『俺ガイル。続』第4話の感想・考察。なぜ葉山は比企谷を助け、雪ノ下は立候補するのか

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第4話「そして、由比ヶ浜結衣は宣言する。」

『やはり俺の青春ラブコメはまちがっている。』(『俺ガイル。続』、二期)の第4話は大変濃密な内容となっている。それだけに考察すべきことも山ほどあり、結果的に本稿は7,000字を超えている。

原作や過去回などを援用しながら解説して行こう。

※他にも俺ガイル考察記事ございますので、「俺ガイルカテゴリ」からご覧くださいませ。

「自意識の化物」とは?

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「本物」の登場

比企谷は中学時代に好きだった折本について「あれを好きだったとは言わない。ただ一方的に願望を押し付けていたというか、勘違いしていただけで、それを本物とは呼ばない」と言っている。『俺ガイル。続』における大きなキーワードとなる「本物」がここで登場する。ちなみにこの「本物」という言葉自体は一期の林間学校回でも登場している。

ここでの言葉だけを解釈すれば、比企谷の言う「本物」とは「願望の押しつけや勘違いではない何か」である。

 

「理性」と「自意識」の違い

『君はまるで理性の化物だね』
「なんすかそれ。そんなんじゃないですよ」
『そっか、じゃあ、自意識の化物だ』
その言葉は自然と腑に落ちた。

『やはり俺の青春ラブコメはまちがっている。』第8巻、P147より抜粋

デジタル大辞泉によれば「理性」と「自意識」は次のように説明されている。似たような言葉だが意味は結構違うことがわかる。

 
理性:
道理によって物事を判断する心の働き。論理的、概念的に思考する能力。

自意識:
自分自身についての意識。周囲と区別された自分についての意識。

 
「理性」は客観、「自意識」は主観とでも言うことができるだろうか。この4話の後半で雪ノ下雪乃に「すべての人があなたを気にかけて、嫌っているだなんて自意識過剰よ」と言われていることとも関連する。要するに比企谷は「自意識の化物=自意識過剰」なのである。

 
自意識過剰:
他に対する自己を意識しすぎること。自分が他人にどう見られるかを考えすぎること。また、そのさま。

 
この物語に当てはめて考えると「比企谷は自分が皆に嫌われていると思い込み過ぎている」ということ。後の葉山の「君は自分の価値を正しく知るべきだ」という台詞にも繋がっていく。

 

葉山はなぜ比企谷をデートに誘ったのか?

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葉山「俺はただ、できることをやろうと思っただけだよ」

葉山がやろうとしていたことは非常に回りくどくて、はっきり言ってわけがわからない。整合性が取れていないように思える。時系列を整理して推論を述べていこう。

 
葉山「助けると思って、来てくれないか」
  ↓
比企谷、葉山、折本、仲町の4人でデート
  ↓
折本と仲町が比企谷をディスり続ける
  ↓
葉山「そういうの、嫌いだな。君たちのことだよ」
  ↓
雪ノ下雪乃と由比ヶ浜登場(葉山が呼びつけた)
  ↓
葉山「比企谷は君たちが思っている程度の奴じゃない。君たちよりもずっと素敵な子たちと親しくしている。表面だけ見て勝手なことを言うのはやめてくれないかな」

 
これらは葉山のプラン通りの展開だったのだろうか? おそらく違う。

葉山が雪ノ下雪乃と由比ヶ浜を呼んだ理由は、比企谷と二人の仲を修復しようとしたことで間違いない。葉山は修学旅行回で比企谷に頼ってしまったことによって、自分たちの関係性を守った一方、奉仕部メンバーが瓦解しつつあったことに気づいていた。そのことを申し訳なく思っていた。そこでこうして場を設けた。なんなら最終手段として葉山自身が生徒会長をやってもいいとさえ思っていたかもしれない。

 
比企谷をディスり続けていた折本たちを「そういうの、嫌いだな。君たちのことだよ」とたしなめたのはプラン通りだったのだろうか。いや、おそらくアクシデントだったに違いない。

