」動いた。

かつての葉山との会話

さて、下記は2期2話(修学旅行回)における比企谷と葉山の会話である。

葉山「俺は今が気に入ってるんだよ。戸部も姫菜も、みんなでいる時間も、結構好きなんだ。だから」
比企谷「それで壊れるくらいなら、元々その程度のもんなんじゃねぇの」
葉山「そうかもしれない。けど、失ったものは戻らない
比企谷「そんな上っ面の関係で楽しくやろうってほうがおかしい」
葉山「そうかな。俺はこれが上っ面だなんて思っていない。俺にとってはこの環境が全てだよ」
比企谷「いや、上っ面だろ。じゃ、戸部はどうなる」
葉山「何度か諦めるようには言ったんだ。今の姫菜が心を開くようには思えないから。それでも先のことはわからない。だから戸部には結論を急いでほしくなかったんだ」
比企谷「勝手な言い分だな。それはお前の都合でしかない」

そもそも、比企谷と雪ノ下の関係がなぜ拗れているかというと、1期では「なくしてしまうのならそれまでのものでしかない」という信念を共有していた二人だったが、この修学旅行回で比企谷が葉山たちの「今をなくしたくない」という思いに共感し、嘘をついてまで関係を維持しようとし始めたからである。

比企谷の決め台詞「手放したら二度と掴めねぇんだよ」は、2期2話での葉山の「失ったものは戻らない」の引用である。葉山においては3期で、かつて雪ノ下と陽乃との関係を失っているみたいな過去が断片的に語られるので、その当事者である雪ノ下にとっても「手放したら二度と掴めねぇんだよ=失ったものは戻らない」は響く言葉だっただろう。

仮に、比企谷の「手放したら二度と掴めねぇんだよ」に対して、雪ノ下はかつての比企谷の台詞「そんな上っ面の関係で楽しくやろうってほうがおかしい」と反論することは可能である。かつての雪ノ下ならそう言っていただろう。だが、そのように否定しないということは、雪ノ下の中で「なくしてしまうのならそれまでのものでしかない」という信念が消失していることを示す。加えて、葉山の言うところの「これが上っ面だなんて思っていない」と比企谷も雪ノ下も思っているということ。

葉山は「俺にとってはこの環境が全てだよ」と言った。奉仕部3人にとっても、奉仕部の環境が全てだっただろう。だが、奉仕部の関係は歪み拗れて(上っ面になって)しまった。で、部活は終わった。それと共に歪み拗れた関係は終わり、雪ノ下との上っ面でない関係が始まる。

それぞれの立ち位置の比較

2期2話の「戸部→海老名さん」の告白が、3期11話の「比企谷→雪ノ下」の告白と連動しているとすれば、それぞれの立ち位置は下記のようになる。

 
時期:
2期2話|3期11話

告白する人:
戸部|比企谷

告白される人:
海老名|雪ノ下

自己犠牲する人:
比企谷|由比ヶ浜

振られる人:
戸部|由比ヶ浜

 
2期2話で葉山は「今の姫菜が心を開くようには思えないから。それでも先のことはわからない。だから戸部には結論を急いでほしくなかったんだ」と言っていたが、この3期11話における「比企谷→雪ノ下」の行動理念は「雪ノ下が心を開くかどうかはわからない。いつかうまくやれるようになるかもしれない。だが、今、雪ノ下を離したくなかった」と対称になっている。

同じく、2期2話では比企谷が嘘の告白という自己犠牲をすることで彼ら(葉山たち)の関係を維持させたが、3期11話では由比ヶ浜が恋愛感情を押し殺すという自己犠牲をすることで彼ら(比企谷と雪ノ下)の関係を維持させたと考えることができる。

2期2話で比企谷は「いや、上っ面だろ。じゃ、戸部はどうなる」と言っていた。これは三者(葉山、戸部、海老名及びあーしさん)の願いを同時に叶えるには無理があるということ。3期11話においても、三者(比企谷、雪ノ下、由比ヶ浜)の願いを同時に叶えるのは無理であった。上っ面でないからこそ、由比ヶ浜は撤退を余儀なくされた。

