俺ガイル完(3期)第8話の感想と考察その2。「由比ヶ浜さんのお願い」とは何か?

俺ガイル完第8話「せめて、もうまちがえたくないと願いながら。」の考察その2である。1日では書ききれなかったので、その1とその2にわけた。その1はこちら(俺ガイル完(3期)第8話の感想と考察その1。「男の意地」とは何か?)。

長文になっていますが、是非とも最後まで読んでもらえると嬉しいです。

 
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葉山と陽乃の会話

葉山の主張

葉山「彼らはあれでよかったんだ。そうやって、少しずつ……」

葉山の信念は「何も選ばない」である。なぜ何も選ばないかと言うと、2期第11話マラソン大会回によれば「(誰かが)それしか選びようのないものを選んでも、それを自分の選択とは言わない」からである。

文理選択を葉山は誰にも教えなかった。その理由は、葉山の選択を知った人たちが葉山と同じ選択をしても、それを彼ら自身の選択ではない、と葉山は思っているからである。おそらく葉山は自分自身が選択の余地のない人生を歩まされている(陽乃と政略結婚をさせられつつあるらしいという話があった)ので、せめて他人にはそうあって欲しくないと思っているのだろう。彼なりの優しさである。

だから葉山は「彼らはあれでよかったんだ」と主張する。「あれでよかった」とは「あのままでよかった」ということ。あとは彼らが「自分の選択」をするだろう。陽乃にけしかけられた結果、彼らが「それしか選びようのないもの」を選んでしまったら、それは自分の選択ではない、と葉山は思っているに違いない。

陽乃の想定する本物とは?

陽乃「そんなの、紛い物じゃない。私が見たいのは本物だけ」

陽乃が奉仕部メンバーをけしかけたのは2期12話のバレンタインイベントでの「それが本物?」である。陽乃にそれを問われたことで彼らはテンションガタ落ち、バレンタインイベントは成功したが、問題の焦点は彼ら自身へと回帰していくこととなった。それで今に至る。

陽乃が葉山の「彼らはあれでよかった」を否定するのは、後に述べる通り、葉山たちの過去の件に端緒があるらしいからである。

陽乃は「私が見たいのは本物だけ」と言うが、陽乃にとっての「本物」とは何を想定しているのだろうか? おそらくは何も想定していない。陽乃自身も「本物」が何なのかわからないまま比企谷たちをけしかけていると思われる。

漠然としたベクトルとしては「陽乃の人生=偽物」と陽乃自身は考えているのではないか。陽乃の現状は停滞であり、諦めである。問答無用で家の跡継ぎにさせられつつあるため、比企谷の言うところの「追い求め、問い直す(=本物)」ことが陽乃にはできる状況にない。

とすれば、陽乃自身の幽閉された人生と同じ轍を踏んで欲しくないから、彼ら3人を善意で引っ掻き回しに行ってるとも言えるし、その結果、陽乃自身も救われたいと願っているのかもしれない。

由比ヶ浜による共依存の否定

陽乃「比企谷くんはガハマちゃんに依存しちゃってるんだよね。それで、ガハマちゃんはそれを嬉しいと思って、なんでもしてあげる気になるの。……本当はここが一番重症なんだよ」
由比ヶ浜「なにかしてあげたいって、そんなの、当たり前だし……。辛そうだったり、頑張ってたら、応援したいし、ずっと一緒にいたいから、だから、……そんなんじゃない」

陽乃は客観で彼らの関係を「共依存」とタグ付けした。しかし、由比ヶ浜は主観によってそれを否定する。「私は自分の気持ち・意志で動いているから、それは共依存ではない」というようなことを由比ヶ浜は言っている。

これはどちらが正解というものではないように思う。「共依存」というワードは、それを問われてそれぞれのキャラクターがどのような反応を示すかを炙り出すためのツールに過ぎないように思った。

 
Q:
陽乃「その関係を共依存って言うのでは?」

A:
雪ノ下「自分一人でできるようになれば依存から脱却できる」

比企谷「相手が助けを必要としていなくて、それでも自分が助けたいって思うなら、それは共依存ではないことが証明できる」

由比ヶ浜「自分の気持ち・意志で動いているから、それは共依存ではない」

 
また、陽乃がなぜ「共依存」などというワードを思い付いたかを考えれば、陽乃自身が共依存の中にいるからと考えることもできるだろう。陽乃と葉山の関係、陽乃と雪ノ下母の関係、陽乃と雪ノ下の関係――。例えば、陽乃は家の跡継ぎにさせられつつあるらしいけれど、それが嫌だったら勝手に家を飛び出すでもすればいいのである。なのにそれをしないということは、陽乃と雪ノ下母は共依存関係にあるとは言えないだろうか。