葉山は比企谷にもデートを楽しんで欲しかったのだろう。比企谷が昔好きだったという折本と共に過ごす時間を提供することで、比企谷をぼっちに戻させないというプランがデートに誘ったそもそもの目的であったと思われる。しかし、折本たちは比企谷を卑下し続けていたので、プランの変更を余儀なくされた。

 
雪ノ下雪乃と由比ヶ浜をカフェに呼んだのは、おそらくプラン変更後のことだろう。本当はデート後に選挙の打ち合わせをしようとでも思っていたのだが、折本たちの比企谷に対する態度がいけ好かなかったのでわざわざ彼女たちと鉢合わせるようにカフェに来させて、「君たちよりもずっと素敵な子たちと親しくしている」と突きつけた。

 
葉山が考えていた本来のプランは下記の通りだったはずだ。

 
デートで比企谷と折本が仲良くなる(周りが比企谷の価値を正しく知る)
  ↓
デート後、選挙の打ち合わせで奉仕部の瓦解を修復する(葉山が壊してしまったものを取り戻す)

 
真意は葉山にしかわからない。ここは『俺ガイル。続』の物語の中でもシンプルながらも屈指の難解さを誇るシーンのひとつであり、まだまだ考える余地がある。

 

葉山の過去に関する示唆、Yは誰か?

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葉山の過去

葉山「結局、本当に人を好きになったことがないんだろうな。君も俺も。だから勘違いしていたんだ」

物語中で度々出てくる葉山の過去に関する示唆的な発言である。ここまでの経緯からするとおそらく雪ノ下雪乃と何かがあったのだと思われるが、詳しく語られることはない。

冒頭のシーンに続いて「勘違い」というキーワードが表れている。「勘違い≠本物」なので「勘違い=本当に人を好きになったことがない」という論理である。

 

Yとは誰なのか?

過去の回想シーン(林間学校、一期アニメ版ではカットされていた)が差し挟まれて、葉山の好きな人のイニシャルが「Y」であることが明白にされている。この「Y」というアイデアは秀逸である。

 
・雪ノ下雪乃
・雪ノ下陽乃
・由比ヶ浜結衣
・三浦優美子
・材木座義輝

 
主要な登場人物の多くのイニシャルが「Y」だからである。材木座さえ含まれている。おそらくは「雪ノ下陽乃」のことを指しているのだと思われる。

 

折本「そっか」の意味

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去り際に折本が雪ノ下雪乃と由比ヶ浜を一瞥しながら明るげに「そっか」と呟くシーンが比較的丁寧に描かれている。折本が何に納得したのかは折本自身にしかわからないが、ネガティブな意味合いではないと思われる。推測としては、

 
1. 比企谷を見直した
2. 自分の比企谷を見る目のなさに納得した
3. 比企谷が二人のどちらかと付き合っていると思った

 
あたりだろうか。それほど重要なシーンではないが、折本も悪いキャラクターではないと印象づけるには充分である。

 

陽乃の目的は?

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陽乃の登場と真意

陽乃「雪乃ちゃんが生徒会長をやるんじゃないんだ。てっきりそうすると思ってたのに。そうやって誰かにやらせたり押しつけるの、お母さんそっくり。ま、雪乃ちゃんはそれでもいいかもね。あなたは、何もやらなくていいんだもの。いつも誰かがやってくれるんだもんね?」

折本たちの退場後、陽乃の狂気とも言える恐るべきシーンが襲来する。

第一声の「ふーん、なるほどねぇ」は「雪ノ下雪乃が生徒会長をやらない」ことに対して放たれている。陽乃は生徒会長をやらなかった。陽乃は自分の後を追い続けている雪ノ下雪乃を良く思っていないので、その轍から主体的に逸脱して欲しいと期待していたに違いない。

雪ノ下家が抱える何らかの家族の問題が示唆されており、これは今後のストーリー展開において要点となる。「そうやって誰かにやらせたり押しつけるの、お母さんそっくり」から推測されることは、陽乃は母に雪ノ下雪乃の面倒見を押し付けられているのではないかということである。