比企谷は2期2話で、別に好きでもない海老名さんに「ずっと前から好きでした。俺と付き合ってください」と嘘の告白をするが、3期11話で雪ノ下に対しては「ずっと前から好きでした。俺と付き合ってください」みたいなことを頑なに言わない。ここからわかることは、比企谷は「ずっと前から好きでした。俺と付き合ってください」というようなことをただ単に発話することは可能だということである。嘘でそれを言うことはできるが、本心でそれを伝えることができない。

嘘の告白後の由比ヶ浜との会話

下記は、2期2話での嘘の告白後の比企谷と由比ヶ浜の会話である(抜粋)。

由比ヶ浜「こういうの、もう、なしね」
比企谷「解決を望まない奴もいる。現状維持がいいって奴もいて当然いて、みんなに都合よくはできないだろ。なら、妥協できるポイントを探すしかない」(言っているうちに自覚してしまう。これは詭弁だ。俺がこの世で最も嫌った、欺瞞だ)
由比ヶ浜「とべっちも振られてないし、男子もなんか仲良さげで、姫菜も気にしなくて済んで……、これで、明日からまたいつもどおり。変わらないで済むのかもしれない。けど、けどさ……。人の気持ち、もっと考えてよ……。ああいうの、やだ」

「みんなに都合よくできないから、妥協点を探すしかない」というのが「欺瞞」だと比企谷は自覚している。物語はそれからバレンタインイベントという妥協と欺瞞の極致みたいな事象を経過し、比企谷は「このような欺瞞を自分自身が受け入れていいのか」と自問することになる。結果、比企谷は奉仕部の関係に対して欺瞞を持ち込まなかったが故に雪ノ下エンドになっている。

由比ヶ浜の言う「人の気持ち、もっと考えてよ」の「人」とは、消去法で考えれば由比ヶ浜自身を指しているとみなせる。三者(葉山、戸部、海老名さん・あーしさん)の願いは比企谷の行動によって叶っているわけだから、「人」が彼らを指すのでは絶対にない。そう考えると、「人=由比ヶ浜」と考えるのが自然である。由比ヶ浜は比企谷が大好きなので、嘘の告白をしたこと自体にショックを受けた。比企谷がそれに気付いているかどうかはわからない。

由比ヶ浜のその部分の台詞は要約すれば「比企谷の嘘の告白という欺瞞によって皆、ハッピーエンドになった。けど、私の気持ちも考えてよ。ああいうことはもうやめて」である。

さて、3期11話。一連の流れの中で比企谷がとった行動は下記である。

・嘘ではなく、本心で(雪ノ下に)告白した
・欺瞞を排除した(奉仕部の解散)
・由比ヶ浜の気持ちを考えた(由比ヶ浜のお願い「なんでもない放課後にゆきのんがいてほしい」が叶えられている)

つまりは、比企谷は由比ヶ浜の「こういうの、もう、なしね」「人の気持ちもっと考えてよ」「ああいうの、やだ」にきちんと従っている。にも関わらず、由比ヶ浜が振られるという皮肉なことになっていると考えることができる。

「責任とりたいというか」

比企谷「責任とるなんて言葉じゃ全然足りてなかった。義務感とかじゃないんだ。責任、とりたいというか、とらせてくれというか。お前は望んでないかもしれないけど……、俺は関わり続けたいと、思ってる。義務じゃなくて、意志の問題だ」

「責任とるなんて言葉じゃ全然足りてなかった」の「責任とる」は3期5話の下記の部分を参照にしていると思われる。

比企谷「けど、その責任も俺はとるべきだと思う。今までのやり方に問題があったなら、違うやり方とか、違う考え方、違う関わり方を探して、それで、どういう結果になったとしても、その責任をちゃんととりたい」

責任を「とるべき」と発話しているので、それは義務感の意味合いが強かった。だが、比企谷が伝えたいニュアンスは「義務じゃなくて、意志」だとここで明言している。

また、比企谷が雪ノ下を助けたいという動機の一つに「いつか私を助けてね」と言われたから(雪ノ下がそう望んでいたから)、というのがあった。しかし、この11話では雪ノ下は比企谷と関わり続けたいという態度を一切取らない。従って、「お前は望んでないかもしれないけど、俺は関わり続けたいと思ってる」は比企谷の受け身ではない純然たる意志の発露である。

なぜ「歪める」という表現なのか?

