俺ガイル完(3期)第9話の感想・考察その2。「ありえない想像」なのは何故か?

俺ガイル完(3期)第9話「きっと、その香りをかぐたびに、思い出す季節がある。」の後半部分を考察していく。前半はこちら(俺ガイル完(3期)第9話の感想・考察その1。「ヒッキーのお願い」とは何か?

長文となっていますが、是非とも最後までご覧いただけると嬉しいです。

 
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いろはの行動の何がどのように通訳になっているのか?

比企谷「順調か?」

比企谷「順調か?」
いろは「どうですかねー? ね?」(と雪ノ下へ尋ねる)
雪ノ下「立ち上げの経緯が経緯なだけに〜」

この部分からいろはの通訳的な行動が始まっている。「通訳」をGoogle検索すると「互いに言語が異なって話が通じない人々の間に立って、双方の言うことを翻訳して話を通じさせること」と出てくる。つまり、比企谷と雪ノ下は(同じ日本語こそ話すものの)話が通じないので、いろはが間に立って話を通じさせようとしている、という状況である。

「順調か?」と訊かれたいろはがきょとんとする素振りを見せたのは、おそらく「なぜ雪ノ下に直接訊かないんだろう」と疑問に思ったからだろうか。雪ノ下は由比ヶ浜と話し込んでいるので、比企谷がいろはに「順調か?」と尋ねることに特に不自然な点はないが、いろはは直感で、比企谷は雪ノ下と会話をしたいけれどたぶんしないだろうことを見抜いたのだと思う。

従って、いろはは比企谷の質問には答えず、間に立って雪ノ下に「どうですかねー?」と尋ねる。

いろは「まぁ、それなりって感じです」

雪ノ下「立ち上げの経緯が経緯なだけに最善とはいかないまでも、現状で大きな問題があるわけでもないわね」
全員「???」
いろは「まぁ、それなりって感じです」
由比ヶ浜「ゆきのん、説明が複雑。下手」
雪ノ下「さすがに順調というほどうまくまわっているわけではないからなんて言えばいいか悩んで」

雪ノ下の複雑な言い回しをいろはが「まぁ、それなり」と通訳している。

なぜ雪ノ下はこんなに複雑な言い方をしたのだろうか。おそらくは比企谷に手伝わせる動機を与えたくなかったのだろう。比企谷と雪ノ下の関係は第8話で終わった(と雪ノ下は思っている)。だから比企谷に手伝ってもらうわけにはいかないし、比企谷に隙を見せるわけにはいかない。

「順調というほどうまくまわっているわけではない」と関係が終わっていない由比ヶ浜には正直に言っている。だから、状況は少なくとも順調ではない。けれど、誰かの助けを借りなければならないほど破綻しているわけでもない。従って、比企谷に言った「現状で大きな問題があるわけでもない」は嘘ではないが、上記の理由で比企谷に「順調ではない」と言うことはできない。

比企谷「大丈夫そうだな」

比企谷「大丈夫そうだな」
いろは「今んとこまぁ何とかって感じです。まだわかりませんけどねー」(と雪ノ下に尋ねる)
雪ノ下「間に合うようにはしているつもり」
いろは「っていう感じですね」

比企谷の「大丈夫そうだな」は、雪ノ下と由比ヶ浜の様子を見て発話されているので、本来は「(彼女たちの関係が)大丈夫そうだな」の意味である。また、少なくとも雪ノ下が一人で抱え込んで疲労困憊している様子は見られないので、雪ノ下の様子も「大丈夫そう」である。

「大丈夫そう」の主な対象は雪ノ下である。だから、それを雪ノ下本人に伝えればいいにも関わらず、比企谷は視線を敢えていろはに向けて「大丈夫そうだな」と言っている。比企谷は雪ノ下に喋りかけることができない。なぜなら、雪ノ下に関係を終わらせられているからである。