陽乃「それは本物って呼べるの?」

陽乃「ねぇ……。それは本物って呼べるの?」
由比ヶ浜「そんなの、わかんない」

陽乃が「それは本物じゃない」と否定するのではなく、「本物って呼べるの?」と問うていることから、陽乃にとっても「本物」が具体的に何を指すのか確立していないのではないかと思われる。

由比ヶ浜が「そんなの、わかんない」と言うのは、陽乃の言う「本物」も第三者による客観のタグ付けに過ぎないからである。由比ヶ浜は主観・自分の気持ちに基づいて行動している。1000人いれば1000通り以上生まれる気持ちにタグ付けをするのは不可能であり、安直に過ぎる。だから由比ヶ浜は「これは本物だ」ではなく「わかんない」と言う。

由比ヶ浜「だって、こんなに痛いから」

由比ヶ浜「……でも、共依存なんかじゃないです。だって、こんなに痛いから……」

由比ヶ浜の言う「こんなに痛い(=精神が苦しい)から、従って、共依存ではない」というのは全く論理的ではない。対偶を示せば「痛くなければ、共依存である(=共依存であるからには、苦しくない)」となるが、そんなわけないのである。共依存だって、苦しい時には苦しいだろう。

別にここで屁理屈を述べて由比ヶ浜の非論理性を弾劾したいわけではない。由比ヶ浜は、その論理的でない言動によってこれまでも人の心を動かしてきたということを言いたい。

印象的なのは2期第8話だろう。論理性・一貫性を堅牢に保っていた雪ノ下だったが、空中廊下にて由比ヶ浜の涙に感情が揺さぶられ、論理性・一貫性を放棄し、比企谷の依頼を受ける。論理性・一貫性を保ったままだったら、一度断った比企谷の依頼を何の理由もなく受け入れることはなかっただろう。

ここでの由比ヶ浜の「でも、共依存なんかじゃないです。だって、こんなに痛いから」について、陽乃はそれが全く論理的でないことに気づいていたはずだ。簡単に論破できるだろう。しかし、反論する様子は描かれていない。かつて雪ノ下の心を動かしたように、陽乃の心も少しは揺さぶられたのではないかと思われる。

ちなみに、このシーンは原作で是非読んでほしいと思う。由比ヶ浜の悲痛さが半端ない。

陽乃と葉山の過去とは?

葉山「そこから成長する思いだって、俺はあると思うよ」
陽乃「ありえない。そうだったでしょ?」

陽乃が葉山の主張を否定する論拠として、過去にあったらしい出来事を挙げている。おそらくは、冒頭での「雪ノ下を助けることができなかった」エピソードであると思われる。

おそらく、かつての葉山・雪ノ下・陽乃の三人の関係は、今の比企谷・雪ノ下・由比ヶ浜の三人の関係と鏡写しになっていると考えられる。具体的なことが語られないのでわからないが、葉山が雪ノ下を「中途半端に手を出して全力で助けなかった」ことが原因となって、葉山・雪ノ下・陽乃の三人の関係は停滞に陥ったのだと思われる。まさに彼らの関係が「共依存」であると見ることもできるかもしれない。

具体的な推測としては、葉山が全力で助けなかったが故に、雪ノ下の傷口を広げた。それで葉山は陽乃の怒りを買った or 愛想を尽かされた、というところが妥当であると思われる。

葉山の「そこから成長する思いだって、俺はあると思うよ」に対して、「ありえない。そうだったでしょ?」と陽乃が返すのは、「葉山が成長していない」ことを指摘しているのだと思う。

「いいえ、大好きよ」

葉山「そんなに、……憎んでるの?」
陽乃「いいえ、大好きよ」

ここに関しては「そんなに(俺を)憎んでるの?」「いいえ、(あなたが)大好きよ」以外に考えようがないのだがどうなんだろう。

二人が政略結婚させられつつあるらしいという仮説をこのブログで何度か開陳し、それに基づいて考察してきたのだが、具体的にはアニメでは描かれていない。原作では10巻で下記のごとく触れられている。私も改めて読み直した。要約は下記である。

――葉山の進路がどうなるのかはわからない。葉山家(弁護士と医者)と雪ノ下家(建設会社と県議会議員)との付き合いは深い。両家が付き合いを継続したいと考えるなら、葉山が事務所を継ぐ可能性はある。だが、葉山が事務所を継がなくても、例えば、婚姻関係になるなどすれば、両家の関係は継続されるだろう。葉山が両親の意向に背いたことは今までないらしい――。(10巻、P262-267)