比企谷「だから、お前の人生歪める権利を俺にくれ」

「歪める」の意味については、本編で説明し尽くされているので繰り返さない。

問題は、なぜ比企谷は「歪める」という表現を使ったのかということである。比企谷はおそらく、自分が人と関わることが相手にとってネガティブになるかもしれないと自認している。それが何ゆえの感情なのかはわからない。感情ではなく、人生を客観視するとそのような結論になるということかもしれない。少なくとも比企谷は「俺が幸せにしてやるから付いてこい!」というメンタリティを持った人間ではない。

だから、比企谷が雪ノ下とこの先も関わり続けることで、比企谷と関わらない仮の世界線よりも、雪ノ下の人生がちょっと不幸になる(歪む)かもしれない。そうだとしたら客観的には良くないことだ。しかし、比企谷はそれでも「関わり続けたい」という意志を発動する。きちんと伝える。

この奉仕部として活動してきた二人は「もう随分歪んだ」ことをお互いに自認している。そして「歪む」は、悪いことではないこともわかっている。

「義務ではない」ので「権利をくれ」と反意語を使っている。

それ以下、比企谷の「諸々全部やる」のくだりは、プロポーズというか、それくらいの覚悟を持って雪ノ下の人生に関わるという宣言となっている。「いらなかったら捨ててくれ」と言っているので、比企谷は何か見返りを求めて伝えているわけではない。今、思いを伝えたいと思ったから伝えているだけだ。

紙ナプキンの黒塗り部分

雪ノ下「……なんで、そんなどうでもいいバカみたいな言葉はぺらぺら出てくるの。もっと他に言うことあるでしょう」
比企谷「言えねぇだろ。……こんなの、言葉になってたまるかよ」

「どうでもいいバカみたいな言葉」とは、平塚先生の言うところの紙ナプキンの黒塗り部分である。雪ノ下が何かを言って、それに比企谷が理屈っぽく、冗談ぽく反論するにつれて、黒塗り部分は色濃くなり、空白部分が明確になっていく。

なぜ比企谷は本心を言葉にしないのか。原作を参照してまとめると、「比企谷にとって雪ノ下は特別であり、たった一言で想いを済ませられる存在ではない。それをたった一言に押し込めてしまったら、それは嘘になる」ということである。この辺については是非とも原作を読んで欲しいと思う。

また、比企谷は一度、海老名さんに「ずっと前から好きでした。俺と付き合ってください」と(嘘の)告白をしてしまっているので、その言葉はその時点で封じられてしまっている、という考え方もある。

あなたの人生を私にください

雪ノ下「私はちゃんと言うわ。あなたの人生を、私にください」
比企谷「重っ」
雪ノ下「他の言い方を知らないのだから、仕方ないじゃない」

雪ノ下の「あなたの人生を、私にください」は、比企谷の「時間とか感情とか将来とか人生とか」を「全部やる。いらなかったら捨ててくれ」に対するアンサーである。

 
比企谷「人生とかを全部やる」
雪ノ下「あなたの人生を、私にください」

 
そう考えると、雪ノ下の「あなたの人生を、私にください」は完璧な回答であることがわかる。比企谷からの「全部やる」という提案みたいなものにきちんと答えているし、「私にください」という意志・願望も含まれている。比企谷は「重っ」と言うが、雪ノ下は比企谷の提案に対して「はい、それをください」とそのまま返答しただけなので、そもそも比企谷の「全部やる」が重いのである。

ということは、「他の言い方を知らない」というのは、もしかしたら「比企谷の提案に対して「はい、それをください」とそのまま返答」することしかできないということになるだろうか。雪ノ下が無の状態から「あなたの人生を、私にください」を生み出すことができたかどうかと考えると、疑問の余地がある。

雪ノ下は2期13話、由比ヶ浜宅で陽乃に電話をかける際、比企谷が言った言葉をそのまま流用して陽乃に伝えた(俗に言うコピペのん)。これはそれに似ている。で、コピペのん問題が解決されないまま、あまつさえこのクライマックスシーンで流用されているということは、比企谷との関係においては「コピペのん=悪」ではないということだろう。

結局、雪ノ下は自立できたのか?

