『俺ガイル。続』第10話の感想・考察。なぜクリスマス合同イベントは成功できたのか?

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第10話「それぞれの、掌の中の灯が照らすものは。」

『やはり俺の青春ラブコメはまちがっている。続』(『俺ガイル。続』、二期)の第10話である。ここでクリスマス合同イベントは解決し、物語は新たなステージへと向かう。さっそく解説して行こう。

※他にも俺ガイル考察記事ございますので、「俺ガイルカテゴリ」からご覧くださいませ。

 

葉山の台詞の意味とは?

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「それはたぶん、俺じゃなくて……」

一色いろはの告白を葉山は断る。「いろはの気持ちは素直に嬉しい。でも違うんだ。それはたぶん……」の比企谷への台詞、「たぶん……」の先が語られることはない。葉山は何を言いたかったのだろうか。

端的に言えば「それはたぶん本物じゃない」と言ったところだろうか。葉山は「みんなの葉山隼人」を演じている。葉山が本当は何を考えているのか、葉山の本質はどこにあるのかを誰も知らない。洞察力に優れた比企谷でさえわからずにいる。一色いろはは「みんなの葉山隼人」に対して告白したのであって、葉山の本質の部分を理解して好意を抱いたのではない。おそらく、そういうことを言いたいのだと思う。

 

「君はすごいな、そうやって周りの人間を変えていく」

後に一色いろは本人から語られるように、いろはは比企谷の「本物が欲しい」に影響されて告白を断行したらしい。そのことを葉山が知っていたかどうかはわからないが、少なくとも葉山の目には比企谷が一色いろはを変えたのだと映っているようである。また、これは葉山の行動原理が「現状維持と停滞」であることの自虐にもなっていると考えることができる。

 

「君を褒めるのは、俺のためだ」

なぜ比企谷を褒めることが葉山のためになるのだろうか。第4話で葉山は比企谷に「君が誰かを助けるのは、誰かに助けられたいと願っているからじゃないのか」と問うたことからわかることは、逆に「葉山が誰かを助けるのは、自分が助けられたいから」であると推測された。

であれば、葉山は比企谷を褒めることで、自分が比企谷に助けられたいと思っているのではないか。比企谷には自分を助けるだけの能力があると葉山は感じている。何から助けられてどうなりたいと思っているのかはまだわからない。

 

一色いろは「先輩……、荷物超重いです……」

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比企谷と一色いろはが二人きりになることについて、雪ノ下と由比ヶ浜が嫉妬するどころか推奨さえしていることで、比企谷を取り巻く恋模様において一色いろはは殆ど関係ないことが端的に示されているように思う。少なくともノーマークであり、そうであるならばダークホースである。

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「責任、取ってくださいね……?」いつものいろはす。

 

問題を乗り越えた結果、長い会議へのカウンター

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比企谷「問題はあの会議にある。意見はまとめるが、その実、誰も決定は下していない。だから、そういう馴れ合いを排除したちゃんとした会議をしよう。反対も対立も否定もする。勝ち負けをきっちりつける。そういう会議を」

クリスマス合同イベントの停滞は、第7話までの奉仕部の停滞のメタファーであった。奉仕部の問題を解決できないから、クリスマス合同イベントの問題も解決できない、という構図になっている。第8話、第9話を経て比企谷たちは各々の問題を解決した。その手法を用いてクリスマス合同イベントの会議に臨むという流れである。

第8話で奉仕部は「反対、対立、否定」をして「馴れ合い」を排除した結果、停滞を乗り越えた。第9話で一色は葉山に告白をすることで「勝ち負け」がきっちりとついた。だから比企谷はこの提案をすることができるし、一色いろはも比企谷の提案に迷いなく乗ることができる。これを契機に一色いろはは生徒会長として大きな成長を遂げる。

「わたし的に、しょぼいのってやっぱちょっといやかなーって」という一色いろはの台詞は本心によるものかどうかはわからない。ただ、いろはの行動様式として、大義名分を個人的な理由に落とし込んで他人に働きかけるという傾向があることは覚えておいて損はないだろう。

 

奉仕部三人の台詞の意味

比企谷の自戒

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比企谷「自分はできると思い上がってたんだよ。だから、間違っても認められなかったんだ。自分の失敗を誤魔化したかったんだろう。そのために策を弄した、言葉を弄した、言質を取って安心しようとした。間違えた時、誰かのせいにできたら楽だからな」

相手の高校に言っていると同時に比企谷自身への自戒の台詞でもある。

玉縄たち海浜総合高校は皆の話し合いによって物事を決めようとしている。話し合いによる合議は一見良いことのように思える反面、一人ひとりのリスク分散を志向するあまりに進捗しないというデメリットがある。誰もが責任を取りたくないし意見を否定されて負け犬にもなりたくないからポジティブな意見を積み重ねるだけ積み重ねて、結局会議は進まない。

比企谷は生徒会長選挙の一件で明らかに間違えた。その理由は、責任を分散するために他人に理由を与えてもらって動き出したからである。生徒会長選挙後も間違い続けた。それは間違いを認められずに、上滑りするだけの言葉を弄して誤魔化し、馴れ合いに終始していたからである。

第8話、「二人の言ってること全然違うもん」と由比ヶ浜は否定する。それは比企谷の「自分だけが悪い」という態度、雪ノ下の「自分は悪くない」という態度への否定であり、それまで奉仕部を支配してきた「馴れ合い」という肯定に対する否定である。否定によって奉仕部は意志を取り戻した。だから比企谷はここで会議のやり方を否定するのである。

