俺ガイル完(3期)第1話の感想と考察。雪ノ下の「答え」の真意とは?

いよいよ『俺ガイル完』が放送開始された。待っていた。
第1話「やがて、季節は移ろい、雪は解けゆく。」は原作12巻の150頁までが原典となっている。長文になりますが早速考察していきます。

他にも考察していますのでぜひともご覧ください:
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雪ノ下の依頼とは?

物語は2期最終話の続きからそのまま始まる。

由比ヶ浜は「全部欲しい」と2期最終話で依頼を出した。比企谷の依頼は「本物が欲しい」(2期第8話)である。そしてここで雪ノ下の依頼が明らかになり、3人の依頼が出揃うことになる。

比企谷のモノローグ

長い沈黙だった。
長い話になりそうだから、と。
誰かが言った。もしかしたら自分で言ったのかもしれない。
わずかな時間があったとしても、かすかな希望は増えたりしない。
ただ、確かな答えがあえかな終わりを告げるのだと知っている。
言わなければわからない。言ったとしても伝わらない。
だから、その答えを口にすべきだ。
その選択を、きっと悔やむと知っていても。

――本当は。
冷たくて残酷な、悲しいだけの本物なんて、欲しくはないのだから。

このモノローグは原作12巻の冒頭にinterludeとして用意されているもので、本来は雪ノ下の独白である。それを比企谷が読んでいる。雪ノ下と比企谷の意志・信念が共有できていることを示すものと見て良いと思う。

「あえかな」というあまり聞き慣れない言葉があるが、「弱々しい」というような意味だそうである。わからなかったので調べた。

マックスコーヒーのメタファー

比企谷は自動販売機でマックスコーヒーを買う。比企谷の飲み物が心情を表すメタファーになっている。

例えば、2期第3話では雪ノ下と比企谷が対立、小町とも喧嘩、その心情を示すかのように比企谷はブラックコーヒーを自ら購入して「にげぇ…」と言いながら飲んでいる。

同じく2期第8話、奉仕部と合同クリスマスパーティーの問題双方を解決できない比企谷は、平塚先生にブラックコーヒーを渡されている。
 
しかし、ここではいつものマックスコーヒー(マッ缶)を選択している。少なくとも比企谷は暗澹たる気持ちではなく、問題解決に向けて前向きな姿勢になっていることが伺える。

原作によれば二人には紅茶を買っている。ミルクティーだろう。

クッキーと回想シーン

比企谷「お前が頑張ったって姿勢が伝われば、男心は揺れんじゃねーの?」
由比ヶ浜「ヒッキーも揺れるの?」

1期第1話のこのシーンを二人とも覚えている。想起して目が合い、恥じらう。

由比ヶ浜が比企谷のことを大好きなことを、比企谷は気づいている。しかし気づいていないふりをし続けている。理由は2つあると思う。

ひとつは、中学の頃の折本の一件から、比企谷には好意らしきものを好意と勘違いしないように高い自意識が形成されたため。

もうひとつは、由比ヶ浜が比企谷を好きなことを「言葉にしていない」ためである。比企谷には「言っても伝わらない(だから、本物が欲しい)」という思考が根底にある。それに対して、由比ヶ浜は「言わなきゃ伝わらない」という行動様式がある。

なぜ由比ヶ浜は比企谷に気持ちを伝えることができていないのか。それは、終わりにすることを恐れているからである。告白して振られてこの関係が終わりになってしまうこと、それを避けるために気持ちを明言していない。

2期最終話では、由比ヶ浜は自分の比企谷への気持ちを表明することなく、雪ノ下をこの恋模様から撤退させようとしていた(と私は考察している)。だから、ずるい。
(参考:『俺ガイル。続』13話(最終話)の考察。由比ヶ浜結衣の目的と台詞の意味

雪ノ下のやりたいことと依頼

今やりたいこと≠父の仕事

雪ノ下「由比ヶ浜さん。あなた、私にどうしたいか聞いてくれたわね。……でも、それがよくわからないの。けれどね、昔はやりたいこと、やりたかったことがあったのよ」
由比ヶ浜「やりたかったこと?」
雪ノ下「私の父の仕事」

