『俺ガイル。続』第6話の感想・考察。なぜ雪ノ下雪乃と奉仕部は停滞してしまったのか
第6話「つつがなく、会議は踊り、されど進まず。」
『やはり俺の青春ラブコメはまちがっている。続』(『俺ガイル。続』、二期)の第6話であり、原作9巻からの展開となる。必要な部分は原作を援用しながら解説して行こう。
※他にも俺ガイル考察記事ございますので、「俺ガイルカテゴリ」からご覧くださいませ。
停滞した日常に比企谷は何を思うか
比企谷のモノローグ「あの日以来、変わることのない微笑。変わることもない日常。逃げ出さないようにするだけの日々」
前話を受けて問題は解決、とはならなかった。比企谷と雪ノ下雪乃には「馴れ合いは要らない」という信念があったが、奉仕部としての日々がまさに馴れ合いであり欺瞞の日々になってしまった。
表面上は変わらない。由比ヶ浜が喋り、雪ノ下雪乃が相槌を打ち、比企谷は読書。しかし、少なくとも比企谷と由比ヶ浜はその日常に対して違和感を覚えている。
比企谷が葉山グループを見ていた意味
些細な行き違いや小さな違和感を少しずつ擦り合わせて、三浦も葉山も戸部も海老名さんも納得できるお互いの妥協点を探って、彼らなりの在り方を調整しているように俺には思えた。
そんなやり方も、あったのだ。
彼らでさえも、本当は自分たちのコミュニケーションに疑問を抱き、悩みながら手探り状態でいる。
――なら、いったい、どちらが偽物だったのだろうか。『やはり俺の青春ラブコメはまちがっている。』9巻、P36-37
比企谷は無意識に葉山たちグループを眺めている。それは後に示されるように、「剥がれ落ちたものをどう取り繕えばいいかを、教えてくれる気がしたから」である。第2話で比企谷は葉山たちグループを「馴れ合いに停滞させる」ことによって彼らの問題を解決した。結果、彼らの日常は変わらずに済んだ。
同様にして、第5話で比企谷は問題を解決して奉仕部を存続させた結果、今度は奉仕部自体が馴れ合いで嘘をごまかし続ける場へと転落してしまった。それは望んだことではなかった。
比企谷は「馴れ合い=悪」と決め付けていたけれど、その頑固な信念が奉仕部に違和をもたらしてしまっている。葉山たちグループのようにコミュニケーションを取りながらお互いの妥協点を探るやり方のほうがもしかしたら正しいのではないかと比企谷は思い始めている。
由比ヶ浜「部活、一緒に行こうね」
由比ヶ浜が「部活、一緒に行こうね」と比企谷を誘うのはおそらく初めてのことなのだと思う。比企谷は自意識が高い(教室内で由比ヶ浜と接触すると迷惑がかかると思っている)ので先に教室を出て、人目のつかない場所で待っている。
由比ヶ浜「なんで先行っちゃうし」
比企谷「行ってねぇだろ、こうして待ってる」
由比ヶ浜「そうだけど。……あれ、じゃあいいのか」
この会話で、由比ヶ浜が「部活、一緒に行こうね」と言った動機は「一緒に教室を出ること」ではなく「一緒に部室に入ること」であり、比企谷もそれを理解していることがわかる。つまり、変わってしまった雪ノ下と過ごすことは由比ヶ浜にとっても逃げ出したいくらいに苦しいことなのである。
しかし、その日常を変えてしまえば何かが壊れてしまう気がしている。あるいは、第5話で行った奉仕部を存続させるという選択が間違いであったことを認めることになってしまう。だからこそ由比ヶ浜も違和感がありながらも今までと同じく昼も部室で雪ノ下雪乃と過ごしている。
由比ヶ浜「あのさ……」と何かを言いかける
比企谷のモノローグ「いつまでこれが続くのだろう。いつまでこれを続けていけるのだろう。これを続けなくなったら、どうなるのだろう」