 
一見、陽乃の言動があまりにも強烈なので雪ノ下雪乃のことを嫌いなのかと思ってしまいそうになるが、そうではない。比企谷の台詞に「単なるちょっかいにしては手間かけすぎでしょ」とあることからも、好き故のちょっかいであることがわかる。陽乃は「嫌いなものは徹底的に潰す」のであり「いつも誰かがやってくれるんだもんね?」なんて挑発的でこそあれ助言を与えるようなこともしないはずだ。

ちなみに、一期11話(原作6巻)でも、陽乃は雪ノ下雪乃の成長のために敢えて敵として振る舞っているのではないかと比企谷が推測する場面がある。

 

葉山には無関心

陽乃「何でも卒なくこなす人間なんて、面白みがないじゃない」

葉山に視線を向けながらこの台詞があるので、陽乃は葉山には全く関心がないことが明白にされている。葉山はおそらく陽乃に好意を持っているので、報われなさが半端ない。

 

雪ノ下雪乃は何に納得したのか

雪ノ下雪乃「そう、そういうこと」

陽乃の手を弾き、雪ノ下雪乃は「そう、そういうこと」と何かに納得する。その瞬間、葉山は目を伏せる。

比企谷のモノローグ「葉山を候補に立てる。その選択自体に不思議はない。ただ…」の続きは、原作では「葉山はサッカー部の部長だから両立は困難を極める。だから受けるはずがない(大意)」というものだ。おそらく葉山がここに雪ノ下雪乃を呼び出したのは、自分が受けるのではなく逆に雪ノ下雪乃を生徒会長に推薦するためだったのではないだろうか。それを見抜かれて葉山は目を伏せた。

あるいは、この現場に陽乃がいることを葉山は雪ノ下雪乃に伝えていなかった。ここで二人を引き合わせるために葉山は雪ノ下雪乃を呼んだのではないかと邪推したという意味での「そう、そういうこと」かもしれない。いずれにしても雪ノ下雪乃はポジティブに捉えてはいない。

 
雪ノ下雪乃が生徒会長をやれば万事が解決、というわけには行かない。今後問題になってくる奉仕部の存続もそうだけれど、陽乃にとって最も重要なことは雪ノ下雪乃が「自分の意志で自発的に」生徒会長になることだからである。誰かに言われたからやるのでは本人の成長に繋がらない。陽乃が出てきて雪ノ下雪乃をたしなめた時点で、雪ノ下雪乃が生徒会長になるという選択肢は物語にとっての正解ではなくなった。

しかし、雪ノ下雪乃は「自分が生徒会長になりさえすればいい」と短絡的に解釈をして、あるいは、本心では生徒会長をやりたかったからこうして理由を与えられたことが原動力となって、立候補することになる。

 

なぜ比企谷と葉山の信念は噛み合わないのか?

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「君が……、君が誰かを助けるのは、誰かに助けられたいと願っているからじゃないのか」
決定的だった。
やはりこいつはわかっていない。

『やはり俺の青春ラブコメはまちがっている。』第8巻、P202

葉山「最低の気分だよ。二度としたくない」

葉山の行動原理は「誰も傷つけない」ことである。だからこそ修学旅行では板挟みに合って苦悩していたし、その結果、比企谷に頼ってしまったことで比企谷を傷つけてしまった(と思い込んでいる)。

葉山は本心で比企谷を高く買っている。尊敬さえしているかもしれない。しかし、当の比企谷は自分は嫌われているから世界には何の影響も与えない(=自意識の化物)という理念に従って行動している。葉山にはそれが見ていられなかった。特に自分が原因となって比企谷が傷つき、卑下されることは葉山の信念に反した。

従って、葉山は比企谷を助けるために、行動原理を曲げてまでも折本たちを糾弾した。だけど比企谷はその葉山の思考を理解することができない。

 