雪ノ下の父の仕事とは、原作を参照すれば建設会社の社長である。

間違えそうになるが、雪ノ下は「今やりたいこと」として「父の仕事」を挙げているのではない。「昔やりたかったこと」として「父の仕事」を挙げているだけであり、「今やりたいこと」は「よくわからない」のである。

縛り付けられている陽乃

雪ノ下「昔から、母は何でも決めていて、姉さんを縛り付けて、私のことは自由にしていいとばかり。だから、どう振る舞っていいかわからなかった」

物語では、陽乃が自由奔放に振る舞っていて、雪乃が抑圧されているかのような印象があるが、実は逆で、陽乃は後継ぎとして家に縛り付けられていることが語られている。

観覧車のメタファー

雪ノ下「でも、ちゃんと言うべきだったんでしょうね。それが叶わないとしても……。たぶんきちんとした答えを出すのが怖くて、確かめることをしなかったの」

雪ノ下のこの台詞の間、映像には観覧車が映されている。2期最終話で乗った観覧車。観覧車は同じ日常を曖昧に茶を濁しながらぐるぐる回り続けることのメタファーである。確かめることをしないで昔のやりたかったことが燻り続ける雪ノ下の、そして、奉仕部3人のだらっとした日常の暗喩だ。

また、この台詞、先に述べた由比ヶ浜が比企谷に思いを伝えていないことを暗に指摘したダブルミーニングにもなっているように思う。雪ノ下は自分の意志で確かめることを宣言し、物語が動き出す。

「見届けて欲しい」雪ノ下の依頼

雪ノ下「誰かに言われたからとかではなく、自分の意志で納得して、諦めたい。私の依頼はひとつだけ。あなたたちに、その最後を見届けてもらいたい。それだけでいいの」

雪ノ下の依頼が明らかになる。「自分の意志で納得して、昔やりたかったことを諦める、その最後を見届けてもらいたい」ということである。

雪ノ下は、自分の意志がないこと、人を頼って問題を解決してもらっている現状ではいけないと思った。なぜか。それは2期最終話で比企谷に「雪ノ下の問題は雪ノ下自身が解決すべきだ」と指摘されたからである。

従って、「手伝ってほしい」のではなく、「見届けてほしい」という依頼である。もっと言えば「自分一人でできることを証明したいから、手伝わないでくれ」というニュアンスさえ含まれるかもしれない。

由比ヶ浜の疑問符

由比ヶ浜は間違えない

由比ヶ浜「ゆきのんの答えは、それ、なのかな」
雪ノ下「もしかしたら、違うのかもしれない」
由比ヶ浜「だったらさ」

由比ヶ浜が疑問を呈する。

2期最終話の比企谷のモノローグ「由比ヶ浜は間違えない」を論拠にすれば、由比ヶ浜のこの疑問はおそらく正しい。つまり、雪ノ下の答えは「それ(=家の跡継ぎになる(ことを自分の意志で諦める))」ではないということ。

雪ノ下は「今やりたいこと」が「わからない」ので、「もしかしたら、違うのかもしれない」と曖昧な返答をするしかない。

由比ヶ浜「だったらさ……」の後、彼女は何を言いかけたのだろうか。おそらく、ちゃんと答えを話してよ、とかそういうことだろう。

由比ヶ浜は、雪ノ下が比企谷に好意を寄せていることに気づいているはずだ。そして、それが「答え」であることもわかっている。しかし、ここでその「答え」を確定させてしまえば、由比ヶ浜の立つ瀬がなくなる。だから言いかけてやめたのだと思われる。

父の仕事は「手段」に過ぎない

雪ノ下「けれど、私は……、私が自分でうまくできることを証明したい。そうすれば、ちゃんと始められると思うから」
由比ヶ浜「ちゃんと、始める……」
比企谷「それが答えでいいんだよな」
雪ノ下「間違いではないと思うのだけれど」
比企谷「いいんじゃねぇの、やってみたら」
由比ヶ浜「うん、わかった。それも答えだと思うから」

この会話からわかることは、雪ノ下にとって「家の跡継ぎになる(ことを自分の意志で諦める)」ことは「目的」ではなく「手段」であるということである。では、目的は何かと言うと「ちゃんと始める」ことだ。俺ガイル特有の目的語を省略した言い回しであり、「何をちゃんと始める」のかが明言されていない。