部室に行く途中、由比ヶ浜が「あのさ……」比企谷に何かを言いかけてやめる。この続きはおそらく「ゆきのん、最近変わっちゃったよね」などのここ最近の違和感に関することだろう。だけど、言葉にしてしまえば何かが壊れてしまう気さえしているから、その言葉を飲み込んだ。今は日常を演じることで、なくしてしまったものを取り繕うことしかできない。
雪ノ下雪乃を含めた彼らは全員、「普通」に過ごすことしかできない。第3話であったように「それがあなたにとっての普通なのね」なんて雪ノ下雪乃はもう言わなくなってしまった。閉塞と停滞の先にあるものは緩やかな死だ。だけど誰にもどうすることもできない。
雪ノ下雪乃はなぜ変わってしまったのか
何かを諦めてしまったような微笑みの理由
雪ノ下は修学旅行以前と同じように見えた。
いや、同じように、変わらぬように、そうあるように、振る舞っていた。誰の目にもそれは明らかだったと思う。
物静かで、でもちゃんと反応は返してくれ、時折由比ヶ浜に柔らかな微笑みを向ける。
けれど、あんなにひどい微笑み方はない。故人を偲ぶような、幼子を見るような、そんな取り返しがつかなくなったものを懐かしむような、あんな微笑み方は見る者の心を苛む。『やはり俺の青春ラブコメはまちがっている。』8巻、P355
前巻最終部分からの引用である。ここで雪ノ下雪乃の変化が綺麗に説明されている。文を読む限りでは、雪ノ下雪乃の変化の直接の原因は「生徒会長を諦めざるを得なかったこと」である。拡大解釈すれば「自分の意思を阻まれてしまったこと」「誰も自分のことを理解してくれなかったことへの失望」なども含まれるかもしれないが、一番大きいのは「自らに対する無力感」であるように思う。雪ノ下雪乃の言葉としては表れないが、彼女なりに葛藤があるようである。
雪ノ下雪乃が変わらぬ日常を演じていたのは、奉仕部の存続は比企谷と由比ヶ浜が望んだ結果であることを理解しているからである。そのために信念(=馴れ合いや嘘は要らない)を押し殺して、馴れ合いと嘘の日常に埋没している。で、比企谷と由比ヶ浜も何も言わずそれに合わせることで悪循環に陥っている。
依頼が来てもノーリアクション
そんな停滞した日常の中に登場するのが一色いろはである。他校と合同で行うクリスマスイベントがやばいことになっているらしい。
それまでの雪ノ下雪乃であれば、依頼が来たら積極的に関わっていく姿勢を見せていた。しかし、今回は目を伏せて心ここにあらず。ノーリアクション。まさに「取り返しがつかなくなったものを懐かしんで」いたのかもしれない。依頼を受けるかどうかを「どうかしら」と他人に委ねるのも初めてのことである。
由比ヶ浜「なんか相談来るなんて久しぶりじゃん。ここ最近、こういうのなかったし。だから、前みたいにちょっと頑張ってもいいかなって、思う、んだけど……」
雪ノ下「そう。なら、いいと思うわ」
由比ヶ浜は停滞した日常を打破するいい機会になると依頼を受けたがり、雪ノ下雪乃も「あなた(=由比ヶ浜)がそう言うなら」という理由でそれを肯定する。それはまるで、「比企谷と由比ヶ浜が奉仕部の存続を望むなら」という理由で生徒会長を諦めたように。
なぜ比企谷は一人で依頼を受けたのか
雪ノ下の本心はいまだにわからないが、生徒会が絡むことを雪ノ下の目の前に出してしまうことは、それはひどいことなのではないかと思った。望んでも手に入らないものを眼前にさらすことは、きっと何よりも残酷だ。
『やはり俺の青春ラブコメはまちがっている。』9巻、P57
比企谷の責任とは?