従って、政略結婚させられつつある、と言うのはもしかしたら言い過ぎかもしれない。政略結婚させられる可能性がある、くらいがちょうどいいだろうか。いずれにせよ、葉山も家に縛り付けられているらしいことはわかる。

おそらく葉山は陽乃のことが好きだが、陽乃は葉山に全く興味がない。では、「いいえ、(あなたが)大好きよ」をどう解釈すべきなのだろうか。単なる軽口なのか、二人は交際している(させられている)のだろうか。交際しているとしたら、2期マラソン大会回で三浦(あーしさん)を気遣ったのはなぜなのか。

謎は深まるばかりだ。この謎が解けている人は果たしているのだろうか……。

雪ノ下との会話

雪ノ下に見惚れる比企谷

部室に入って比企谷がハッとしたような表情になるのは、原作によれば、雪ノ下の美しさに見惚れていると記述されている。

少し驚いた表情の雪ノ下

「プロムの件な、最終的にお前らの修正案が無事通った。反対していた一部保護者にはちゃんと説得して、納得してもらうそうだ」
初めて耳にしたはずの内容にも驚く素振りを見せず、眉一つ動かさず、静かに聞いている。

『やはり俺の青春ラブコメはまちがっている。』13巻、P352

原作では比企谷が「お前らのプロムが通った」と伝えた際、雪ノ下は「眉一つ動かさず」と全くリアクションをしていない。これはなぜかというと、雪ノ下はこの勝負を受けた時点で自らの負けを確信していたからである。リアクションがないことによって、全てを悟って勝負を受けた雪ノ下の心理が映えるだろう。

しかし、アニメでは雪ノ下はわずかながらリアクションをしている。当然、綿密なディレクションの元でこうしたと推測され、何か狙いがあると思われる。特に考察はしない。原作とアニメとの違いという雑談であった。

「俺の負けだな」「あなたの勝ちね」

比企谷「だからまぁ……、俺の負けだな」
雪ノ下「ええ。……あなたの勝ちね」
比企谷「……なんでだよ」
雪ノ下「またあなたのやり方に乗せられて、こうなった。実質的にはあなたの勝ちじゃない」
比企谷「……だとしても、これを見越してたんだろ。俺のやり方までうっすらわかってたんじゃないのか。それなら、やっぱり……」

二人の屁理屈のこね合いである。下記に要約する。

比企谷:
比企谷のダミープロムは実現せず、雪ノ下の案が通ったのだから雪ノ下の勝ちである。雪ノ下が比企谷のやり方をわかっていたのなら、尚の事、雪ノ下は勝ちを受け入れるべきである。

雪ノ下:
結局比企谷がなんやかんやして雪ノ下の案を通したに違いなく、雪ノ下は無力であったので比企谷の勝ちである。

「それも確実じゃないわ」

雪ノ下「それも確実じゃないわ。プロム自体に反対されているという最初の前提が崩れない限り、その論法は通用しないから」

「確実じゃない」とはどういうことなのだろうか。「プロムが実現するのが確実じゃない」というよりは「比企谷の言う『雪ノ下の勝ち』を裏付ける論法は破綻していて証明するために確実な証拠たり得ない」という意味だろう。

雪ノ下母は「当て馬を建てるのは悪くない手だけれど、少し粗が目立つわね。それに選択肢が増えても、根本の問題が解決されていなければ難しいと思うけれど、そのあたりはどう考えているの?」と言っていた。ここでも雪ノ下に「最初の前提が崩れない限り、その論法は通用しない」と同等の理由で否定されている。さすが親子なので着眼点が同じである。

「私の言うことを聞いてもらっていい?」

雪ノ下「では……、勝負はこれでおしまい。私の言うことを聞いてもらっていい?」

この雪ノ下の台詞を聞いて比企谷は相当に焦っている。なぜだろう。

雪ノ下は第5話で「この勝負に勝てば言うことを一つ聞かせる。いいわよね?」と比企谷の前で明らかに言っている。だから雪ノ下は間違っていない。比企谷はこの時、雪ノ下が勝負に乗ってきたことを意外に思って放心している様子であった。だから、「この勝負に勝てば言うことを一つ聞かせる」という重要な約束を聞き逃していたと考えられる。というか、それしか考えられない。