雪ノ下の本音といろはの通訳

比企谷「ほーん。ま、無理しないようにな」
いろは「いやいやもうめっちゃ無理してますよ。じゃないと間に合わないんですから。正直めっちゃ人手欲しいんですけど」
雪ノ下「確かに今日明日が山場だから負担をかけることになってしまうけれど……。他に人を呼ばなくても何とかなると思うわ。一色さんが頑張ってくれているおかげね」
比企谷「……まぁ、今日はあれだが明日とかなら手伝えるから言ってくれ」
いろは「いいんですか!」
雪ノ下「一色さん、明日はテクリハが中心だから大きな作業は発生しないわ。だから、人が多い必要もないと思うけれど」
いろは「そうですか……。あのー、ていうかわたし通訳じゃないんですけど」

比企谷にとってのいろはの通訳とは、本来は雪ノ下に直接言いたいことをいろはに言い、あわよくばそれを雪ノ下に伝えてもらうことだろう。比企谷はプロムをとても手伝いたいようだが、関係が終わっている以上雪ノ下に言うことはできないから、代わりにいろはに言っている。

雪ノ下にとってのいろはの通訳とは、もちろん比企谷同様、いろはに間に入ってもらって比企谷と間接的にコミュニケーションを取るというのもあるけれど、いろはの台詞が全て雪ノ下の本音を代弁していると考えることができるのではないかと思った。そう考えると、雪ノ下の台詞は全て建前である。

 
雪ノ下の本音(いろはの台詞):
めっちゃ無理してる。じゃないと間に合わないから正直人手が欲しい。

雪ノ下の台詞(雪ノ下の建前):
けれど、いろはが頑張ってるおかげでなんとかなるだろう。

 
雪ノ下の本音(いろはの台詞):
いいんですか!めっちゃ手伝ってほしい!(ただ単に人手が欲しいという意味もあるだろうし、比企谷と関わりたいという雪ノ下の本音もあるかもしれない)

雪ノ下の台詞(雪ノ下の建前):
明日は大きな作業は発生しないから、人が多い必要はない。

 

由比ヶ浜宅訪問

比企谷「いや、行かないけど」

由比ヶ浜「土曜さ……うち来ない?」
比企谷「いや、行かないけど」
由比ヶ浜「暇って言ったじゃん。……小町ちゃんのプレゼント、ケーキ作るって言ってたじゃん。だから、どうかなって思って」
比企谷「あーなるほど。ま、そういうことなら行くわ。(ガハママを思い出して)行きづれぇ」

比企谷は「いや、行かないけど」と一旦断った後、翻って「行くわ」と言っている。「行くわ」と言った後にガハママを想起しているので、最初に「行かない」と断った理由は「行きづらいから」ではないだろう。

「小町のプレゼント」という理由があって「行くわ」と前言を撤回したので、比企谷は由比ヶ浜とは理由なく関わるという発想がないのかもしれない。

由比ヶ浜が髪をいじり(原作によれば「お団子くしくし」)ながら比企谷に話しているが、過去に何度も同様の仕草は見られ、何らかの心情を反映したファクターであると思われる。特に重要なことではないが、メモとして書いておく。

また、余談だが「暇って言ったじゃーん」の由比ヶ浜が由比ヶ浜史上最高に可愛いなと思った。

比企谷「ガハママがいるって聞いてたんだけど」

比企谷のモノローグ「あれぇー? ガハママがいるって聞いてたんだけど」

由比ヶ浜の家で由比ヶ浜と二人きりでいることに照れというか気まずさというか、そういうのを比企谷は感じており、むしろ第三者であるガハママがいてくれたほうが気が楽なようだ。

また、これは想像の話だが、もし比企谷が雪ノ下家で二人きりになったとしたら「ははのんに会いたくねぇなー」と思うに違いなく、逆のリアクションとなっているように思われる。

「桃の缶詰」「フルーツタルト」は何を意味するのか?