 

雪ノ下の自戒

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雪ノ下雪乃「曖昧な言葉で話した気になって、わかった気になって、何一つ行動を起こさない。そんなの前に進むわけがないわ。何も生み出さない、何も得られない、何も与えない。ただの偽物」

同様にして雪ノ下の台詞も、カタカナ言葉を弄した空虚な会議への非難であると共に自身への自戒が込められている。

第5話の「わかるものだとばかり思っていたのね」という台詞に象徴されるように、雪ノ下は他人に何も働きかけることなく自分のことをわかって欲しいと駄々をこねていたに過ぎない。しかし第8話での和解を経て、今までの自分の態度では物事はどこへも進まないし、何も生み出さないと気づいた。

比企谷が言った「本物」という言葉と対称となる「偽物」という言葉が用いられているのが象徴的である。また、これまでは自分ひとりで背負い込んで物事を解決していたところを、ここでは相手にきちんと言葉を伝えて解決に辿り着こうとしているところに成長の証がある。

 

由比ヶ浜の仲裁

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由比ヶ浜「無理に一緒にやるより、二回楽しんでもらえるって思ったほうが良くない? それぞれの学校の個性とか出るじゃん。どうかな?」

由比ヶ浜はいつも通りである。比企谷と雪ノ下の内に向かうような難解な主張を、豊かな感情を持ってわかりやすく相手に伝えている。奉仕部は由比ヶ浜が良き潤滑油となっていることを示す象徴である。

 

雪ノ下雪乃「あなたの依頼」とは何か?

雪ノ下雪乃「まだ依頼は終わっていないでしょう。あなたの依頼、受けるって言ったじゃない」

雪ノ下雪乃の言う「あなたの依頼」とは言うまでもなく比企谷の「本物が欲しい」のことであろう。雪ノ下はこれまで「依頼」には関心があったが「人」には興味がなかった。それがここに来て、人ときちんと向き合うことができるようになりつつあることの証左のように思う。

 

比企谷の言う本物の手掛かり

比企谷のモノローグ「もしも、願うものを与えられるのなら、欲しいものがもらえるのなら、やはり俺は何も願わないし、欲しない。与えられるものも、もらえるものも、それはきっと偽物で、いつか失ってしまうから。だからきっと、求め続ける」

比企谷の言う「本物」の手掛かりが「偽物」という対極の表現によって端的に表されている。それによれば本物とは「与えられるものではなく、求め続けて得られるもの」であり且つ「ずっと失わないもの」である。

 

ここまでの補足情報を箇条書きで

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・この第10話のクリスマス合同イベントの成功までが原作9巻での話である。この第10話に関しては要点だけを掴んだやや駆け足な展開となっている。原作では奉仕部として会議に臨むための戦略や比企谷の思考(地の文)で詳しく語られており、鶴見留美の問題解決もきちんと描かれているので、併せて読んでみてもかなり楽しめるはずだ。

 
・『教養としての10年代アニメ』(町口哲生、ポプラ新書)では「このイベントを契機としてメイン三人の関係性が良好になるという意味において、意識高い系の高校生を登場させたのは巧い演出(原作)だと思った(P107)」と高評価されている。

 

後半パート 初詣〜

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Bパートは原作10巻の最初100頁を約10分にまとめたものであり、映像化にあたってはかなり駆け足の展開である。要所をかいつまんで解説して行こう。

雪ノ下雪乃「今年もよろしくね」

雪ノ下雪乃の信念として「それで壊れてしまうものなら、それまでのものでしかない」というものがあったが、ここで比企谷に「今年もよろしくね」と言っているということは、その頑固だった信念は瓦解したと見ていい。その信念とは「今年もよろしくね」なんてわざわざ言わなくても壊れない関係のことであろうからである。おそらく雪ノ下が自発的に誰かに「今年もよろしく(=今年もこの関係を保っていこう)」と告げるのは初めてのことなのではないかと推測される。

 

葉山「雪乃ちゃん」を訂正

葉山が雪ノ下雪乃のことを「雪乃ちゃん」と呼び、後に「雪ノ下さん」と訂正している。このシーンにどのような意味が込められているのか詳しくはわからないが、学校以外では「雪乃ちゃん」と呼ぶくらいには親しいようである。少なくとも敵対しているわけではなさそうだ。

 

陽乃「雪乃ちゃん、だめだよ」

雪ノ下雪乃が判断に困って比企谷の顔をちらりと窺ったのを陽乃は見逃さず「雪乃ちゃん、だめだよ」と制する。雪ノ下雪乃が比企谷に依存しているのではないかと思わせるシーンである。

 

次回予告

これはきっと自分自身の本性なのだ。だから結局手放すことができず、ただ封じ込めて見てみないふりをしてきた。ただ自分は真実によって糾弾されたかった。おためごかしのお道化を見抜いて欲しかったのだ。外からこちらを見る瞳によって。だから期待していた。もしかすると自分のことを見つけてくれるのではないかと。見抜いてくれるのではないかと。真実、それは空虚な妄想でないと、どうして言い切れるのだろう。本物なんて、あるのだろうか。

シリアスな次回予告となっている。比企谷も含まれるが、主に葉山、陽乃、雪ノ下雪乃が独白している。作中で葉山と雪ノ下雪乃には何らかの陰の部分が見え隠れするが、この独白に陽乃が含まれていることは注目に値する。陽乃も何らかの呪縛を抱えていることが示唆されている。

ここの台詞は原作10巻に含まれる3つの手記を元に再構成され、提示されている。

 
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