比企谷「犠牲? ふざけんな。当たり前のことなんだよ、俺にとっては」

比企谷にとっては葉山を助けた覚えはない。比企谷は自分の世界の中で自分が決めた行動をしただけだからである。感謝されることも、申し訳なく思われることも不本意である。比企谷はこれまでもそうやって生きてきた。傷ついてなんかいない。

葉山にとって自己犠牲に見える比企谷の行為は、比企谷にとっては自己犠牲ではない。困っている人がいたから最も効率的な手段で解決した。ただそれだけ。そこには何の感情もない。

 

葉山「ずっと考えていたんだ。俺が壊してしまったものを取り返す方法を」

おそらく奉仕部の関係のことを言っている。葉山は自分のせいで奉仕部の関係が瓦解しつつあると思い込んでいて、申し訳なく感じている。責任を持って自分の力で修復したいと思っている。

だけど、比企谷にとってはそれが葉山のせいだなんて全然思っていない。もう終わったことだし、自分は間違っていないのでそれはそれで仕方ないと高い自意識に思い込まされている。だから比企谷にとっては葉山に助けられる理由はどこにもない。比企谷の「勘違いして割り込んでくんな」は本心である。

 

葉山「君が誰かを助けるのは、誰かに助けられたいと願っているからじゃないのか」

アニメではちょっとわかりづらいが、原作では葉山のこの言葉に比企谷は「こいつはわかっていない」と強い不快感を示している。つまり、比企谷は「誰かに助けられたいから誰かを助けているのではない」のは確実であるということ。

これは裏を返せば、発言の張本人である葉山は「誰かに助けられたいから誰かを助けている」とも言える。ここで比企谷を助けようとしたのも、比企谷に助けられたいからと言えるかもしれない。

葉山は正義感溢れるいい人である。比企谷も正義感溢れるダークヒーローである。だけど、二人の意見は噛み合わない。どちらが正しいという正解もない。

 

比企谷「誰かとたったひとつ共有していて、今はもうなくしてしまった信念が」

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「誰か」とは誰か?

この「誰か」は順当に考えれば「雪ノ下雪乃」が妥当だが、あまりにも安直過ぎる気がしないでもない。喧嘩中の「小町」という見方もできるかもしれないが、ストーリーの文脈には沿わないような気もする。

深読みすれば「誰か=自分の自意識」という見方はおそらく有用である。「自意識」とはつまり自分を俯瞰するメタ視点のこと。「自分」と「自意識(自分はこうあるべきと考えている自分)」とがたったひとつの信念を共有できていたけれど、今はそれが揺らいでいるという意味である。

だけど、まあ、深読みし過ぎ感はある。「誰か」とはおそらく雪ノ下のことで間違いないだろう。

 

「なくしてしまった信念」とは?

比企谷が作中でなくしてしまった信念はひとつしかない。「嘘や馴れ合い(=欺瞞)は要らない」という信念である。

これは修学旅行で比企谷が「好きでもない相手に告白をする」という「嘘」をついて、葉山グループを「馴れ合い」という現状維持に停滞させたことに由来する。それまでは嫌われることも厭わずに相手に事実を突きつけることで問題解決を図ってきた比企谷が、葉山たちグループの「今を大事にしたい」という思いに少なからず共感し、正解として「嘘と馴れ合い」を選択してしまった。

 
それが正しいことだったのか、比企谷は葛藤を引きずっている。雪ノ下雪乃と由比ヶ浜にそのやり方を弾劾されたからである。解決手段は最も効率的で正しかったが、解決理念は果たして正しかったのか、と。

比企谷は「自意識の化物」である。馴れ合いを選択したことで崩落しそうになっている堅牢な自意識を、意地になって保とうとしているようにも見える。だからこそ葉山の同情を頑なに拒絶し、再び最も効率的な手段で一色いろはの当選を阻もうとしているのではないか。

 

雪ノ下雪乃の立候補

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平塚先生の真意とは?