(原作は比企谷の主観で描かれており、本作は「信頼できない語り手」の文脈で検証されることも多いが、原作でもきちんと「この勝負に勝てば言うことを一つ聞かせる。いいわよね?」と雪ノ下の台詞が書いてあったので、なぜここで比企谷が焦っているのか、原作を読んだ時点では本当に意味不明であった。アニメ化されてようやくそれっぽい考察にたどり着くことができた)

比企谷にとってこれは望んだ結末ではないようだ。比企谷はとりあえずプロムを片付けて、その先のことはそれから考えようとしていた。まさか、ここで終わりになるとは寝耳に水だったと思われる。

なぜここで終わりになること比企谷にとってまずいのか。それは2期第13話で比企谷自身が「雪ノ下の問題は、雪ノ下自身が解決すべきだ」と言っているからである。このプロム実現は、明らかに比企谷が横から手出しして、奇策さえ用いて実現させてやったものである。つまり、雪ノ下の問題を、雪ノ下自身が解決していない。

問題を自分で解決していない雪ノ下の言うことを聞かなければならないわけで、その「雪ノ下の言うこと」が本当に彼女が心の底から望んだものである可能性は低いだろう(本心ではあるが、敗者としての妥協した本心である)。とすれば、「雪ノ下の言うこと」は紛い物に他ならず、比企谷のせいで雪ノ下を紛い物にしてしまったという最悪の結末を迎えることになってしまうのである。

「あなたが望んでくれたもの」とは何か?

「誰かに頼ってもいいって、そんなことも知らなかったの。だから、どこかで間違えて……。こんな紛い物みたいな関係はまちがっている。あなたが望んでくれたものとはきっと違う」

「誰かに頼ってもいいって、そんなことも知らなかったの」という台詞を聞く限り、雪ノ下は少なくとも誰かに頼ることを悪としているわけではなく、どちらかといえばポジティブに捉えているようである。

雪ノ下がまちがえた(と自身で思っている)のは、「頼る」が「依存」になってしまって、主体性を失ってしまったことであると思われる。そしてそれを「紛い物みたいな関係」と自ら断罪している。2期12話で陽乃が「私は前の雪乃ちゃんのほうが好きだな」と言っていたが、それは「少なくとも前の方が主体性があった」と解釈できるかもしれない。

「あなたが望んでくれたもの」というのは、比企谷の言う「本物」のことであると考えられる。「本物」とは「理想を押し付けず、追い求め、問い直す」というような意味であったが、雪ノ下が比企谷に依存している(と思い込んでいる)ということは、比企谷に頼れる人だという「理想を押し付け」て、主体性を失って「追い求め、問い直す」を放棄することに他ならない。

そのような比企谷の理想の関係を遂に築くことができなかった、ということを言っているのだと思う。

「由比ヶ浜さんのお願い」とは何か?

雪ノ下「由比ヶ浜さんのお願いを叶えてあげて」

上で述べた通り、雪ノ下は自分自身で問題を解決できず、いわば敗者の言葉である「雪ノ下の言うこと」を言わざるを得なくなった。しかし、こうなった元凶は比企谷にあるのであり、比企谷はそれを受け入れるしかない。

由比ヶ浜さんの「お願い」のくだりは、第7話ラストの部分を受けてのことである。下記に引用する。

由比ヶ浜「だから、ゆきのんのお願いは叶わないから」
雪ノ下「……そう、私は、あなたのお願いが叶えばいいと思ってる」
由比ヶ浜「……あたしのお願い、知ってる? ちゃんとわかってる?」
雪ノ下「ええ。たぶん、あなたと同じ」
由比ヶ浜「そっか、……なら、いいの」

この会話文が複雑なのはそれぞれ「お願い」という単語が下記の4種類の意味を持つからである。

・由比ヶ浜が思っている雪ノ下の「お願い」
・雪ノ下が思っている由比ヶ浜の「お願い」
・由比ヶ浜の本心としての「お願い」
・雪ノ下の本心としての「お願い」

詳しくは繰り返しになってしまうのでここ述べないが、考察の一つとして下記を提示しておく。

 
雪ノ下が思っている由比ヶ浜の「お願い」:
由比ヶ浜と比企谷が恋仲になること

由比ヶ浜の本心としての「お願い」:
3人の関係を保ちたいこと

 
これを元にすれば、「由比ヶ浜さんのお願いを叶えてあげて」という台詞と共に雪ノ下は「由比ヶ浜に比企谷を譲った」と思われるが、由比ヶ浜の本心は「3人でいたい」(仮説)なので、齟齬が生じていることとなる。この辺のくだりはあまりにも複雑なので考察のし甲斐があると思う。

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