比企谷「ただ桃缶だと旬とか関係なくなりますけど」
ガハママ「今は確かにそうね。ただ、季節はまたやってくるから。何年か経って大人になった時に桃を食べたら、こういうことあったなーって思い出すでしょ。手作りお菓子って、そういうのが素敵なの」

「桃缶」「フルーツタルト」については、当ブログ原作14巻考察の記事に寄せられたコメントに非常に参考になるものがあったので、それを下記に引用します。

タルトのシーンって、がはまちゃんがママの胸で泣くための、ガハママが娘の失恋を察するためのシーンだと思いました。
(匿名さんより)

14巻は特に今という時間にフォーカスされてるなと思いました。
フルーツタルトに使われた桃は結衣の比喩で、それは旬ではないと。
(匿名さんより)

フルーツタルトについては「正しい」選択の先の未来の暗示でしょう。
というのは、最終巻では中盤まで常に「(由比ヶ浜との)未来を考えてしまう」という旨の描写がされていました。そしてそれはありえない、とも。
表面上物語は「論理的な正しさとして由比ヶ浜のお願いを叶える」ことから「気持ちに正直に理屈が通っていなくても行動する」ことへと向かっています。まさにラブコメ。
しかし、別の面から見ればこれは「この1年で人間関係に少なからず適合しだした八幡の普通で正しい未来」から「それでも自分や他人の心への欺瞞が、誤魔化しが、空気を読むことが許容できない八幡のエゴ」に向かっているとも読めないでしょうか。
俺ガイルにおいて、自分に嘘をつかずまっすぐに生きることは決して是としては描かれていません。その生き方は酷く窮屈で押し通せ得ないことの方が多い(そして通しきれないのならエゴでしかない)まちがった生き方です。(ただし、これらと真剣に向き合い足掻きもがく彼らの様子が平塚先生にとっては前進であり意味あるもので、はるのさんにとっては薄ら寒い許容できないものなのでしょう)
故に、最終巻前半で描写されたのは「待ち受ける正しい近しい未来(=由比ヶ浜と付き合う、雪ノ下とも馴れ合いの関係が続く)」と「さらにその先の未来(由比ヶ浜との未来)」であり、対する八幡の結論こそがそれを許容できないというものだったのではないでしょうか。
(匿名さんより)

フルーツタルトに関して私が思ったのは、フルーツタルトは「案外簡単に作れるもの」として作中では扱われたデザートでした。つまり「簡単に手に入ってしまう」という比企谷の望まないものへのメタファーだったのではないでしょうか。

このタルトのシーンは由比ヶ浜との一般的な幸せな将来を思わせる未来予想図であり、それを読者も楽しめる素敵で幸せな時間ですが、ひねくれ比企谷はそれを望まない、というメタファーだったのかもしれません。
(長文失礼します!さんより)

私はこの桃缶、フルーツタルトについては何が何だかさっぱりわからず、全く考察ができなかったです。コメントしてくれた方々ありがとうございます。

チョコを生地に塗る

チョコを上に乗せるのではなく、生地に塗るというのも何かのメタファーになっている可能性がある、というメモ。

隠し味とは?

比企谷「やっぱ真心、ですかね」

ガハママが由比ヶ浜に耳打ちした「隠し味」はほぼ間違いなく恋愛に関するものだろう。「愛情」あたりが妥当であると思われる。

比企谷の言った「真心」というのは、比企谷の本音だろうか。少なくとも嘘ではないだろう。由比ヶ浜とガハママの前で「真心」と言ってしまったことで、比企谷は由比ヶ浜に対して不誠実な態度を取ることは許されなくなった。ガハママは比企谷から言質をもぎ取ったとも言えるだろう。

「そうでもない。しれっと隠し味があってだな……」
確かに、由比ヶ浜の言うようにタルトの材料はあのキッチンに並んでいたものばかりだ。けれど、それでも俺は俺なりに、ガハママに教わった通りに少しばかりの隠し味が施してある。

『やはり俺の青春ラブコメはまちがっている。』14巻、P161

由比ヶ浜に渡したフルーツタルトに込めた比企谷の「隠し味」とは何か。それは比企谷にしかわからない。だが、原作によれば、確かに比企谷は隠し味を施したと書いてあるので、嘘やハッタリでは決してない。「真心」に近い何かだろう。

なぜ比企谷はフルーツタルトを持ち帰らなかったのか?