この3期において、なぜ雪ノ下の自立問題に焦点が当てられているかというと、2期13話のラストで放たれる比企谷の「雪ノ下の問題は、雪ノ下自身が解決すべきだ」が原因である。その言葉が呪縛となって、雪ノ下は3期1話からここまで、全てを自分自身で解決しようと頑なになっていると考えられる。

雪ノ下の言うところの「自立」とは、端的に言えば「(比企谷に頼らずに)自分の力でうまくやれるようになる」こと。この11話でも「あなたに頼りきりで、どんどんダメになる気がする」と言っているので、少なくとも3期で描かれてきた「(比企谷に頼らずに)自分の力でうまくやれるようになる」という試みは失敗しているように思える。しかし。

原作14巻の考察でも書いたことの繰り返しになるが、ここは強調しておきたい。「自立」とは一見、「自分の力だけで成し遂げること」みたいな極右の意味で捉えがちだけれど、私が今まで生きてきて「自立」には下記のような考え方もあることを知った。

 
・頼れる人を見つけること
・依存先を増やすこと
・助けて欲しい時に助けて欲しいと言えること
・自己実現する能力

 
また、具体例を挙げるのが適切かどうかわからないが、私にとって印象的だったのはNON STYLEの石田明氏の話である。石田氏は仕事のプレッシャー等で薬を持ち歩いていないと不安で仕方なかった時期があるという。その状態から回復できた理由として「依存先が薬から奥さんへと変わったから」と言っていた。

よく考えてみれば、誰にも頼らずに、誰にも全く依存しない人生は虚しいし、そもそも不可能のように思える。人間はコミュニケーションを本質とする高度に社会的な動物だ。

雪ノ下は比企谷という「頼れる人」と出会い、ダミープロムという「自己実現」をすることとなる。これからは時に「依存」し合いながら、比企谷に「助けて欲しい時に助けて欲しいと言える」だろう。だから、雪ノ下は「自分の力だけで成し遂げること」という狭義で堅苦しい「自立」の意味から解放された。「自立」をどのような意味とみなすかは各々にあると思うが、私は雪ノ下は自立はできた思っている。

  *

これは極めて個人的な話で恐縮だが、私は幼少期を両親、特に父親から「自立、自立、自立、自分でできることは全部一人でやれ」という教育を受けて育った。自立していないらしい行動が私にあると、苛烈な仕打ちが待っていた(暴力ではないのでご安心を)。常識的で責任感のある良い父親だったが、その点に関してだけはなぜか激烈であった。

私は「なるほど、人に頼ることはいけないことなんだ」と学習し、社会に出た。人に頼ることなく、誰にも相談せず、誰にも愚痴さえこぼさなかった。で、うまくいかなくて病んだ。今考えればうまくいくわけなんてないのである。誰にも頼らないで組織で仕事をすることは不可能だ。そういう経験があるので、私にとって俺ガイルの「自立」のくだりはかなり刺さったし、考えさせられた。

なぜこんな決してポジティブでないどうでもいい話を悩みながらも敢えて書いたかというと、もし自立うんぬん等で悩んで死活問題になっている人がいたなら、同じような悩みを抱えていた(抱えている、と言っていいかもしれない)奴がここにもいるのだということを知ってもらってもいいんじゃないかと思ったからである。そいつは俺ガイルが好きで、こうして特に何の役にも立たない記事を一生懸命に書いている。あなたはそれを読んでいる。

少なくとも、ひとりじゃない。私は文を書くのが割と好きだが、このブログや、他の匿名ブログなどで趣味として文章を公開する時、ちょっと興味を持ったり、ちょっと笑ってしまったりして、1グラムでもいいから人生を明日に繋げる微力になればいいなと思って書いている。

この俺ガイル考察も、そのようなものになっていればとても嬉しい。ただの自己満足である。

 
次の記事:
俺ガイル完第12話(3期最終話)の感想・考察その1。「諦めなくていいのは女の子の特権」とは何か?

 
他にも考察していますのでぜひともご覧ください:
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▲文中に引用した石田氏の話のソース。