一色いろはは比企谷に説得されて生徒会長になった。逆に、雪ノ下雪乃は比企谷の策によって生徒会長になれなかった。もし雪ノ下雪乃が本当は生徒会長になりたくて後悔しているのだとしたら、生徒会の仕事を手伝わせることは雪ノ下雪乃を傷つけることに繋がると比企谷は解釈する。一色いろはを手伝うことが比企谷の「責任」であると同時に、雪ノ下雪乃を傷つけないことも比企谷の「責任」であった。
日常を日常のままにしておくという嘘による現状維持
それに加え、依頼が来てからの雪ノ下雪乃の表情を見ても浮かない顔をしていることに全員が気付いている。少なくとも「依頼を受けたい」という感じではない。今の停滞した不安定な日常の中に生徒会の仕事という爆弾を放り込んでしまえば、その日常さえも壊れて取り返しがつかなくなってしまうかもしれない。
比企谷は一人で依頼を受けることで、奉仕部の日常を日常のままにして延命することを選択した。しかし、それは同時に雪ノ下雪乃に対する「嘘」でもある。二人がこの世で最も忌み嫌った嘘であり欺瞞である。
「依頼なんてないほうがいい」の意味
雪ノ下雪乃「本当は依頼なんてないほうがいいのかもしれないわね。何事もなく過ぎていくほうが」
この言葉はストーリー上において大きな意味を持つものではないが、考えておいて損はない。挙げられるとすれば下記4つくらいだろうか。
1. 誰も悩みなんてないほうがいいという一般論
2. 数々の依頼のせいで奉仕部の関係が壊れてしまったことを悔いている
奉仕部3人の関係は修学旅行での依頼を受けたことをきっかけに少しずつ齟齬が生まれて今に至る。依頼なんてなければあのまま良好な関係を継続できたのに、と考えているのかもしれない。
3. 雪ノ下雪乃が奉仕部に対して存在価値を見失っている
比企谷と由比ヶ浜が望んだ結果、奉仕部は存続された。だけど、それは三人がなくしてしまったものを取り繕うだけの空虚な日々の始まりであった。こんな嘘で塗り固められた日々を続けるくらいなら部活なんてないほうがいいのに、と心の中で思っているのかもしれない。
4. 自分は何も解決できないという無力感
前回までの話において、雪ノ下雪乃は比企谷の自己犠牲による解決を阻むために生徒会長選挙に立候補しようとする。雪ノ下にとってそれは英断だったに違いない。しかし、その決意も比企谷の新たな策の前には無力であった。
そのようにして雪ノ下は無力感だけを手にしてしまった。これまで自分が中心となって活動してきた奉仕部において自分は必要ないし、であれば、依頼が来ても自分の出る幕はないのではないかと思い詰めているのかもしれない。
「意識高い系」のメタファー
玉縄「お互いにリスペクトできるパートナーシップを築いてシナジー効果を生んで行けないかなって思っててさ」
生徒会が行う合同クリスマスイベントの相手、海浜総合高校は俗に言う「意識高い系」の集積であった。わかった気になっている横文字言葉を駆使しながら、ブレインストーミングでアイデアを出しまくる。けれど、合同イベントに向けて何も決定されない。もう本番は迫っているのに。
海浜総合高校の「意識高い系」は巧みなメタファーである。何のメタファーか? 奉仕部の現状のである。
彼ら「意識高い系」は、上滑りするだけの横文字言葉を駆使して会議を演じるけれど、何も決まらずに先に進むことはない。一方奉仕部の現状も、上滑りするだけの態度を駆使して日常を演じるけれど、何も打破されないまま先へ進まない。奉仕部もこの会議も停滞している。
比企谷たちを写す鏡のようなこの会議を打破することによって、奉仕部の関係性も危機を乗り越えて新たなものになっていくだろう。それをどのように解決していくのかがストーリーの要点である。
一色いろはに関連することの考察
なぜ比企谷は待ち合わせ場所を変えたのか
比企谷「一緒に帰って友だちに噂話とかされると、恥ずかしいし」
一色いろはが校門で待ち合わせを提案するが、比企谷は学校から離れたところに待ち合わせ場所を変更する。これは比企谷の自意識のせいであり、誰かに見られると一色いろはに迷惑がかかると思っての判断だろう。第1話の雪ノ下雪乃と旅館に帰るくだりで学習したのだと思われる。
しかし、一色いろはは比企谷の真意に気づかない。一色いろはは比企谷をそれほど悪く思っていないか、あるいは、比企谷が自分自身で思っているほど周囲の評価は低いわけではないことが示されている。
荷物を持ってあげる比企谷
比企谷が一色いろはの荷物を持ってあげるシーンが二度、比較的丁寧に描かれている。
比企谷が荷物を持ってあげたのは自意識のためであり、無意識の正義感のためである。第2話で転んだ由比ヶ浜に手を差し伸べるシーンとも重なる。一方、一色いろはにとっては素で何もアピールしなくても、自分のして欲しいことをしてくれる比企谷に「一瞬ときめきかけ」ている。
大爆笑する折本かおり
今話最後のシーン、比企谷の「奉仕部」という答えに対して折本かおりが爆笑する。そこの台詞を書き出してみよう。
「何それ、意味わかんない、超ウケるんだけどーwww マジ何やる部ーwww 今日イチのマジでツボwww 奉仕部www 初めて聞いたーwww」
ちなみに原作では「何それ、意味わかんない!ウケるんだけど」としか書かれていない。それ以降はおそらく声優さん(CV:戸松遥)のアドリブだと思われる。なんかおもしろかったので書き出しておいた。
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