比企谷がタルトを持ち帰らなかった理由は2つ明言されている。

1. 小町へのプレゼントを「一緒に作ること」にしたから
その一緒に作る環境に由比ヶ浜、あるいは由比ヶ浜と雪ノ下が含まれているかどうかはわからない。少なくとも比企谷は「一緒に作るのは確かに楽しい」と感じていて、その体験をプレゼントしようとしている。以前のひねくれていた比企谷には決して出てこない発想だ。

2. 手作りクッキーのお礼としてタルトを渡したから
由比ヶ浜の手作りクッキーはバレンタインデーのプレゼントとして比企谷に渡された。それに対するホワイトデーのお礼として比企谷はタルトを渡したということである。

このシーンは由比ヶ浜と一緒に作ったものを「拒否した」というほどのことではないように思う。由比ヶ浜にお礼をすることで貸し借りを精算したという見方はできるかもしれないけれど、ネガティブな意味合いを持つシーンとしては捉えられなかった。

「そんな、ありえない想像をした」

彼女の願いを一つ一つ叶えながら、日々を繋いでいくことができるなら。
そんなありえない想像をした。

Twitterで感想を眺めていたら、この部分を「地獄のモノローグ」と評している方がいて、あまりにも的を射すぎていたので思わず笑ってしまった。まさに急転直下の地獄である。

まず、比企谷は「そんな想像はありえない」と言っているのではなく、「ありえない想像をした」と言っている。だから、由比ヶ浜がこれまで比企谷との未来に思いを馳せてきたように、比企谷も(ありえないとわかっていながら)由比ヶ浜とこうやって二人で日々を繋いでいくことを不意に具体的に想像してしまった、ということであろう。比企谷の心情としては実はかなり揺れているように思う。しかし、それは「ありえない」ので過半数を占めるには至らない。

焦点は、なぜそれが「ありえない」のかというところである。

最もシンプルな答えは「比企谷がそれをありえないと思っているから」である。我々の恋愛においても「すごく好きなんだけど、この先一緒にいてもうまくいく気がしないし、なんか違うな」というような、全く論理的ではないけれど、そのような答えを感覚で出してしまう場合がおそらく往々にしてある。つまりはそういうことである。しかし、これでは考察になっていない。

由比ヶ浜と日々を過ごすことは、比企谷の信念に反するのだと思われる。つまりは、「本物(=追い求め、問い直す)」ではない。由比ヶ浜は「正しい」キャラクターとして造形されているようで、「正しい」からにはそれが正解なので問い直すことができない。比企谷は由比ヶ浜に何かを問い直すことを今まで一度もしたことがないと思う。そういう日々を比企谷は望んでいないので「ありえない」のかもしれない。

また、由比ヶ浜の願いをこうやって叶えているのは、雪ノ下にそう言われたからである。比企谷の主体性はそこにはなく、自分の選択でない日々をずっと繋いでいくことは確かに「ありえない」だろう。比企谷は葉山とは対称的に「自分で選ぶ」キャラクターである。

もちろん、単純に「雪ノ下と関わりたいから」というのも立派な理由であるとは思われるが、比企谷が二人を天秤にかけて、雪ノ下と関わりたいから相対的に由比ヶ浜が格下げされ、由比ヶ浜との未来は「ありえない」と思っているのとは違うように思える。

比企谷号泣の謎

比企谷はかつて陽乃に「酔えない」と言われていて、比企谷本人も「その予言は当たる気がした」(原作12巻)と感じている。

しかし、卒業式で号泣するというのは「酔っている」ことにならないだろうか。来年の自分たちを想像したのか、あるいは、めぐり先輩に相当の思い入れがあるのかはわからない。

同じ涙で言うと、第1話で小町がお兄ちゃん離れした際に涙を流している。こういう旅立ち的なものに比企谷は弱いのだろうか。じゃあ来年の自分の卒業の時にはどんだけ泣くねん、と思った。

 

 
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