平塚先生「さて、もう一度聞こう。比企谷、君はどうする?」

比企谷は雪ノ下雪乃が生徒会長選挙に立候補するつもりだと平塚先生から聞かされる。で、平塚先生は雪ノ下雪乃の立候補を公にする前に比企谷に問う。「君はどうする?」と。

平塚先生が比企谷に行動を促しているところを見ると、どうやら雪ノ下雪乃が生徒会長になることに賛成していないようである。これはつまり、現時点でそれは物語としての正解ではないことを意味する。

先にも述べた通り、雪ノ下雪乃は「自発的に」生徒会長に立候補するのでなければ意味がないからであり、そうである以上、雪ノ下雪乃の成長の場としての奉仕部をなくしてしまうことは避けなければならないからである。

 

文化祭の二の舞にしたくない比企谷

一期11話(原作6巻)でも同じことがあった。雪ノ下が文化祭の運営を一人で背負い込んでしまったことである。

比企谷はその時「お前のやり方は間違っている」とはっきりと否定している。それは雪ノ下雪乃にそれまで観察されていた信念(手助けはするけれど、最終的には本人の意志に委ねる)とは異なるからである。雪ノ下雪乃は実行委員長である相模の補佐をするどころか、自らが意思決定者になってしまっていた。

同じ過ちを繰り返させるわけにはいかない、と比企谷は感じて雪ノ下雪乃の立候補を阻止しようとする。

 

雪ノ下雪乃「それに、私はやっても構わないもの」

雪ノ下雪乃が自分が生徒会長をやるべき客観的理由を並べる中で、最後に「自分はやっても構わない」と付け加える。この言い回しから雪ノ下雪乃も自分で自分の行動の理由を作り出すことができないのだとわかる。

それに対して、由比ヶ浜は確固たる自分の意志で立候補を表明する。

 

由比ヶ浜の立候補

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由比ヶ浜が立候補する理由

由比ヶ浜が雪ノ下雪乃の対立候補として立候補する決意を固めた理由は大きくわけて2つある。作中できちんと描かれているので詳しい説明は不要だろう。

 
1. 奉仕部をなくさないため
2. 比企谷の自己犠牲による解決を阻むため

 

それを受けての比企谷の心情

由比ヶ浜の立候補に関して、比企谷には反論の余地はない。由比ヶ浜の自由意志で選んだことだからであり、否定する理由がないのである。だから比企谷はそれを黙って受け入れるしかない。しかし、比企谷の心情はもやもやしている。これにも理由が2つある。

 
1. 奉仕部をなくしたくないため
言葉にはなることはないけれど、比企谷も奉仕部をなくしたくないと本心では願っている。ただ、自意識過剰な比企谷は自分一人のわがままで他人の行動を左右することは許されないと思っている。

それに加えて、比企谷は自分の行動の理由を自分で作り出すことができない。このことは次回第5話に繋がっていく。

 
2. 自分(=比企谷)を守るために他人が犠牲になるのは信念に反するため
比企谷はこれまで問題の解決のために自分が犠牲になってきた。それを当たり前のことだと思っていた。だけどここに来て、周囲の人間が比企谷を守るために自らが犠牲になろうとしている。由比ヶ浜だけでなく、雪ノ下雪乃も。葉山もそうだった。

自分(=比企谷)のことを守ろうとした結果、誰かが大切なものを手放さなければならないことを比企谷は心苦しく思っている。比企谷の自意識はそれを受け入れることができない。自分がこれまでやってきた自己犠牲という行為を今は他人が比企谷のために行っていることで、比企谷の中に新たな感情が芽生えようとしている。

 

由比ヶ浜「好き…なの…」

由比ヶ浜が「この部活、好き…なの…」と比企谷に告げるシーンがかなり綺麗なアニメーションで描かれている。この「好き…なの…」は奉仕部に対して言っていると同時に、比企谷への間接的な告白になっているように思える。

比企谷と由比ヶ浜は同じクラスでありながら教室で会話をすることは殆どない。奉仕部という空間がなくなってしまうことによって、由比ヶ浜にとって大好きな比企谷と接することのできる空間を失ってしまうことになる。そういう意味で由比ヶ浜は「奉仕部をなくしたくない」と思っているとは考えられないだろうか。

 
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