当ブログ原作12巻の考察記事へのコメントで「(雪ノ下は)自立して見せた上で「ちゃんと始める」のではないかと思います。では何を始めるのか、一つは自立できたら改めて八幡への恋も始められるということじゃあないか」と頂いた。非常に参考になる意見であると思う。

川なんとかさん登場

原作ではこれまで度々忘れない程度に登場していたがアニメ2期では尺の関係でほぼ登場していなかった川なんとかさん(川崎さん)との長いやり取りである。川なんとかさんの作画がメインヒロインかよってレベルで高くてとにかくすごくてかわいい。

比企谷が京華をチョコクロで甘やかすシーンは、比企谷のおせっかいな一面をあぶり出すファクターになっている。思えば、比企谷は正義感に火が点くと相手が解決を望んでいようがいまいが関係なく、独善的に行動してしまう(=おせっかいな)ところがある。

川なんとかさんに「あんたいつもそうじゃん」「自覚ないんだ」と言わしめるほど、比企谷はおせっかいだ。

「愛してるぜ川崎ー!」の文化祭の回想シーンは原作12巻にはなく、アニメ1期でもカットされていた(原作6巻にはある)。

小町の兄離れ

テーマとしての自立

小町「お兄ちゃん、ありがと。お世話になりました」

雪ノ下が奉仕部を頼らないで自分の意志で問題を解決する(=自立を画策する)ことを選ぶことと同じことがここで起きている。小町は兄を頼らないで自立しようとする。

比企谷にとっての唯一最高の理解者は小町だった。小町に理由を作り出してもらって問題を解決したこともあった(2期第5話、生徒会選挙の件)。小町との日々は生ぬるい日常だ。誰もがいつかは自立しなければならないし、卒業しなければならない。

雪ノ下は自立を決断した。比企谷も奉仕部という生ぬるい日常からいつか自立しなければならないが、今はぬるま湯に浸かったままだ。それは由比ヶ浜にも言えること。ぬるま湯は本物ではない。登場人物たちがそれぞれどのように自立を目指すのかがこの3期のテーマと言えるだろう。

「なくしたくない」という感情

比企谷「なんか目から水が……なにこれ、なに、なんでこうなってんの」

比企谷(と雪ノ下)には「なくなってしまうのならば、それまでのものでしかない」という信念があった。しかし、比企谷は2期の修学旅行回で葉山たちに共感することでその信念が瓦解、以降、奉仕部をなくしたくないという感情を伴って行動するようになる。
(参考:『俺ガイル。続』第2話の感想・考察。なぜ比企谷は葉山を助け、雪ノ下は不快感を表したのか

比企谷が涙らしきものを見せるのは、2期第8話の「本物が欲しい」以来2度目である。あのとき比企谷は奉仕部をなくしたくないと思って感情的になり、目を腫らした。
(参考:『俺ガイル。続』第8話の感想・考察その2。「本物が欲しい」の意味とは?

比企谷が「なくなってしまうのならば、それまでのものでしかない」というドライな信念を持ち続けていたなら、小町の兄離れに涙することなどなかっただろう。それまでのものでしかないからである。小町をなくしたくないけど、本人の意志を汲み、図らずも涙が流れた。

奉仕部での日々が比企谷に「なくしたくない」という感情を与えた。「なくしたくない」は今ここにある確かな意志のことである。

原作との違い

原作12巻では、3人が酔っ払った陽乃と遭遇してから部屋でやり取りする場面、由比ヶ浜が雪ノ下の部屋である秘密を見つけてしまう場面、そして、比企谷と陽乃が一緒に帰る(陽乃が待ち伏せしていた)場面があったが、この第1話では丸々カットされていた。第2話以降のどこかで回想として挟まれるかもしれない。

また、Bパート冒頭、起床した比企谷がクッキーを机に仕舞う場面も原作にはない。

『俺ガイル完』は原作12〜14巻の3冊を1クールでアニメ化するものである。1期は原作6冊分、2期は5冊分を1クールに詰め込んでおり、途中駆け足な場面も散見された。それに比べればこの3期は尺に余裕があると思われ、丁寧な映像化が期待できる。

 
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